テューナ・ヘレニス・ヴァン・コルドール【職業:騎士】 18年目の憂鬱
わたくしテューナ・ヘレニス・ヴァン・コルドールの朝はランニングから始まります。物心ついた頃から始めている日課の1つであり、騎士となった今でも欠かすことなく行っています。
デュンヘン王国の大貴族である我がコルドール家の敷地はものすごく広いのですが、毎日走りこんでいるだけあって全く息切れすることなく敷地内を3周してきました。
ランニングの後は3本の鉄剣を束ね1000度の素振りを行います。これも昔から行っていること(流石に子供の頃は木剣1本でしたが)で、自らの力量に合わせて重さを増やしています。
ランニングと素振りが終わると、お父様たちとの朝食の前に湯浴みをします。汗臭いまま食事なんて失礼ですし不衛生ですからね。
侍女たちによって淡い黄色をした簡素なドレスを着せられます。最初は慣れませんでしたが、服の構造上1人で着ると大変時間がかかるため今はありがたいと思っています。
大きな屋敷の廊下を歩いていると、まだ生まれたばかりの妹を抱きかかえた母様と会いました。
今日は薄紅色のドレスを着て3人の侍女を連れています。
「おはようテューナ。今日もいい天気ね。」
「おはよう御座いますお母様。イレイナもおはよう御座います」
可愛い妹にもご挨拶をします。わたくしと同じ淡い赤髪に緋色の瞳をした彼女は今年の夏に生まれて半年しか経っていません。家の方針で物心が付くまではお母様自信が子育てをすることになっている我が家です。きっと良い子に育ってくれることでしょう。
他愛ない話をしながら食事の席につきます。すでに当主たるお父様は席におり、いかつい髭とつり上がった目を細めて不機嫌そうな顔をして待っていました。と言っても元々不機嫌そうな顔をしているだけで別に気分が悪いわけではないのですけれどもね。
実際イレイナを見た瞬間破顔して赤ちゃん言葉で「パパでちゅよ~」と話しかけていました。
お母様から「悪影響を与えますからやめてください」と釘を刺されてシュンとしてる様は、デュンヘン王国元騎士団長とは思えません。
「おはよう御座いますお父様」
「う、うむおはようテューナ。日課の後だ。腹が減っているだろう座りなさい」
はしたないですがお腹は減っています。減らすために運動していたのですから。それくらい我が家の料理長の作る料理は美味なのです。
パンやスープ、サラダといった料理が長いテーブルに運ばれてきます。今コルドール家にはお父様、お母様、わたくし、イレイナの4人と使用人、それに居候している賢者様2人しかいません。去年までは20歳離れた兄と1つ下の弟、それに5つ上の姉様がいましたが、それぞれ騎士団長、騎士団員、隣国の第2王子に嫁ぎいなくなってしまいました。
空席の多くなったテーブルでカチャカチャと食器の音が響きます。お兄様たちがいなくなってしばらくはお父様もお母様も寂しそうに食事をされていましたが、イレイナが生まれてからはその反応を楽しむようになり段々明るくなってきています。
「ダメですよバルトー。そのミルクはもう少し冷まさないとイレイナには熱すぎます」
「おおそうか! すまないイレイナ少し待っておくれ」
お母様に注意されてバルトー父様が申し訳なさそうにイレイナに謝り、ミルクをスプーンで掬いフーフーと冷ましています。元騎士とは思えない父親っぷりにわたくしも思わず笑みがこぼれていましまいます。
お母様は今年で50を超え高齢出産であったものですから母乳が出ませんでした。乳母でもよかったのですが、朝の席だけは一緒にいたいというお母様たちのお言葉で特製のミルクを作りだし朝だけはイレイナも一緒に食事を取ることができるようになりました。
余談ですがこのミルクの製法は我が家の料理長とお母様が開発したもので、王に進言したところ大変気に入られ、お医者様からもお墨付きを頂き来年度からコルドール家主体で商品として各国に売り出される予定になっています。
食事が終わると近況報告になります。騎士団との連絡係となっている者が入り、逆に深く関係しないお母様とイレイナ、使用人は退出していきます。
残ったのはわたくしとお父様、連絡係の騎士と、お父様の助言役をしている2人の賢者様のみとなりました。
「で、ギッシュの遠征はどうなのだ」
ギッシュ・ヤール・コルドールは1番上の兄でお父様の跡を継ぎ去年騎士団長となりました。その最初の任務として新米騎士である弟のシン・ヤール・イル・コルドールを連れて、近年出現した未開の地である北部【絶界領域】へ開拓遠征へ行っているのです。
およそ10年はかかると言われている開拓遠征ですが、魔法の発達により通信魔法ができたことから毎日報告を受けることができるようになったことで情報の精度も遠征する騎士団の生存率も上がりました。
お父様やお母様も毎日お兄様たちの様子を確認できることから心労も少なく済んでいます。
「はっ! ギッシュ団長率いる本隊は絶界領域の南端に到着。およそ3日で簡易拠点を設置した後、ベードル大隊長率いる先遣隊を投入予定となっています」
通信魔法といっても、陰魔法を使える者同士でしか会話することができませんので、こうして陰魔法使い同士による伝言となっているのです。
「ふむ、【暗殺者】ベードルが先遣隊を務めるか。絶界領域の南端は既に地図もモンスターの分布も完了しておる。常道ならベードルによる偵察隊ではなく攻撃力のあるアキストラゼス女史ら重装隊を先行させるべきではないかの」
若々しい、というかどう見ても子供にしか見えない見た目に、それに似つかわしくない老人のような口調の、小人族の方は、当家に居候している賢者様の1人であり、父様の友人でもあるイル・ヤールグワィト様です。
御年300歳。【放浪の賢者】と呼ばれる有名人でもあります。
「絶界領域の南端で未確認種が発見されたと遠征前の報告があったでしょう。それで慎重になっているのではないの?」
ヤールグワィト様の問いにはもう1人の賢者様が答えました。こちらは端正な顔立ちをしたエルフ族の女性で、名前をヘレニス・ド・ヴァン・ランダラム様。イレイナを取り出したお医者様であり、陽魔法と風魔法を極めたわたくしの師匠です。
「おお、そのような話があったのう。研究にかかりっきりですっかり忘れておったわい」
呆れ顔のヘレニス様をなんとも思わないようにヤールグワィト様が笑います。わたくしも常々思っていたのですが、この方ボケが始まっていませんか?
「ふむ、未確認種というと報告には確かドラゴンとあったな。通常のドラゴンであれば騎士団の敵ではないと思うが、一体どのようなドラゴンであったか」
「少々お待ちを。確かこの本の中に……あった。私の実家であるランダラム家の者が送ってきた報告書ね」
ヘレニス様の本は描かれているものを実物として取り出し、逆に実物を絵として保管することができる魔道具です。
【収納】というスキルがあれば異空間に物を保管して持ち出すこともできるのですが、ヘレニス様はそのスキルを持っていません。
「そのドラゴンは身の丈を霊樹と同じくし……これは20メドルだな」
1メドルは元の世界の単位で1メートルになります。
「霊樹と同じくし、翡翠の如き深緑色の鱗を持ち、その爪は我らが首を狩る鎌のように禍々しく曲がっていた。角からは雷を発し直撃したものは……うん? あれ……うん……?」
急にヘレニス様が面白い声を上げて首をかしげ目を細めて報告書を見ました。
その様子にヤールグワィト様やお父様、わたくしも首をかしげます。
「どうしたのだヘレニスよ。続きは?」
「あ、いやすまないバルドー。あー……雷を発し直撃したものはその体躯を逞しく発達させ、その精は7日7晩尽きることなく、その碧色のブレスを受けた者の傷はことごとく癒され、我々は成すがままそのブレスを浴び続けた。一晩をかけて我らを癒やしたドラゴンは、献上した酒を3樽持ち北の果てへ飛び去っていった…………異常ね。いや、以上ね」
なんですのそのホ◯ミドラゴン。