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その他短編(一話で完結)

リビドーアパートメント

作者: gojo

 引越しの際、義理の姉である真由美さんが俺に告げた。


「健治くん、ごめんね……」


 軽トラの運転席から父が急かすので、彼女が何を言いたかったのか分からないまま、俺は笑顔で頷いて助手席に乗り込んだ。


 引越し先は実家から徒歩数分のアパート。ここが初めての一人暮らしの住まいとなる。こんな近くに、しかも進路が定まっていないというのに、高校卒業と同時に引越すことになったのには事情がある。

 大学受験を失敗して浪人が確定したその日に、父からこう言われたのだ。


「真由美ちゃんがうちに住むことになった。だから、お前は出ていけ」


 兄の結婚に伴い、新婦の真由美さんが実家に同居するとのこと。


 実家は一戸建てではあるものの非常に狭く、二十四歳の兄と十八歳の俺が、子供部屋という名の六畳間に一緒に押し込められていたほどだ。当然、真由美さんが同居するともなれば部屋が足りず、追い出されるのも致し方ない。いや、それはむしろ有難いくらいであった。

 俺が幼い頃に母が他界し、実家では、祖父、父、兄、俺と、男ばかりの四人暮らしをしていた。むさ苦しいこと、この上ない。ようやっとその生活から解放され、これで再受験に向けて勉強にも身が入るというものだ。

 ただし一点、心配なこともあった。それは、あの男達の館で暮らすことになった真由美さんの存在だ。


 真由美さんは、おしとやかを絵に描いたような女性だ。兄とは高校生の頃から交際していたらしく、初めて会ったのは俺が小学生の頃だった。ちなみに出会った場所は実家。当時、真由美さんも十代で深い意味もなく家に遊びに来ただけだったのだが、彼女は三つ指をつきそうな勢いで父に挨拶をし、更に、人の家で料理を振る舞うという偉業を成し遂げてみせた。

 その姿を見た時、俺は、幼いながらも一つの感情を抱いた。初恋と呼ぶには未熟な、年上女性に対する、そう、憧れだ。


 そんな憧れの女性が、ガサツな男共、通称パンツ一丁族の中で生活するのだ。心配するなというほうが無理がある。とはいえ、同居を最も望んだのは真由美さん自身なので、俺は文句を言える立場にはない。

 つまるところ悩んでも仕様がなく、俺の頭の中の天秤は、心配よりも一人暮らしに対する希望へと傾いた。




 一人暮らしとは言っても実家のすぐ近くだ。差し当たり必要最低限な物だけを運んで引越し作業は完了した。もし足りない物があったとしても、取りに行けば済む話だ。

 お陰で日が暮れるよりも前に俺は暇を持て余し、殺風景な部屋の畳の上で横になった。なんとも締まりのない一人暮らしの出だしだ。


 そうしてボンヤリとしていると、誰かが玄関の扉を叩いた。


「よお、健治。引越しおめでとう」


 親友の村上だ。

 村上は俺が扉を開けると同時に、了承も得ずに部屋にあがり込んできた。


「なにしに来たんだよ」

「引越しのお祝いを持ってきたんだ。ほれ」


 大きな紙袋を手渡される。それはズシリと重たかった。気になって中身を覗いてみると、そこには何冊もの本が入っている。ツルツルとした表紙に女性の写真が印刷された保健体育の参考書。

 噛み砕いて言うと、エロい本。すなわち、エロ本だ。


「な、なんだよ、これ」

「エロ本だよ」

「見りゃ分かるよ!」

「つまり、お祝いだって」


 村上曰く、今までの人生を賭して収集した宝物らしいのだが、さすがに溜まり過ぎたので処分も兼ねて持参したそうだ。


「実家住まいだとさ、この手の物を捨てるに捨てられねえんだよ」


 村上の言いたいことは分かる。俺だってかつて、処分に困ったエロ本を、親に見つからないよう遠くのゴミ集積所まで持って行ったことがある。

 だからといって、「そういうことだから」のひと言で全てを片付けようとする村上に対し、そうなんですね、と素直に相槌を打つ訳にはいかない。ここはゴミ集積所ではないのだ。

 俺は村上に持ち帰るよう要請した。


 だが結局、押し切られてエロ本は我が家で保管することになってしまった。


 村上がバイトを理由に早々と退散し、部屋に残されたのは、俺と、新たな相棒ことエロい参考書。あいにく受験科目にエロという教科は含まれていない。しかしながら全く必要ないかというと、そうとも言い切れないので困る。十代男子は煩悩の権化だ。そんな煩悩野郎にとって発射のためのカタパルトは必需品だ。つまり、必需品なのだ。ましてや実家にいた頃は兄と相部屋だったので、コソコソと発射しなければならなかった。それが、今は、堂々と、いけるっ。


 なんだかんだ俺は村上からのお祝いの品を堪能した。まあ、こういった物が多少はあっても良いだろう。そう納得したのだ。


 ところが、その翌日には事情が変わった。


 一人暮らし二日目、昼頃に目を覚まし、朝食兼昼食の菓子パンを貪っていると、また誰かが訪ねてきた。村上か?などと思いながら扉を開けてみれば、そこには高校時代の後輩が申し訳なさそうな顔で立っていた。


「健治先輩、頼みごとがあるんです……」


 そう言われてしまったのでは話を聞かざるを得ない。俺は、「あがれよ」と、偉そうに親指で室内を示し、後輩を招き入れた。


「実は、これを引き取って欲しいんです」


 まるで黄金色の菓子でも差し出すかのように、後輩は風呂敷に包まれた荷物を畳の上に滑らせた。

 越後屋、お主も悪よのぉ。そんなことを思いながら包みを解く。


「これはこれは……エロ本じゃねえか!」


 事情を尋ねると、後輩は衝撃的な事実を口にした。


「村上先輩から聞いたんですよ。健治先輩が、処分に困ったエロ本を引き取ってくれるって……」


 おいおいおい、どうしてそんな話になってんだよ。

 村上に対する文句は一先ず置いといて、とりあえずそんな噂話を鵜呑みにした後輩に説教をしてやろうと思った時、またもや誰かが訪れた。

 やや辟易しながらも扉を開ける。すると、そこにはもう一人の後輩がいた。


「健治先輩、引き取って欲しい物があるんです……」


 それ以降も、ひっきりなしに後輩やら友人やらが我が家を訪れ、もれなくエロ本を置いていったのであった。




「健治くん、ちゃんとご飯食べてる? 不摂生で体調を崩したりしてない?」


 真由美さんが心配そうな面持ちで俺の顔を覗き込む。

 俺は大袈裟に相好を崩し、問いに答えた。


「まだ一人暮らしを始めて三日目ですよ? 元気に決まってるじゃないですか」


 この日、俺は真由美さんに誘われて実家に晩飯を食べに来ていた。どういう訳か心配をしてくれたのは彼女だけで、血の繋がった男共はいつも通り黙々と飯をかき込んでいる。


「元気なら良かった。だけど、受験勉強をしながら自分で食事の準備をしたりするのは大変でしょ? いつでも遊びに来て良いからね」


 わずか数日で真由美さんは家主の風格を有している。もともと俺の家族と仲が良かったとはいえ、凄まじい適応能力だ。彼女に対する不安はどうやら杞憂で済んだようだ。

 俺は秘かに胸を撫で下ろし、遠回しに断りの文言を述べた。


「大丈夫ですよ。ここで生活していた頃から自分で食事の用意をすることは多かったですし。だから安心してください」


 ところが、真由美さんは引き下がらなかった。


「じゃあ、たまには掃除をしに行ってあげようか?」


 ギクリッと頭の中で擬音語が明滅する。あんなエロ本だらけの部屋を見せる訳にはいかない。俺は慌てて手を振った。


「そ、そんなことはさせられません!」

「遠慮しないで良いんだよ。私達は姉弟なんだし」


 その時、俺の心情を覚ったのか、ずっと黙っていた兄がいやらしい笑みを浮かべて口を開いた。


「おい真由美、十代男子の部屋には、人に見せられない物が一つや二つ置いてあるもんなんだよ」


 クソ兄貴め、余計なことを言いやがって。それと、これは訂正させて貰おう。見せられない物は一つや二つではない。部屋を埋め尽くすほどだ。


 幸いにも真由美さんはこういうネタに関して察しが悪く、不思議そうに首を傾げるだけであった。俺は下手に詮索されたら面倒だと思い、食事を終えると、逃げるように実家を後にした。




 自宅アパートに戻ると、玄関の前に村上がいた。長いこと俺の帰りを待っていたのか、村上は目が合うなり、すがるように声を掛けてきた。


「健治、遅えよ。どこ行ってたんだよ」

「実家で飯を食ってきただけだよ」

「聞いてくれ。大事な話があるんだ」

「奇遇だな。俺もお前に言ってやりたいことがある」


 部屋に入って腰を落ち着け、俺は村上に対して文句を言った。


「村上、俺はいつからエロ本回収業者になったんだ? 変な噂を流すなよ」


 すると、村上は早口にこう答えた。


「一昨日、バイトの後に後輩達を誘ってカラオケに行ってさ。その時に、『健治にエロ本をプレゼントしたら腰を振って喜んでたぜ』って言っただけだ。そんなことよりよ、俺の相談を聞いてくれよ……」


 聞き捨てならないことをサラッと言われた気もしたが、村上がいつになく真剣な面持ちをするので、俺は居住まいを正し、耳を傾けた。


「健治には黙っていたんだけど、俺、彼女がいるんだ」

「そ、そうなんだ……羨ましいな……」

「でも、もう別れようと思う」


 どうやら恋の悩みのようだ。しかし恋愛経験のない俺に相談をされても、何も出来やしない。そう思った時、村上は意外なことを口にした。


「実は今日、彼女を連れてきてるんだ」

「は? そういうことは早く言えよ。外で待ってるのか?」


 尋ねると、村上は鞄から折り畳まれたビニール状のナニカを取り出し、それに小型の手動式エアポンプで空気を入れ始めた。


 シュコシュコシュコシュコシュコ……


 次第にナニカが、女性の形に変化していく。


 シュコシュコシュコシュコシュコ……


「む、村上、もうオチは読めた。それ以上、膨らまさないで良い。やめろ」


 そう訴えたのだが、村上は聞く耳を持たず、ビニール状のナニカに空気を入れ続けた。やがて、俺の目の前にビニールのような艶肌をした、と言うより、ビニールで出来た全裸女性が姿を現した。


「健治、紹介するよ。俺の彼女だ。この彼女を引き取……」

「持って帰ってくれ」


 村上の言葉に被せるように冷めた調子で言うと、村上は両手を広げ、わざとらしく肩をすくめた。


「はあ? 冗談だろ? せっかく最後まで空気を入れたのに」

「途中で止めただろ!」

「これ、膨らますのが大変でさ、使う度に空気を入れたり抜いたりマジで手間なんだよ。でもここなら膨らませたまま保管できるだろ? だから引き取ってくれ」

「断る!」

「彼女と別れるという俺の苦渋の決断を無駄にするのか!」

「知ったこっちゃねえよ!」


 その後、しばし口論を繰り広げたのだが、村上は一向に引き下がろうとはせず、根負けした俺は村上の元カノと同居することとなった。ただし使用済みの元カノに手を出す気にはなれず、あくまで個性的なオブジェとして居候させるだけだ。


 部屋の片隅から虚ろな目で俺を見つめる等身大の人形。厄介な物を受け取ってしまった。だが、これは壮大なドラマの序章に過ぎなかった。後悔先に立たずとは世の理。つまりだ、俺は大きく後悔することとなった。

 分かり易く言うと、その日以降、エロ本にとどまらず、エログッズも大量に我が家に届けられるようになったのである……



 ■例1、友人Kの場合


 K「健治、アダルトビデオを受け取ってくれ」

 俺「ビデオって、VHSテープじゃねえか」

 K「うちのデッキが壊れて見れなくなっちまった」

 俺「ここにもVHSのビデオデッキなんてねえよ」

 K「じゃあ、パッケージの写真だけで頑張れ!」



 ■例2、友人Oの場合


 O「この伝統的民芸品をやろう」

 俺「コ、コケシ?」

 O「うん。しかもバイブレーション機能付きだ。分かるな?」

 俺「使用用途は想像できたが、ここに持ってくる理由が分からん!」

 O「棚が寂しいだろ? 飾れば華やかになると思うぞ」



 ■例3、後輩Gの場合


 G「先輩、依頼の物をお持ちしました」

 俺「何も頼んでねえよ! だいたい何だそれ!」

 G「ナース服です」

 俺「残念ながら俺にはそれを着て貰う相手がいない!」

 G「勘違いしてません? これは着せる物ではなく着る物です」



 ■例4、隣人Aの場合


 A「不要になったエログッズの回収場所はここですか?」

 俺「違います」



 然して親しくない人からも貢がれるようになり、日に日にエログッズが増えていく。部屋の棚には色とりどりの民芸品が並び、ハンガーラックには各種コスプレ衣装。村上の元カノに至っては、誰が装着させたのか、セクシーなボンテージコスチュームをまとっている始末だ。そして畳の上には大量のエロ本とアダルトDVDが平積みにされている。

 その上、頻繁に引き取り依頼の電話もあった。このままでは更に噂が拡大し、遠方から郵送で荷物が送られてきてもおかしくない。

 もはや、受験勉強どころではなくなっていた。




 そんなある日、また電話が鳴った。どうせ引き取り依頼だろうと考え、無視するつもりだったのだが、通知を見ると発信元は実家だ。さすがに家族がエログッズをここに持ち込むことはないと判断し、俺は通話ボタンを押した。


『健治くん、勉強ははかどってる?』


 その声は、真由美さんのものであった。


「え、あ、はい、バリバリ、頑張ってます……」

『それは良かった。ねえ、明日って時間ある?』


 俺は返答に困った。実際には何も予定はない。しかし、これが単なる食事の誘いであれば問題はないが、万が一掃除に伺うという内容であったなら、空いていますと答えるのは悪手。かといって、勉強を頑張っていると言ってしまった手前、遊びの予定が入っていると答えるのも心象が良くない気がする。

 考えた挙句、俺はこう返事をした。


「予定はないですけど、勉強に集中したいです……」


 すると、少し間があってから真由美さんは暗い声でこう返してきた。


『健治くん、ごめんね……』


 それから当たり障りのない挨拶があって、電話は切れた。


 意味深な余韻が漂う。なんだったのだろう。真由美さんは俺に何か伝えたいことがあったのだろうか。考えてみれば、義理の姉とはいえ俺に対して詮索し過ぎな感がある。それに引越しの時にも謝罪の言葉を口にしていた。

 ひょっとして、やましいことがあるのか?


「まさか」


 と、一つ零し、俺はある可能性について考え始めた。

 俺と兄は性格も外見も似ている。要するに、真由美さんが俺に対して好意を抱いていたとしてもおかしくはない。もしかすると、彼女は禁断の恋を望んでいるのかも知れない。


 ふと一枚のDVDのタイトルが視界に入る。そこには、『爆乳兄嫁の誘惑』と書かれていた。いや、あの人は爆乳ってほどじゃないっすよ。心の中で丁寧なツッコミを入れ、俺は雑念を振り払おうと早めに布団に潜り込んだ。


 その夜、俺は、誰にも言うことの出来ない、恥ずかしい夢を見た。




 翌日の夕方、再び村上が遊びに来た。


「いやぁ、壮観な景色だな」


 村上は室内を見渡し、恍惚とした表情を浮かべた。


「全部お前の所為だからな」

「悪りい悪りい。しかし、なんでムチやロウソクもあるんだ?」

「俺が知りてえよ!」


 この日の村上は手ぶらであった。どうやら我が家に集まったエロ本やエログッズを物色しに来たらしく、熟練の鑑定士のように一つひとつの品を観察している。

 俺は呆れて、畳の上で横になることにした。


 それからしばらくすると、村上が提案をしてきた。


「DVDの中身を確認しようぜ。これが面白そうだ」


 よりにもよって指し示されたのは『爆乳兄嫁の誘惑』。俺は思わず叫んだ。


「それは駄目だ!」


 しかし、その反応がかえって好奇心を刺激してしまったらしく、村上は容赦なくDVDをプレーヤーにセットし、再生ボタンを押した。


 目の前で肌色のモザイクがチラチラと蠢く。


 その内容はタイトルの通りで、現実にはそうそうあり得ないシチュエーションではあるが、アダルトDVDとしてはありきたりなものであった。

 けれども前日に見た夢の影響もあってか、俺の中の煩悩指数が、火にかけられたヤカンのように沸々と音をたて、上昇していった。

 こ、これは、イカン。そう思った時、村上が呟いた。


「こ、これは、イカン」


 お前はエスパーかよ。そんなことを思っていると、村上は自身のベルトに手をかけ、勢い良くズボンを脱いだ。


「おい、なんで脱ぐんだよ!」

「もう我慢できねえ。解放してやらないとジーンズがきついんだよ」


 次いでパンツまで脱ごうとする。


「汚ねえもん見せようとすんな!」

「俺のスタチューオブリバティを汚いもの呼ばわりするな!」

「なんだよその不相応な二つ名は!」

「ゴチャゴチャ言ってないで、お前も脱げよ!」

「やめろぉぉぉ!」


 尻丸出しの男に襲われるという意味不明な状況の中、俺は頑なに脱ぐことを拒んだ。何故なら、俺だってジーンズがきつい状態だったからだ。兄嫁というキャラクターで興奮していたなんて、死んでも知られたくない。


 その時、扉を叩く音が聞こえた。俺は落ち着いた声色で、「客が来た。ちょっとタンマ」と述べ、深呼吸をしてから玄関へと向かった。


 扉を開けると、憧れの笑顔がそこにあった。


「やあ、健治くんの好物の天ぷらを作ったんだ。ホントは揚げたてを食べて貰うつもりだったんだけど、勉強が忙しいみたいだからお裾分けを持ってきたよ」


 放心して何も言えずにいると、真由美さんは、「友達が来てるの?」と言い、俺の肩越しに室内を覗き見た。当然ながらそこにはエログッズの楽園が広がっている。しかも、尻を出した男というオプション付きだ。


 真由美さんは咄嗟にうつむき、押し付けるように天ぷらを差し出してきた。


「ご、ごめん……」


 そして逃げるように去っていく。俺は慌てて後を追った。


「ま、待ってください!」


 真由美さんが足を止め、ゆっくりと振り返る。街灯の明かりの下、赤く染まった頬を確認できる。


「これには事情があってですね……」


 誤解を受けたまま帰らせてはならないと思い、俺は説明をしようとした。ところが、それを遮るように真由美さんが口を開いた。


「だ、大丈夫、さっき見たことは誰にも言わないから安心して。男の子だもんね。そういうことに興味がある年頃ってことも理解してる。うん、理解してる。ちょっと、ビックリしたけど……」


 ちょっとというのは嘘だろう。男の俺であっても、何の予告もなしにあんな部屋を見せつけられたら、とてつもなく驚くに違いない。


「変なものを見せて、すみませんでした」


 とりあえず頭を下げる。すると真由美さんは柔らかく笑って、再び語りだした。


「本当に平気だよ。どちらかと言うと、ほっとしてる……」


 俺は意味が分からず、ただ首を傾げた。


「わたし一人っ子でさ、その上、父親も不在がちだったから男性ばかりの家に憧れがあったんだよね。それで同居を申し出たんだけど、その所為で家から健治くんを追い出すことになっちゃって、責任を感じてたんだ……」


 ようやく真由美さんが俺に謝罪をした意味が分かった。彼女はずっと俺に対して負い目があったのだろう。だからこそ執拗に詮索してきたに違いない。

 俺は、自身の自意識過剰振りに嫌気が差し、苦笑いを浮かべた。


「でもね、健治くんの部屋を見て安心できたよ。楽しんで生活してるんだなって実感できたの。一人暮らしを謳歌してるんだなって」


 無理矢理エログッズを押し付けられただけです。そう言おうとしたが、やめた。一人暮らしを楽しんでいると思い込んでいる人に対して、わざわざ困っていますと告げる必要なんてない。


「は、はい、俺は、楽しんでいます。だから、真由美さんも新婚生活を楽しんでください。あ、今更ですけど、結婚、おめでとうございます……」


 そう言うと、真由美さんは首を傾げて微笑んだ。

 ちっくしょう、素敵な顔しやがって。




 部屋に戻ると、村上が申し訳なさそうな顔で立っていた。既にズボンもちゃんと履いていて反省をしているようだ。

 俺はその様子を見て笑顔を作り、大きな声で言い放った。


「村上、脱げ! 一人暮らしを楽しもうぜ!」



リビドーアパートメント 了

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