瀬田の唐橋
翌日は結局、太郎はひとりで滋賀県大津市にある瀬田の唐橋に来ていた。
さすがにいきなり旅行に誘われても、姫香が首を縦には振らなかったのは仕方のないことだ。
それよりも太郎には自分が姫香を誘ったことのほうが驚きであった。
太郎の性格は姫香のいうとおり、変わったように思う。
以前の太郎なら断られることを恐れて誘えなかったろうし、もし誘って断られたなら今ごろひどく落ち込んでいたはずだ。
・・・あの夢の後、俺のなにかが変化したみたいだ。
変化と言えば昨日のオラオラ系2人組への自分らしくない対応や、わけがわからない怪力も奇妙だ。
それらの変化の鍵がもしかするとこの唐橋にあるのかもしれない。
実際に瀬田の唐橋に立ってみると、夢とはずいぶん様子が違っている。
夢の橋は完全な木造の大橋だったが、この橋は欄干こそ夢の物に似ているが、橋の中央部はアスファルトで舗装された車道になっている。
あたりの風景も夢のように殺風景ではなく、普通の街並みがある。
・・・あの橋はここではなかったのか?いや、ここで間違いない。
理由はわからないが確信があった。
橋を渡った東のたもとには神社があった。
「龍宮」と書かれた鳥居が目に留まった。
初めて来たのになぜか懐かしい感覚がある。
境内にある由緒書きによると、この神社は瀬田の竜王と藤原秀郷という武将を奉っているらしい。
しかしそれよりも、その由緒書きに添えられた絵が太郎の目を惹いた。
それは鎧兜を身にまとい、弓を手に矢筒を背負った藤原秀郷が巨大なムカデと戦っている図であった。
まさに夢の光景はこれだったのだ。
・・・しかしなんでこんな夢を見たんだろう?過去にこの絵を見たことがあったのだろうか?
しかし夢は絵の記憶というより、もっとリアルな映像だった。
それに細部は絵と違う。
たとえば夢の中の太郎は鎧兜は着ていなかったように思う。
絵では秀郷の傍に女性が描かれているが、そのような女性は居なかった。
・・・あのとき居たのは竜王と保久。竜王姫は竜宮に残っていたはずだ。え?なんでそんな風に思うんだろ?
まるで太郎自身の記憶のように思われたのが奇妙な感覚だった。
太郎は思い立ってスマートフォンでSNSサイトにアクセスした。
自分のつぶやきへのTomyと名乗る人物のコメントに返信してみた。
『瀬田の唐橋に来た。どうすればいい?』
しばらくTomyからの返信を待ってみたが、それは来なかった。
夕方になって、瀬田の唐橋からそう遠くない場所にある安ホテルに太郎は宿をとった。
部屋に荷物を降ろしてから、もう一度SNSサイトにアクセスしてみるが、やはりTomyからの返信はなかった。
そのとき部屋の電話が鳴った。
太郎が受話器を取ると、それはフロントからであった。
「佐藤様にお客様がお見えです」
・・・客?なんでこんなところに?
訝しげに思いながらも、太郎はフロントに降りて行った。
「ああ藤太君、本当にここに泊まっていたんだ。信じられない」
「え、姫香ちゃん?どうしてここがわかったんだ?俺はさっきここに宿を決めたばかりなのに」
姫香はしばらくどう説明すれば良いのかを考えあぐねている様子だったが、ようやく口を開いた。
「話は長くなるけど、藤太君はここに泊まることになるんじゃないかと思っていたの」
そして少し躊躇してから話をつづけた。
「それから私もここに藤太君と泊まることになるの。だから部屋を取り直して」