**台第五住宅の惨劇
**台第五住宅とよばれる某県郊外の団地で起こった、機動隊員13名および民間人十数名が犠牲になった史上稀に見る大惨事は、極左組織に属する爆弾製造犯の射殺という形で幕を引いた。
公安警察と所轄の機動隊に追い詰められた犯人が、所有していた爆弾を使用して反撃したことによる惨劇ということだ。
マスコミは公安警察の捜査方法に問題があったのではないかと激しく非難した。
これが報道により世間一般の知るところである。
しかし、これは政府および警察庁が全力を挙げてある事実を隠蔽したものである。
事件が起きる日の午後、その団地はごく平凡な日常風景だった。
高度成長期に建てられたこの団地には若い夫婦者が多く移住して来たため、団地敷地内の公園では彼らの子供たちがたくさん遊びまわっていたものだった。
しかし今では彼らも老人となり、子供の姿もめっきり少なくなってしまった。
少なくなったとはいえ3人ほどの子供たちが遊ぶ団地敷地内の公園の傍らを歩く2人の男が居た。
ふたりとも地味なスーツを着ている。ひとりは短髪の40代後半くらいの中年男。中肉中背だが鍛えられた体躯を持つ目つきの鋭い男だ。
そしてもうひとりは、色白でひょろりと背の高い20代の若者。
サラサラした長めの髪でまずまずの美男子ではあるが、線が細い。
彼らは警察庁直轄公安部の係員である片桐洋平巡査部長と部下の若い係員、工藤保久巡査だ。
「昔はなあ、俺たちのような隠密の仕事ももう少しやりやすかったものだよ」片桐が工藤につぶやいた。
「今はちょっとでも目立つことをやるとね、スマホで撮影されてすぐ動画投稿サイトで公開されちゃう。やりにくくなったぜ」
「ですから今回は作戦開始から1時間ほどはこの団地全体の電波を遮断することになったんです。特に我々5課の取り扱う事案は世間には見せられませんから」
工藤がそう答えた。
5課とは彼らの用いる隠語だ。
警視庁公安部には4課までしか存在しない。
彼らの属する課は表向きは警視庁公安部に所属しながら、実態は警察庁直轄という本来存在しない課なのだ。
「しかし、この静かに寂れた団地に本当にコードMが発生しているのかね?」
「最近この付近で多発している猟奇的な殺人事件、そして異常な霊力の発生。間違いなくコードMですよ」
「そうか・・・」
片桐はため息を漏らした。
「できるだけ秘密裡に収めたいものだがな。昔はやつらもその存在を世間に隠したがっていたものだが、最近はなぜか目立つ事件を起こしやがる。奴らの世界で何か変わったことが起こっているのかね?」
「私もそれが気になっています。食い散らかした遺体を放置するなんて以前ならあり得なかったでしょう」
片桐と工藤は団地のひとつの棟の前で立ち止まった。
「ここか?」
「ええ、すごい霊力を感じます。この棟の504号室が特定されています」
「機動隊の到着を待った方がいいかね?」
「我々だけで踏み込むのは危険ですよ。Mの中でもこれはかなりヤバい奴のようですから」
「来るのは所轄の機動隊だが、彼らはコードMを十分に理解している。いざとなれば発砲も許可されている。ここで少し待とう」
棟の階段の入り口付近で2人は機動隊の到着を待った。
しばらく待機していると、ひとりの老女が買い物かごを持って棟の階段を降りてきた。
その姿を見た工藤の顔が青ざめた。そして片桐に耳打ちする。
「・・・片桐さん、このばあさん、M(魔)ですよ」
「なに、本当か?まいったなどうする?」
「外に出かけられたら作戦上マズいですね。仕方ない捕獲を試みましょう。片桐さん、注意を引いてください」
片桐は努めて平静を装いながら老女に話しかけた。
「こんにちは。お出かけのところどうもすみません。私、水道局の者です」
「はあ、水道局の方?」
老女は答えた。ごく普通のばあさんに見える。片桐は話をつづけた。
「実は最近この棟で大規模な水漏れが発生していると通報がありまして調べているのですが、何か気になることはありませんか?」
「さあ?私の家は特にそういうことはありませんね」
工藤は老女の背後から回り込むように近づきつつ、スーツの内ポケットから発煙筒のような筒状のものを取り出した。そして老女に声を掛ける。
「すみません、ちょっとこれを見ていただきたいのですが」
「はあ?」
老女が振り返った瞬間、筒口を老女に向けた。
ポンと音がして筒口からなにか蜘蛛の巣のような網が飛び出し、老女の身体に覆いかぶさった。
「うわっ!何をするんですか?」
老女は驚いて叫んだ。工藤は老女に向かって言った。
「この網は魔封じの霊糸で編まれています。人間にとってはただの絹糸だから簡単に破れる。しかし魔物には鉄より硬い網だ。どうです、破れますか?」
老女の目は真っ赤に充血した。
「く、くそう・・」
そしてその顔に明らかな変化があった。
彼女はもはや老女ではなく、20代と見られる若い女であった。
紅を差したように赤い唇から、牙のような白い糸切り歯が覗いている。
「あれ?片桐さん、この女ただのM(魔)じゃありませんよ。これはVです。吸血鬼だ」
「Vだと?まだ日があるのになんでVが出歩けるんだ?」
「さあ?しかしとにかく捕獲は完了しました。機動隊が到着したら、彼らに移送してもらいましょう」
「そうか。わりとあっけなかったな」
片桐がそう言った瞬間、大きな音がした、
頭上の団地の5階の窓ガラスを破って、何かが飛び降りてきたのだ。
ズーン!と地響きを立てて2人の数メートル先の地面に落ちてきたのは、人の姿に似ているが異形の者であった。
スラックスを履いているが上半身は裸である。
その全身を銀色の剛毛が覆っていた。手足が異常に長く、脚はやはり剛毛の生えた脛の部分がスラックスの裾からはみ出している。
異形の者はゆっくりと立ち上がると、その身長は2m近くあっただろう。
顔中に銀色の毛を生やし、口が耳元まで裂け鋭い牙を覗かせているそれは濁った眼で2人を睨みつけ、まるで吠えるほうに叫んだ。
「お前らあああ!俺の女房に何しやがるうううう!!!」
その姿に怯えるようにあとずさりしながら、工藤は片桐に向かって叫んだ。
「マズい、片桐さん。こいつはWです!人狼だ!」