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 やがて、いつもの分かれ道に差し掛かる。あなたは左折。先輩は直進で、お別れの時間だ。

 彼女は何もなかったかのように腕を放して、

「今日はありがとう……」

 と、頭は下げずに礼をした。あなたは、そのほんの少し開いた距離を惜しむように「先輩」と声をかける。

「今日……送らせてもらっちゃダメですか……?」

「……」

 先輩は口を何度か開きかけて、また閉じて……。手もほんの少しのしぐさをしていたが、その手を引っ込めて、ぼそぼそっと口を動かした。

「わたし……泣いちゃうかもしれないじゃん……」

「え?」

「ううん。……送ってくれるの?」

「はい」

「……」

 また少し、なにがしかを考えて、「じゃあ……」と言った。その時とった軽やかなしぐさで行間を補えば、「じゃあ、お願いね」と言ったところなんだろう。あなたが再び歩き出せば、彼女も定位置とばかりにあなたに並び、再び腕を引っ掛けた。聞く限り、彼女の家はここから十分弱だ。

 ポツポツと、意味なんてない会話で彩られる家への道。二人で話していると、十分弱などは一瞬だった。

 彼女の家は一軒屋であり、二階建ての堂々たる造りである。

「家、バレちゃったね~」

 おどける先輩。いつもそのフワリとした雰囲気が部活の中で一つのムードを作っていた。

 この先輩をもう部活では見られないんだなぁとか、あなたは思ったりもする。選択肢を間違えたら、今からこの先輩とは疎遠になっていくばかりだってことも知る。

 というか、現実のあなたは、それで彼女を見失った。

「ホント、今日はありがとね。わたしもいろいろ考えてみる」

「なんか……こんなことがあったからかもですけど、ちょっと別れるのさびしっすね」

「……そうだね」

 先輩も寂しさを覚えているのか、門をくぐる動きが鈍い。やがて何かが腑に落ちたように家を指差した。

「じゃあ……ちょっと上がってく?」

「え、大丈夫っすか?」

「どうせ誰もいないしね。君は時間平気?」

「はい、大丈夫です」

「じゃあどうぞ」

 ……これって、純粋にあなたを信用してくれているのか。それともあなたの下心込みで、それを飲み込んだのか……。


 一般論だが、女子はたまにこういうことをする。あるいは脳みその構造の違いなのかもしれない。

 なんというか、男女の距離感というのは、しかるべき段階を経て縮まるものと考えているのが女子脳であり、シチュエーションさえ整えばいきなり喉下に噛み付いてしまう男子脳とは違うし、男子も女子脳でいることを信じている女子は多い。

 中にはその心理を知っていて巧みに男子脳を利用する女子もいるのだが、いずれにしても、夜に男女が個室に置かれてトラブルがあった場合、「OKなのかと思った」という男子に対して、「そんなつもりはなかった」と嘆く女子も多かったりする。

 だからこの際も、先輩は今の心の不安定と寂しさを紛らすために、誘っただけかもしれない。しかしあなたは当然、野望(笑)に一歩近づいたものと期待してしまうのも無理はなかった。

 通されたリビングにはエンジ色の絨毯が敷かれ、黄色いソファや観葉植物が、落ち着いた雰囲気を醸している。テーブルはおしゃれな感じの楕円形であり、ガラス製であるために下の絨毯を映して部屋を広く見せていた。

「なんか飲む?」

 部屋に馴染みすぎている先輩が冷蔵庫の方へ歩きながら、まったく馴染まず居心地悪そうに座っているあなたに尋ねた。

「じゃあ、先輩が飲むなら、同じものもらってもいいっすか?」

「お茶だけどいい?」

「はい」

 やがてウーロン茶の注がれたグラスが、ガラス製のテーブルと接触してカチンという音を鳴らす。その音が二つ。

「プーアル茶だよ」

 ……プーアル茶らしい。

 あらためて二人で同じテーブルに座って、水滴のつくグラスを口につけて……なんていうか、その次の行動にお互い困る。

「適当にくつろいでいいからね。テレビとか見る?」

「はい。先輩も気を使わなくていいですよ」

 あなたはなかなか阿呆なことを言った。こんな異物がいたら気を使わないことなんてできるか。

 と、思ったが、そこは先輩。意外にゴーイングマイウェイなことを言い出す。

「ちょっと、シャワー浴びてきちゃっていい? 汗がさ……」

「あ、はい」

「っていうか、君、先使う? 貸せるのはお父さんのTシャツくらいだけど」

「えーっと……」

「だって、まだまだいるでしょ? シャワー浴びるとスッキリすると思うよ」

「じゃぁ……スンマセン。失礼します」

「シャンプーとか勝手に使ってね」

 これは……どう考えたらいい?……深夜十一時に、「まだまだいるでしょ?」と言われ、シャワーを勧められるというこのアリサマ……。


 あっちゃこっちゃ済んで、再び一つのテーブルに戻ってくる二人。Tシャツに加えて親父さんのジャージ、パンツまで借りてしまったあなたは、プーアル茶を口に含む。

 時計の針は十二時十五分前……これ、十二時になったら魔法が解けたりしないだろうなと、あなたは少し心配になったりもしてみたり。

 先輩はTシャツ、ジャージ姿で絨毯にへちゃりと座り込み、

「すっぴん見られるのやだな~」

 とか言いながら、手櫛で髪を整えている。

 いつも一つに結っている髪が、今はさらりと無造作に流れていて美しい。ついでを言えば、手櫛でそれが揺れるたびにシャンプーの匂いがここまで届いて、正直理性には大打撃だ。

 だって先輩は今、卵の皮をむいたばかりのようにみずみずしく、一皮剥いたからこそ隠せなくなった女のフェロモンが雰囲気になって匂いとなって、あなたを責めている。

 そもそもが密閉空間に二人きり……。

 さっき脳みその構造の違いを言ったけど、これがすべて無意識なら軽く犯罪だし、もし意識的なら立派に犯罪幇助といえる。

 とにかく今の先輩は、きれいすぎる。

 犯罪でも犯罪幇助でも、とにかく犯罪を犯してしまいたい気分だ。

「先輩……あのぉ……」

 胸から股間まで、内蔵があるところ、すべてが疼いてたまらないあなた。動悸とは違う。こう……小さな痙攣のような……微弱電波が流れ続けているというか……とにかく小さく動き続けてきてむずがゆい。呼吸まで浅くなってきて、その意識のすべてが、先輩に凝縮されていく。

 だって、ここは造りのしっかりした一軒屋だし、先輩が多少声を上げたところで、それだけじゃだれもこの領域を侵すことはできないはず。

 先輩だって望んでるんじゃないか?……あなたの停止した思考が、先輩の甘い香りに冒され、都合のいい解釈を始めた頃。

 スマホが鳴った。先輩のだ。

 画面を覗き込み、「ひっ」と息をつめる先輩。ちらりとあなたを見て、画面に戻って……コールを三回聞いた。

「ごめん、出るね」

 返答を待たずに受話器ボタンをタップする。

「もしもし……あ、うん……」

 ……それでようやくあなたは我に返った。彼女がいつもの周波数で声を発するたびに、下腹部に流れ込んでいた微弱電波が引いていく。

 詰まっていた息を、想いと共に吐き出すように、あなたは軽くため息をついた。

「わかった……」

 通話は終わったようだ。スマホを耳から離してあなたをのほうを向く先輩。

「ごめん。ちょっと用ができちゃった」

 そういってせわしなく立ち上がる。

「また連絡するね。今日はホント、おつかれさま」

 あなたを見下ろす彼女から、一転ふわふわと暖かい雰囲気が消えている。午前十二時。まるで本当に魔法が解けてしまったかのように、辺りは冷たさと硬さを取り戻し、あなた自身も異物に戻った気分がした。

「ごめんね。またね」

 まるでせかすような彼女の豹変ぶりに、あなたは押されざるをえない。

「じゃあ……ごちそうさまでした」

 あなたは半ば小走りに、彼女の家を去っていったのでありました。


 おしまい



 おい、マジでホトケビーム欲しいか?

 簡単に引き下がってくるなって。今もうホント、洗いたてホヤホヤの先輩まで五十センチだったじゃないか。

 しかしアレだ。今回のあなたはなかなかスジがよかった。

 ここまで来ると、確かに「あとから振り返ればヤレたかも」と思っても不思議じゃない。その"かも"から先が、なかなか先に進まないけど、可能性があるうちは検証してみよう。

 とりあえず、彼女の顔色が変わった電話。先輩を愛人にしている彼氏で間違いないだろう。

 彼女をあの男の束縛から解き放つのは、確かにヤレる条件かもしれない。ならば、ここにあなたという楔を打ち込むことは、確かに一つの手段となる。

 では、勇気を出してやってみよう。


 スマホが鳴った。先輩のだ。

 画面を覗き込み、「ひっ」と息をつめる先輩。ちらりとあなたを見て、画面に戻って……コールを三回聞いた。

「ごめん、出るね」

 返答を待たずに受話器ボタンをタップする。

「もしもし……あ、うん……」

 ……それでようやくあなたは我に返った。彼女がいつもの周波数で声を発するたびに、下腹部に流れ込んでいた微弱電波が引いていく。

 詰まっていた息を想いと共に吐き出すように、あなたは軽くため息をついた。

「わかった……」

 通話は終わったようだ。スマホを耳から離してあなたをのほうを向く先輩。

「ごめん。ちょっと用ができちゃった」

 そういってせわしなく立ち上がる。

「また連絡するね。今日はホント、おつかれさま」

 あなたを見下ろす彼女から、一転ふわふわと暖かい雰囲気が消えている。午前十二時。まるで本当に魔法が解けてしまったかのように、辺りは冷たさと硬さを取り戻し、あなた自身も異物に戻った気分がした。

「ごめんね。またね」

 でも、異物に戻ったからこそ、言うべきことがあるんじゃないか。

「あの男と会うんですか?」

「……」

 先輩は襟首を掴まれたように、一度動きを止めた。

「やめましょうよ。だいたいこんな時間に一方的に会おうとか、ちょっとおかしいっすよ」

「だってしょうがないじゃん! 仕事も……奥さんとの兼ね合いもあるしさ……」

「先輩はそれでいいんすか!?」

「……」

 一瞬見せる悲しそうな顔。あなたは先輩のそんな顔を見たくないとばかりに身を乗り出した。

「俺も一緒に会います」

「えっ!?」

「会って、先輩じゃ言いにくいことを、はっきり言ってやりますよ」

「やめてっ!!」

 先輩はあなたにすがりつく。

「そんなことしないで……」

「だって先輩! このままじゃいつまでたったって何も変わんないですよ!?」

「変わんなくたっていいの!! 絶対ダメなんだよ。あの人に嫌われるのだけは!!」

「……」

 この心理。十人中十人がやめろと言っても、イケナイ人を愛してしまう女性は確かにいる。

「とにかく帰って。彼氏に君を見られたらひどいことになる」

「……」

 あなたは、帰らざるを得ないのだろうか。

 というか、もし帰らなかったとしても、先ほどの温かみのある気色は戻ってきそうにない。

 これは根が深い……あなたは痛感した。タイムリープする前の、もともとの先輩って今どうなっているんだろう。そんな思いが、頭によぎる。

 とにかく、もしあなたが無理やり彼氏を遠ざけたとして、彼女の気持ちがあなたに向くか……ということを考えた場合、これは今、彼氏と会っていざこざになるのは得策じゃない。

 あなたは先ほどと同じく、先輩の家をそそくさと後にするしかなかった。


 おしまい


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