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夢の人形

「じゃあ、後でな! ダッシュで帰ってどっちが先につくか勝負だ!」

 ぼくは浩二と海に行く約束をした。汐の流れの影響か、最近海に漂流物が流れ着くと噂になっていた。担任の先生からは危ないから行っちゃ駄目だと言われていたが、その言葉はむしろ僕たちを後押しした。

「おう! 物入れるバケツ持ってくわ!」

 ぼくは大急ぎで家に帰り、自分の部屋にランドセルをほおり投げた。はずみに蓋が開き、中の教科書がぐちゃっと床に散らばったが、意に介さずバケツを探した。部屋にあると思ったそれは見つからず、代わりに母を探した。母はすぐに見つかった。

「かあちゃん!! バケツどこ!」

「なんだ慌ただしい。ただいまくらい言いなよ」

「ただいま! バケツどこ!」

「たぶん物置きにしまったよ。なにに使うの」

「あーあれ、ザリガニ取るの」

「え。やめてよ。臭いついたら取れなくなるし」

「だいじょうぶ。ファブリーズしとく」

 母がまだなにか言いそうだったが、気にせず物置きに急いだ。戸が開いたままの玄関を出て、庭にある錆びた物置きの扉に手をかけた。ギィとためらう音にこれは探すのに骨が折れそうだと覚悟した。バケツは壊れたことにしよう。そう思い、海へと急いだ。


 立入禁止と書かれている網掛けの柵を越え、岩伝いに浜へ降りた。浩二はもう既に来ていた。

「おせーぞ」

「ごめんごめん。バケツ探しててさ」

 見ると海には確かに漂流物が流れ着いていた。でも、流木やら若布が大半のようだ。その中にはバケツもあった。浩二もそれに気づいて言った。

「バケツあるじゃん」

「ほんとだ」

 顔を見合わせてあははと笑った。なんだか必死にバケツを探したぼくが滑稽に思えた。

「さぁ、物色しようぜ」

 浩二がワルそうな顔をしたので、ぼくもそれに習った。お宝をさがす探検家みたいな気分だった。辺りを見渡すと、岩陰になにか四角いものが見える。

「へへっ、こりゃイイもんありますぜダンナ」

 なんだかすぐやられる下っ端の台詞みたいだったが、浩二は満足げにうむと頷いていた。手に取ったのは桐の箱だった。

「開けてみようぜ」

 浩二が蓋に手をかけた。だが、水を吸って膨張したのだろうか上手く開かない。力に自信のある浩二でも開かないのならぼくには無理だと考えたが、そこでふとポケットに彫刻刀を入れていたのを思い出した。

 ポケットから彫刻刀を取り出し、ふたと箱の隙間に入れてグイと力をいれる。すると蓋がだんだん持ち上がり隙間が見えた。そこに彫刻刀を刺し込み、さらにグイと力をいれると遂に蓋が持ち上がった。人形が入っていた。白い髪にツンと澄ました表情。真珠色の身体は一糸まとわず、胸のところには薄いピンクの突起が施されていた。すると人形の瞳がぼくを見たように思えた。なにもかもを見透かすような黒い瞳。まばたきしないその瞳に思わず目をそらした。

「人形か、これ」

 浩二が興味なさげに言った。

「そうみたいだね」

 ぼくはいかにも興味なさげに答えた。浩二はもう完全に興味が無いらしく、他の漂流物の物色を始めていた。ぼくは箱に軽く蓋をして波にさらわれぬよう岩の上に置いた。人形の黒い瞳はすべてを見透かしているように思えた。


 親が寝たのを確認し家を飛び出した。夜中に一人で家を出るなんて初めてだった。懐中電灯で足元を照らしながら進む。風が服の中まで入って身体を冷やしてくる。さすがに夜は冷えるようだ。上着を羽織って来れば良かった。そんな後悔をしつつも脚は着実に海へ近づく。立入禁止の柵に手をかけようとした。潮風が鼻孔をくすぐる。帰ったら潮の臭いでバレるなと思った。だが、すぐにそんなことはどうでも良くなった。ぼくは夢を見た。

 くるくる踊っていた。月の光を浴び、砂浜と海の境目で踊っていた。関節人形とは思えない動き。片足のつま先でたち、もう一方の脚は宙を蹴って廻転していた。真珠色の細くしなやかな脚、長いまつげの下にある黒い瞳、一糸纏わぬ”白鳥”に目が釘付けになる。気づくとぼくは柵を越えていた。人形は黒い瞳でこちらをチラと見ると少し笑ったように見えた。ぼくは彼女に手が届かないくらいの位置で止まった。月の光に照らされ”白鳥”はまだ踊っていた。やがて三十回転ほどしただろうか。月が雲に隠れると、緩やかに動きを止め、廻転していた脚は海におろされ水面が波紋を描いた。

 ……人形はそれから一寸も動かなかった。どうしたのだろうと思ったけれど、さらに近づこうとは思えなかった。砂浜と海の境目が彼女の舞台のように思えた。きっとぼくは観客でしかない。


 私が大人になったいまも人形を好いていることに理由を求めるのは容易い。幼き頃に見た、夢かうつつかもわからぬ詩的世界による影響である。本当にあったことがどうかは分からない。いや、本当に存在したのかなんてどうでもいい。面前に広がる夢のような世界。くるくる舞い遊ぶ白い髪の関節人形。文庫本より少しばかり丈のあるエロティックな人工の身体。潮風に吹かれ月光をまとうその姿は、たとえ現実であっても夢としか思えなかっただろうから。


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