18. 家族
クラスメイト兼共闘プレイヤーの融に叱られておよそ40時間ぶりにリアルに帰ってみると、体が異常に重かった。だるい。だるすぎて空腹感など湧かない。むしろ胃の辺りにむかつきのようなものを感じて雄也は呻いた。
「うう、眠い……はず? でも眠くはないなあ」
不眠不休でゲームし続けた時の、慣れ親しんだ感覚。疲れているはずなのに脳が興奮していて眠れない例のあれ。キンキンと頭を締め付ける痛みが眠気を意識から遠ざける。
「目を閉じるだけでも違うっていうけど」
ゴーグルを外して目を閉じる。眠気は訪れない。
仕方がないので紙とペンを出して、寝転がったまま情報整理を始めた。アナログにも程がある方法だが雄也は気に入っている。こうして書き出してみると案外分かることがあったりするのだ。作業に没頭し、数分だか数時間だかが経過した。
「お腹すかないな……取り敢えず水くらいは飲むか」
台所の戸を開け、雄也はその選択を若干後悔した。
「雄也。いたのか」
……こっちの台詞だよ、と言いたいのは我慢した。
「出張、明後日までじゃなかった?」
「ん。いや。先方の都合でな。次回ということになった」
ふーん。どうでもいいや。のそのそと水道から水を汲み、ほんの少しだけ口に含む。やべ、気持ち悪い。ただの水なのに吐きそう。固形物とか無理だよこれ融。
「また徹夜か」
「大丈夫だよ。ほどほどにしてるから」
「そうか」
「うん」
「…………」
「…………」
それきり喋ることがなくなって互いに黙り込む。父が家にいる時は大抵こんなんだ。
「あー、雄也。今どんなゲームやってるんだ?」
「え」
だからその問いかけにはびっくりしてしまった。そんなこと聞いたの初めてじゃないか?
「えっと……、『ルートヴィヒII』って言って、あの、オンラインの、VRで」
何からどう説明すればいいのか分からない。父の世代はオンラインだのVRだのを知っているのだろうか。え、もしかして全部一から言わないと駄目なのこれ。面倒くさいな。どうして急に興味なんか持ったんだろう。息子との話題探し? 別にいいのにそんなの気にしなくて。
「あ、いや、その。悠人君から聞いてな」
何を? 何だか相槌を打つのも面倒になって目顔だけで促した。義弟もしくは義兄のことは別に嫌ってはいない。好きでもないけど。要するにどうでもいい。向こうもそう思って……ないかも。
「その。お前のやってるそのゲームな。ニュースで問題になってるらしいじゃないか」
「あー……友達から聞いたよ。大丈夫だよ、ちゃんと休憩取ってるから」
嘘はついていない、と思う。現に今はこうして休憩中なわけだし。
「休憩? ん。いや。人間を殴る暴力的なゲームだから問題だって聞いたんだが」
「……初耳」
言われてみればそうかも知れない。ヴァーチャルとは言え殴った感触はリアルにあるし、何よりコンピューターの敵キャラがいないので殴る相手は自分と同じ人間だ。
(でもこれゲームじゃん。リアルで暴力やってるわけじゃないじゃん)
義弟もしくは義兄の茅野悠人はそういうのを気にするタイプだったのか。知らなかった。どうでもいいけど。多分明日になったら忘れている情報だ。
(えっと……何コレ、もしかして心配されてる?)
息子が暴力を覚えるとか犯罪者予備軍になるとか。そんなわけないじゃん大人って馬鹿だなあ。ゲームはゲームでしょ。リアルで同じことやったって疲れるだけだし面白くもないじゃないか。
「大丈夫だよ、ちゃんと気をつけるから」
「そうか」
何をどう気をつけるんだか言った雄也にも言われた父にも分かっていない気がするが、それでもこの話はそれで解決したことになった。同じ家にいても殆ど言葉を交わさないオトナとコドモ。どう対応していいのか困っているのはお互い様なのだ。家族って難しい。
「雄也。来週の木曜日、な。時間、空けておきなさい」
「夜?」
「その。朱美さんと、悠人君と晶君とな。ご飯を食べるから」
「……また中華?」
「ん。ああ。焼肉とかの方がいいのか。お前達の年なら」
いや別にどっちでも。
どうやら父は、別れた妻と、別れた妻が産んだ子どもと、別れた妻の再婚相手の連れ子と、家族団らんというものをしたいらしい。それって誰か嬉しいんだろうか。
大人って不思議だ。同じ生物とは思えないくらい謎だ。何考えてるんだろう。
「それじゃ僕寝るから」
「ああ。うん。おやすみ」
部屋に戻るとどっと疲れて溜め息が出た。父の方も同じ動作をしている気がした。
「よし。休憩終わり」
敷きっ放しの布団に横たわりゴーグルを着ける。わけの分からないリアルより分かりやすくて楽しいゲームの方がずっといい。いそいそと目を閉じる。
***
そうしてヴァーチャルの世界に戻ったユウヤが見たものは。
腹部から血を流してうずくまるチャイナドレス。
血の滴るナイフを構えたピンク色のアリス。
それを遠巻きに見て、何故か怯えるように立ち尽くすふたりの男。
「ミグゥ!?」
「ッユウヤ!? 何で、お前戻ってくるの早いよ、せめて3時間は寝てこいよ!」
「え、いや、トオル……? 何してんの……?」
とても驚いた顔で、クラスメイト兼共闘プレイヤーの黒いマントの男がユウヤを見ている。
「あ~ゆんちゃんだ~お帰りなさ~い」
にこにこと、ピンクロリータが血まみれの手を振った。
「ア、じゃない、ユンチー、早かったっスね?」
いつの間にトオルと合流したのか、あまり喋ったことのない柔道着のプレイヤー。確か名前はセイジとか言ったはずだ。奇妙に馴れ馴れしい態度に訝しさを覚える。
「ゆ、うや、さ」
「っこの馬鹿!」
そうだ今はそれよりも、ミグゥが痛みと失血で顔を青くしている。ユウヤは急いでポーションを取り出した。傷口にじゃばじゃばとぶちまけ、蒼白な顔を乱暴に引っ掴んで上向かせて喉にも流し込む。
「え~ゆんちゃんってば、どうして邪魔するですかあ」
不満を零すロリータ娘を無視して、ミグゥに怒鳴った。
「だからそれ危ないから! 今すぐ痛覚軽減システムをオンにして、ミグゥ!!」
「えっ……?」
驚きの声を上げたのは誰だったのか。
チャイナドレスの青ざめた顔が苦そうに歪んだ。




