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夜の公園といえばカップルやガラの悪いの、場所によっては浮浪者などが、ぴーちくぱーちくやっていることも多いが、酒匂公園というのはもう全然……住宅街の谷間にある小さな公園で、人気がない。
周辺住民に風紀委員みたいなうるさいのがいるらしく、何かあるとすぐ通報されてしまうし、そもそもほとんど知られていない場所だ。
あなたは公園の中でも一番死角になっていそうなベンチに彼女を誘う。別にいやらしいことを考えたわけじゃない。あなたなりの風紀委員対策である。
彼女は言われるがまま、端っこにちょこんと腰掛けた。
「喧嘩でもしたんですか?」
あなたはその隣に座る。香水か。近くに座ると、先輩からは女らしい匂いが運ばれてくる。
それが……すっきりとさわやかな果物のようで、なんだかおいしそうというか……つい、自分の胸の中に引きこんで貪ってしまいたい気持ちになる。特に夜に二人きりとか……。
女子はそんな気もないのかもしれないが、その匂いや露出は、男にとっては反則だ。
『飛んで火に入る夏の虫』というけど、焼け死ぬと分かっていても飛び込みたくなってしまう虫の気持ちが、女子の無自覚には伝わらない。
露出といえば、先輩はミニスカートである。ふっくらした白い太ももが、夜なのに一層まぶしい。
手を伸ばして下着を少しずらせば、もう先輩の身体の中に到達してしまう。……そんな距離にあなたはいて、先輩を見つめているのだ。そういう目で見るつもりはなくても呼吸が浅くなってしまうのは、ある意味しかたがない。
実際にこの時間を生きていた時も、この日はあった。その時もやはり先輩のみずみずしさにドキドキしたものだったが、わざわざ"ヤリに"戻ってきたあなたには、なおさら目に毒も猛毒。赤マムシも走って逃げ出すほど、猫まっしぐらだ。
そんなあなたの白濁液にまみれた感情も知らず、先輩は「んーー」とか、のんきに思考をめぐらせている。
「ケンカっていうケンカはないんだけどね」
あなたのエロ心を取り残して、先輩の声が少しずつ重くなっていく。
それで、ふとあなたは我に返った。そうそう、今は彼女の苦悩を聞いてあげなければ……。
あなたはその"けど"の先を聞くために座りなおしたが、その後しばらく先輩の声は途切れてしまう。どこを見るでもなく向こうに目をやったまま、呼吸を忘れる時があるのか、たまに大きくため息をついてみたり……。
「冷めちゃった……とか?」
あまりに言葉が返ってこないので、あなたはぺろりと余計なことを口走った。
しかし、実際はそういう次元の話でもないらしい。やがてその大きな瞳が、あなたの視線を釘付けにした。
「実は、君にも言ってなかったけど、わたしの彼氏って……結婚してたの」
「ええっ!?」
あなたはここで、必要以上に驚いた。なぜかというと、あなたが以前、実際にこの時間をすごしていた時と、少し話が違うのだ。
しかし、先輩の方はそんな事情を知るわけがない。素直に驚いたと受け止めたあなたに、弁解めいた言葉を吐く。
「わたしもはじめは知らなかったんだよ」
言って、すぐ言いなおす先輩。
「はじめはっていうか、少し前までは……」
「不倫っすか?」
聞くまでもないことを聞いてしまうあなたの動揺ぶりが覗える。
だって少しは憧れている先輩なのだ。その先輩が"ついで"のように扱われている事を知れば、軽い憤りすら覚えるのも無理はない。
「まぁ、そういうよね。世間一般では……」
「で……」
先が聞きたい。あなたはせかすように言葉を促した。先輩は「ウン……」と乾いた相槌を打って、
「それでも、わたしは気付かないフリを続けてて……」
「え……」
「それがさ……どうなのかなって、やっぱり思っちゃうんだよ」
「……」
少なくとも、当時のあなたには対応できない事柄だ。そんな大人っぽい痴情が身の回りで起きているとはまさか思わなかった。
「ホントは、君とこんな風に二人きりで会って語り合ってるのだって、あんまりいいことじゃないのかなって思ったりもするんだよ?」
「どうして?」
「彼、やきもち焼きだからね。付き合ってるのに他の男の人と二人でこんな風に話してるなんて……」
「いや、だって……そういう問題じゃないっすよね?」
「理屈じゃね、わかってるの」
惚れた張ったは理屈じゃない。すでに結婚している男でも……好きなものは、好きなのだ。
「でも……!!」
「うん。わたしも、その『でも』を思ってるよ。だからちょっと……疲れちゃってさ……」
「……」
その『疲れちゃって……』は、相談が違ったあの当時にも言われた。
当時のあなたにはその時の先輩の首筋がものすごい大人っぽく見えて、しばらく声も出なかったけど、その上で、「そうそう歳も変わらない先輩なのだ、自分だってもう大人の男なのだ」と……そういうプライドが働いていた。
その時並べた言葉を、もう一度繰り返すあなた。
「先輩。先輩の気持ちはあるかもしれませんけど、その関係はやめたほうがいいっすよ。それ、深くなればなるほど、先輩ばっかり傷つくじゃないっすか」
「ウン……」
きっとすでにそんな葛藤はずっと前から持っているものなんだろう。それに苛まれた挙句の「疲れちゃって……」だ。しかしあなたの限界は当時そこだったし、変なところで史実を動かすと厄介な気は、時間旅行をしているあなたも感じている。
だから、当時の言葉をあなたはとにかくなぞった。当時も、彼氏が結婚しているという事実こそなくても、二股かけられていることは同じだったから、言葉はそのまま当てはめられる。
「先輩はもっと自分を大事にしてください。彼氏の方は付き合い始めから確信犯じゃないですか。初めからその気もないのに付き合ってたってことですよ?」
「うんうん……そうだよね」
「先輩のこと、大事に思ってない証拠じゃないですか」
「大事には、してくれるんだよ……?」
先輩は、その彼氏を弁護するように言葉を差し込んだ。
「包容力のある人なんだと思う。奥さんを大事にして……わたしにもちゃんと時間を割いてくれるし……」
「なにいってんすか。そういうのを包容力とか言わないでくださいよ」
ひどい男だ、殴ってやりたい……とまで言い放つあなた。
それは青臭い感情なのかもしれないが、だからこそ……そんな風に青臭くぶつかってきてくれるあなただからこそ、きっと先輩は、あなたを信頼している。
信頼しているからこそ、話すつもりもなくファミレスを後にしたのに、あなたのちょっとした一言で家に帰るのをやめてしまったのだ。
今、あなたの言葉は、彼女にとって、大きな意味を持っている。
「わたしも、忘れなきゃと思ってはいるんだよ? 奥さんのためにもさ……」
「俺にとっては奥さんはどうでもいいっす。先輩のために、お願いします」
「うん……でも、事情もあったりしてさ……」
「事情……?」
「うん……」
「なんすか、事情って」
「……」
公園から一度会話が消える。すず虫が鳴いて、星が瞬いて……ブランコが見える。すべり台も見える。……風紀委員が見えないことが幸いだ。
そしてポツリ……先輩の澄んだ声……
「なかなか……忘れられないんだよ……」
だって、黙っていれば、最愛の彼氏はまた目の前で笑ってくれるのだ。自分が愛人の立場で我慢しさえすれば、もう少し幸せな気分でいられる気がする。
彼女は今、そういうニュアンスを匂わせたし、それは充分にあなたにも伝わってきた。
あなたは絶句した。理屈を通り越して感情の虜になると、こうも周りが見えなくなるものか。その想いの重さは当時を振り返っている今のあなたでも経験のないことで、継ぐ言葉を見失ってしまう。
でも、とにかくなにかを言おうとした。
「先輩の人生っすから、先輩が決めたことに俺はとやかく言える権利はないと思うんです。けど、俺は、そんな先輩、嫌です」
「……」
「繰り返しますけど、その先に先輩の幸せはない。早くその関係を清算して次に目を向けないと先輩が不幸になります。ホントお願いします。そんな先輩見るの、嫌なんです」
あなたは、「ヤリにきた」だけのわりに、この世界に対してやけにお節介を焼く。あなたのもともとの性格がこういう話を放っておけないのか、それとも先輩に対する想いがやはり特別なものなのか……。
分からないが、自分の立場を甘受している愛人の多くが『余計なお世話』として捉える言葉をあなたは吐いた。しかしその正論じみたお節介が、あなたが今の彼女に干渉できる限界でもある。
それは彼女も充分伝わっているし、言葉を受け取ることはできなくても、あなたの必死さは受け取っているようだった。
……彼女は、あるところでふと中空を見上げ立ち上がった。必要以上に明るい声で、空に向かって声を投げる。
「なーーんか、どっかに忘れさせてくれるような人、いないかなぁ……」
「そうっすよね」
どこか吹っ切れたような声に、あなたの声が少々興奮の熱を帯びて空を追いかけた。
「きっといますよ。先輩、いい人ですもん。俺、応援しますから」
「ありがとう……」
そして先輩は立ち上がった。「よしっ」と言って……。
「がんばろう! わたし!!」
あなたはその背中を見上げ、少しの充足感を得ていた。
先輩はその後、あなたにその相談を持ちかけることはなかった。
部活を引退して、学校を卒業して……数年後送られてきた年賀状には、幸せそうな先輩の花嫁姿が写されていた。
それが、その男なのかは知らない。調べる余地もないし、もはやあなたには関係のないことだ。
あなたは青春時代の少しだけ甘い、ほのかな想いに胸を燻らせながら、その年賀状を、苦笑いと共にテーブルへと弾く。
後日、そのハガキはお年玉抽選で干支の切手シートが当たりましたよと。
めでたしめでたし
おしまい
…………
……
……って、チョットマテ。
あなた……って言うかオマエ。なにもう一度時代を繰り返してるんだよ。これじゃ単なる青春の一ページで話が終わっちゃうじゃないか!
冒頭に言っただろう?
あなたは今になって思っているはずだ。
「アイツは、実はあの当時、俺のことが好きだったんじゃないか?」と。
そして今はもう童貞じゃないあなたは気付いているはず。
「あの場面って、もしかしたらヤレたんじゃないか?」と。
現場にいると気付かない。未経験だと気付けない。だからこそ。今日は一つの機会を用意してみた。もう一度あの時に戻って……もしも戻ることができたなら……。
と……。
せっかく戻ったというのに、なに当時の青臭いままのあなたを繰り返しているんだ。「俺、応援してますから!」じゃ何のフラグもたたないだろ!?
もうホントに……終いにゃ『ホトケビーム』食らわすよ?
あなたはもう気付いているはずだ。先輩は当時、あなたに好意を抱いてた。
いや、実際は好意というにはあまりにほのかな感情だったかもしれない。だけど、あなたの一言で、彼女の心はまるで、小さな石の上に積まれた大きな石のように、ぐらぐら動いていたことは間違いない。
あなたへの心の開き方も踏まえて、あの不安定な情緒につけこめば、先輩をヤレるチャンスは必ずある。
なにも結婚しなくていいし、正式に付き合うんじゃなくてもいいんだ。
一夜限りでも、あこがれの先輩の甘い汗をあなたの身体で吸い尽くす事ができれば、この時間旅行には意義があるじゃないか。
先輩の抱えている苦悩なんて解決しようとしなくていいから、とっととヤるだけヤって、この時間旅行を終わりにしよう。
とりあえず、あの先輩はヤレる。……さっきのを見て、そう思った場合は挙手!……思わない場合はもう帰りなさい。
あなたと先輩の間には確かに先ほどのような事実があったし、先輩の揺れる想いはあの通り。
その上で、「いやぁ、これは絶対無理だろ」と思うのであれば、シチュエーション自体がこの物語の主旨と当てはまらない。素直に本を閉じて他のシチュエーションを探しにいくべきだろう。グッドラック!
……というわけで生き残った"あなた"達よ。検証を続けていこうじゃないか。
先輩の心理を考えつつ、一体どこに力を加えればあなたの望むとおりになるかを考える。どうせタイムリープなのだ。大胆にいってみよう。