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ある変奏の第一章  作者: ミック・ソレイユ
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透明なガラスのように

 鏡を見る。メイクをする。自分の顔を新しくデザインする。メイクの後に、鏡に映った自分を見ると、少しだけ強い女になったような気がする。正直、容姿は人並みだし、やせっぽちでスタイルだっていいとは思ってない。でも、レッドさんはわたしのことを「美少年みたい」と変な褒め方をしてくれる。ショートカットにしているからだろうか。


 フォー・ザ・バーズというバンドのリーダーだったレッドさんは、わたしの憧れの存在だ。今、レッドさんのところで働いていることは、昔の自分を思うと夢のようだ。


 レッドさんと食事をしたときに尋ねたことがある。


「前にわたしを美少年みたいとおっしゃってましたよね。例えば、どなたのことなんでしょうか?」


 彼女は少し考えるようにして、


「そうね。特にこれといって似てる人がいるわけじゃないのよね。なんていうか、例えばだけど、川端康成の『美しさと哀しみと』っていう小説、読んだことない? そのお話に「けい子」という女の子が出てくるの。その子のイメージに近いような気がするんだけど。まあ、あんまり気にしないで」と、微笑みながら答えてくれた。


 普段わたしはあまり本は読まない。けれど、『美しさと哀しみと』はいつか読んでみようと思っている。 


 レッドさんのささやくようなヴォーカルは、声そのものが美しい楽器の音だ。歌が終わっても甘い余韻が耳に残り、わたしは歓びに震えてぞくりとする。


 フォー・ザ・バーズのライヴにもよく通っていた。ライヴは、バンドとオーディエンスの一体感があって、よりダイレクトにわたしは没頭する。フォー・ザ・バーズの演奏が始まると、轟音の壁が次々に現れて、天上に向かって立ち上がっていく。フィードバック・ノイズがわたしを突き刺して、わたしの全身は共鳴し始める。辺りは真っ赤なバラに囲まれる。音の渦にわたしは巻き込まれていく。心地よい刺激に突き動かされる。わたしは力が抜けて、ふわりと空中へ投げ出される。あたたかい透明な液に包まれていく。バラの花が一斉に散り始めて、空中が赤く染まっていく。どこからか微かに波の音が聴こえる。わたしは泡にまみれて深海へと沈んでいく。暗い海底に着くと、わたしは空の光へと浮かび上がっていく。音の塊は止めどもなく押し寄せてくる。今度は黄色いバラが一面に咲き始める。わたしは陶酔の中、上昇と下降を何度も繰り返す。いつの間にかライヴは終わっていて、わたしは放心したまま、透明な液の中から現実世界へと飛び出していく。ライヴの帰り道で一人きりになったときは、小さいころのことをいつも思い出していた。


 わたしは、幼いときから目立たない子どもだった。存在感がないというか、いてもいなくても関係ないというか。周りに声をかけてもなかなか反応が得られないし、声をかけられたこともほとんどないようだった。みんなはわたしのことがよく見えていないのだと思った。自分はガラスでできた人形だと思った。


 ガラスの人形は、頭の中で架空の詩の朗読を始める。


「透明なガラスのように、透明な空気のように、存在感がないわたし。

 ガラスはもろく儚い、それはわたしの心のよう。

 ガラスをつたう雨粒、それはわたしの涙のよう。

 ガラスは割れて、かけらを拾うと指を切る。流れる血は赤い濁流となって、ロビーのソファーを押し流していく。

 ガラスは透明というけれど、よく見るとエメラルドグリーンのような、とてもきれいな色をしている。

 雨上がりにはあらゆる景色が洗い流されて、空気がさわやかに澄んでいる。朝の草露がガラスのように緑を映し出している。山麓のみずうみが緑を反射してキラキラしている。ほとりには一頭の白い馬が佇んでいる。

 ガラスの人形は絵を描いている。

 それは多分、何もしないガラスのままだとすぐに割れてしまうだろうし、きっと大人にだってなれないから……」


 わたしの周りには色とりどりの粒子がいて、毎朝「おはよう」と挨拶をしていた。粒子は他の人には見えない、量子のような存在であるようだった。人間の代わりに粒子と他愛もない話をした。粒子はときに波のようでもあり、スポットライトのようにわたしを明るくしてくれた。わたしは粒子のそれぞれに名前をつけて、彼らの似顔絵を絵の具で描いていった。輝く粒々の反復するモチーフは、後に知った草間弥生の作品に近いものかもしれなかった。自分の描いた絵は、わたしをやさしく守ってくれた。肌触りのよい毛布のようだった。絵を描いているときは、子守唄のような静かな音楽が聴こえていた。


 無心に絵を描き続けていたわたしは中学生となった。市の開催した「平和の絵コンクール」に入選した。金賞だった。回転する地球と平和を表すカラフルな光の絵だ。今思うと子どもじみた陳腐な発想だが、きれいな絵の色は人の視線を惹きつけるようだった。注目されるという経験は初めてだったので、戸惑ったことを覚えている。賞状をもらったので、親は珍しくほめてくれた。市民ホールに飾られたわたしの絵を、粒子が黄金のメダルのように照らし出した。わたしの健闘をお祝いしてくれたようだった。先生の勧めもあって、将来は美術系の学校に進むことを決心した。


 高校に入ると学校の勉強はあまりせず、家でデッサンやスケッチなど気の向くまま絵を描き続けていた。友だちと遊んだりバイトをしたりなど、外界と触れ合うような生活はなかなか難しかった。元来ガラスの人形であるわたしには、閉鎖的な生活はお似合いだった。


 家から通えるデザイン専門学校のグラフィック科に受かったので、高校を卒業した後、その専門学校に通うことになった。


 専門学校の休み時間に、教室でたまたま粒子をスケッチしていたら、同じクラスの女の子が声をかけてきた。リカコという名前だった。


「何、その絵? すごくいい感じじゃない?」


 わたしは親しげに話しかけられてびっくりする。それは初めてともいえる神秘的な体験だ。少し間をおいて、心を落ち着けて答える。


「え、そう? そうでもないよ。でも、ありがとう」


「ちょっと見せて。いいでしょ?」


 リカコはわたしのスケッチブックを素早く取り上げて、熱心にわたしの絵を見ている。髪はショートボブで、トカゲとリスを足して二で割ったような、愛くるしい顔をしている。わたしは、自分の波長に近い生物に出会ったように感じていた。


 リカコとは同い年だったこともあって、すぐに仲良くなった。リカコは抜群に絵がうまかった。描く絵だけでなく、古着をうまく着こなしたり、かわいいマーチンの靴を履いていたり、みんなが知らない音楽に詳しかったりで、センスの良さがうかがえた。展覧会にも一緒に見に行った。リカコはポップアートや抽象画が好きで、わたしと趣味が合うのだった。リカコという友だちができて、わたしの心は少しずつ解きほぐれていった。


 フォー・ザ・バーズのことを教えてくれたのもリカコだった。


「このバンド、知ってる? すごくいいんだよね。よかったら聴いてみてよ」

と、わたしにCDを貸してくれた。


「え、いいの? ありがとう。家に帰ったら聴いてみるね」


 わたしはこれまで音楽を熱心に聴くことはなかった。でも、フォー・ザ・バーズはわたしの知っていたこれまでの音楽とは次元が違っていた。愛おしい音の洪水だった。大量のエンドルフィンが流れ出し、たちまち身体が痺れてしまった。瞬時に向こう側へ持っていかれた。思わずリカコにメールした。


「FTB、めっちゃいい。泣けた~」


 わたしはすぐにフォー・ザ・バーズの音源をすべて手に入れ、全曲を聴いたのだった。それにも飽き足らず、ライヴにも通うようになった。まさに、フォー・ザ・バーズのとりことなった日々だった。


 そんな甘い蜜月を過ごしていたところへ、突然のニュースが入った。フォー・ザ・バーズは短い活動期間を終えて解散を発表した。嘘だと思いたかったが、バンドの公式サイトに各メンバーのメッセージがアップされた。解散ライヴは開催されず、ベストアルバムとこれまでのライヴをまとめたブレーレイとDVDのリリース予定のみがアナウンスされた。あっけない幕切れだった。きれいに散った花のようだった。リカコもわたしもショックで口がきけなかった。解散を悲しむファンのツイートが溢れるようにタイムラインを流れていた。わたしはフォー・ザ・バーズをエンドレスで聴きながら、粒子の光に包まれて絵を描くしかなかった。他の音楽は慰めにならなかった。


 フォー・ザ・バーズの解散後、リーダーのレッドさんは後進のプロデュースに力を注ぐことになった。発表の場を作るべく、劇場のようなイベントスペースの新規開業に協力して、アドバイザーに任命された。会場は『赤い小鳥たちのために』と命名された。


 時を同じくして、わたしたちには学校の卒業と就職の季節が近づいていた。リカコは成績がよかったので、大手のデザイン会社に就職が決まった。わたしは就職は決まっていなかったが、あるメッセージが聞こえていた。それは、頭の中に舞い降りた小鳥のさえずりだった。『赤い小鳥たちのために』へ参加するよう勧める鳴き声だった。


 以前には考えられないような積極性が発揮された。勇気を振り絞って、会場のオープニングスタッフの募集に応募した。一次の書類審査に通って、二次の面接にこぎつけた。面接にはレッドさんも同席していた。いくつかの質疑応答があったけど、わたしは緊張でよく憶えてない。ただ、レッドさんにお会いして恍惚とした表情を浮かべたことだけは間違いない。そんな状況だったけれど、頭の中の小鳥はわたしを応援してくれたみたいだった。後日、採用の通知を受け取った。『赤い小鳥たちのために』の会場スタッフとして正式に勤務することに決まったのだ。リカコはとても喜んでくれたし、そんなリカコを見て、わたしもすごくうれしかった。


 フォー・ザ・バーズを教えてくれたリカコへお礼がしたくて、わたしは小さな会を開いた。二人の門出を祝ってわたしたちは乾杯した。グラスがカチリと音をたてた瞬間に、空気が大きく振動した。バレエの伴奏のような軽やかなファンファーレが鳴り響いた。どうやら未来の映像が展開され始めたようだった。目の前には、デザイナーとして成功をおさめたリカコの姿があった。リカコは国内外のデザインの賞を獲得していた。リカコの個展の風景も現れた。ガラスで囲まれた部屋には、先鋭的で美しい作品がいくつも飾られていた。そうした幻影はとてもまぶしくて、わたしは華やかでとても誇らしい気分になった。


『赤い小鳥たちのために』でのわたしの仕事は、主に雑用だ。イベントの準備、片づけ、買い出し、予約の受付、サイトの更新など、やることはいろいろある。忙しいけれど、レッドさんのそばで働いていると思うだけで気が引き締まる。


 レッドさんは最近ご機嫌である。新規のイベントをうちの会場でやることになり、それを楽しみにしている様子だ。何やらコンピューターによってお話が書かれていくような実験的な試みらしい。この前、うちのスタッフが主催の人たちと打ち合わせをしていた。イベント名は『ある変奏』という一風変わったタイトルだ。レッドさんは曲の歌詞を書いていたこともあり、いろいろな本を読んでいて文学にはとても詳しい。レッドさんは今回のイベントへの参加を表明している。


 わたしは、みなさんのお邪魔にならないように精一杯お手伝いをしよう。そして、描きためた絵を、関係者のみなさんに見てもらおうと企んでいる。リカコが褒めてくれた絵が本の表紙を飾ることになればどんなに素敵なことだろう、と調子のいいことを考えながら。

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