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2章4 思うようにはいかなくて

金曜日。


愁は久々に目覚まし時計の音と朝のひざしで目を覚ました。


ゆっくりと覚醒する意識は、次第に自分の体に残る疲れも認識していった。


昨日は本当に疲れた…


愁はのんびりと体を起こし、まずはけたたましく鳴る時計を止めた。それから太陽の光で眩しい窓辺に目をやった。


今日はめずらしく朝から晴れている。でも天気予報では午後から曇りのち雨と言っていた…


空は明るいのに気分はブルー。


どうも面白くない。


愁は分厚いカーテンを勢いよく引いた。部屋が少し暗くなる。

そこでふと考える……誰がカーテンを開けたんだろうか。


昨日はちゃんと閉めてから寝たから…もしかしたら母さんだろうか。


余計なことしてくれる。いつも勝手に入るなと言ってあるのに……


愁は少しいらいらしながら、寝間着に使っているシャツを脱いで床に放り出したままのシャツに着替えた。ぽりぽりと頭を掻きながら部屋を出るときに、気づいた。


…ただでさえ暗いのに、雨だったら気分はもっとブルーじゃん。


愁は少しだけ日の光が恋しくなった。





学校の対応は恐ろしいほど冷静で的確だった。まさにマニュアル通りといったところか。


担任の山下は、勉強の事もあるから早めに戻ったほうがいいと言い、これからどうするのか愁に訊いた。愁はまだわからないと首を振った。


これは嘘ではなかった。本当にわからないのだ。


愁の嘘の理由が後藤を騙せたかどうかわからないが、とりあえずその場しのぎにはなったことに愁は安心していた。


そして心に誓った。もう絶対学校で先生とは話さないと。


家に帰ってから純子は隆一も交えて3人で相談しようと考えたが、愁は聞く耳を持たなかった。すぐに自分の部屋に引きこもり、それきり出てこようとはしなかった。


前進するための話し合いのはずが、愁はますます心の中に閉じこもってしまったようだった。





昨日録画しておいたお笑い番組を見ながら、愁は食パンにマーガリンを塗っていた。


久しぶりにお笑い芸人でもを見て気を晴らそうと思ったら、これがハズレだった。番組の構成は上手く出来ているが、芸人のネタのクオリティが低すぎる。

テレビの中の芸能人は笑ってコメントしてるが、あれは演技じゃないだろうか。


愁はそんなことを考えながらカップに牛乳を注いだ。マーガリンを塗った食パンはレンジの中でのんびり回っている。


どうしようか。愁は冷めた目でテレビを見つめた。


暇つぶしにはなる。でもいくら暇つぶしでもこんな下らないお笑い番組は見ないだろう。電子レンジが止まる頃、愁はビデオの停止ボタンを押してテレビのチャンネルを変えた。テレビの音量を小さくし、レンジからパンを取り出して皿に移す。そしてカリカリになった食パンをじっと見つめた。


ちょっとやりすぎたかな。


裏面は少し焦げている。やはり6分は多かったらしい。


一口かじる。だが、あまりマーガリンの味がしなかった。


愁は片手で器用にバターナイフを操りながら、ニュースを見ていた。愁はニュース番組が好きだった。同世代の子供はニュースなど見向きもしないだろうが、愁は違った。小さい頃からの教育と、世の中のへの好奇心が愁の中に根付いていたからだ。


テレビの画面はしばらく国会の動きを伝えていたが、愁が一瞬目を離した隙に見出しが変わった。


「〇〇市で高校1年男子が自殺。いじめが原因か」


愁は背筋に寒気が走り、テレビから目をそらした。画面は学校の校舎から校長の記者会見へと変わった。

愁はしばらくその内容に聞き入っていたが、不意にテレビを消した。


…自分も、いつかああなるのかな。


今まで根拠のない不安は追い払ってきたが、今度はそうはいかなかった。

傷ついて、散々悩んだ末の自殺。自分はそんな選択はしたくない。


自殺なんてする勇気はない。でも一歩踏み出す勇気もない。


ずっとこのままなのは嫌だけど、どうすればいいのかわからない。


そういえば、あの人何か言ってたな……愁は昨日の山下の言葉を思い出した。



彼は言った、「出来ることから始めてみよう」と。


 

愁は母親や先生を嫌いながらも、ずっとその言葉が引っかかっていた。


自分に出来ることとはなんだろうか。


愁は最後のパンのひとかけらを飲み込み、考えた。





翌朝。愁が愛用している目覚まし時計は、設定した通り6時半に鳴り始めた。

始めは一定のリズムだが、しばらくすると音も大きくなり、音の間隔も短くなる。実に不快である。


愁もその不快な音でもぞもぞと動き出した。半分寝ぼけたままベッドを出て、目覚ましを叩く。


静かになって安心したのか、愁はまた心地よい睡眠を楽しむために布団の中へ潜っていった。


次に愁が体を起こすのはそれから4時間後のことであった。

 


 


そして日曜日。今日こそは早起きをするぞと愁は気合いを入れて、夜のうちに合計4個の時計を使ってアラームをセットした。そして念には念を入れてコンポの目覚まし機能も使うことにした。


これで(たぶん)大丈夫。


愁は安心して床に就いた。が、またしても彼はすべてのアラームを止めて二度寝をするのであった。





愁は昼食を軽く済ませると自分の部屋へ戻り、家中の時計を集めて策を練っていた。


どうも、うまくいかない。


この3日間、生活のリズムを元に戻そうとたくさんの目覚まし時計を駆使してきたが、必ず二度寝してしまう。


試行錯誤が足りないのかな。


一番大事なのは起きようとする意志なのだが、そうとは気づかずに彼は部屋のあらゆる所に時計を設置し始めた。

パソコンの隣、ベッドの下、通学鞄の中…とにかくいろんな所に置いた。


これで駄目だったらちょっと問題あり、だよな。

頭の中で自分が朝起きるところイメージしながら、愁は枕元に時計を置いた。


その後愁は簡単に部屋を片付けて、食器を洗うために1階へ降りた。その時だった。


「ただいまー」

突然兄の声がして愁が玄関に目をやると、制服姿の慶太が靴を脱いでいた。


何故か今日も帰りが早い。愁は慶太と顔を合わせないようにしていたが、最近はそうもいかなかった。


「今日は、早いんだね」


愁の声に気づいた慶太が振り返った。「おお、ただいま」

本当はいい奴なのに、愁は兄を嫌う自分がわからなくなっていた。


「来週さ、文化祭なんだ。色々買うものあるから今日は早く終わったんだ」


ふ〜ん、と愁は適当に相づちを打った。


じゃあすぐにいなくなるのか。

ほっとすると同時に少し寂しい。


「愁も誰か連れて一緒に来れば?売店とかもたくさんあるし、楽しいよ」


ふたりはリビングに入り、慶太はテレビをつけてくつろぎ始めた。愁は冷蔵庫からオレンジジュースを出してコップに注いだ。もちろん、1人分。


「別にいいよ…一緒に行く人もいないし」


「そうか?美術部で展覧会とかやってるけど」


展覧会……愁は顔には出さないがかなり興味をそそられた。高校生の絵のレベルがどのくらいなのか、気になる。

そうはいっても、いきなり人混みに出るのは躊躇われた。それに一人で行ってもつまらない。


「愁も絵が上手いから勉強になるんじゃないの?」


「余計なお世話だって…」


そう言いかけて愁は口をつぐんだ。絵が上手いなんてどうしてわかるんだ?一度も見せたことないのに……


「どうして捨てたりするかな」

慶太はしばらくテレビに見入っていたが、ボソッと呟いた。


…え?


愁は慶太が何を言っているのかわからなかった。その間に慶太は鞄からある物を取り出した。


「これ、見覚えない?」

きれいに折り畳まれているが、くしゃくしゃな紙。画用紙のようだった。


愁はそれがなんなのかわからなかったが、慶太が広げて見せた途端、思い出した。


「上手く出来てるじゃん」


あの時描き損なった絵。まだあったらしい。

でもどうして?ちゃんと捨てたはずなのに……


「それ、どこにあったの?」


愁は慶太に近づいて言った。


「おまえのゴミ箱の中だよ。いくらなんでももったいないって、こんな上手い絵を、」

慶太が言い終わらないうちに愁はそれを引ったくり、真っ二つに破いた。


「おまえ…何してんだよ!」

愁は慶太を無視し、リビングから出ようとした。


「ちょっと…おい愁!待てよ!」


「うるさい!!」


愁は後を追ってきた慶太を怒鳴った。普段の愁からは想像出来ないほど、大きな声で。


戸惑う慶太を愁はにらみつけると、何も言わずに2階へ上がっていった。


残された慶太は誰にも聞こえないような小さなため息を吐いた。





愁は部屋に入るとその場に座り込んだ。両手にはふたつに分かれたモノクロな風景画。


こんなもの……


愁は紙を破り始めた。何回も、何回も。


そして知らず知らずのうちに涙が頬を伝っていくのだった。






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