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1章2 闇の中のひとり 

愁は中学に入学しても、たいして生活の変化は感じなかった。


ひとつ変わった事は、友達が数人できたことだ。


愁は積極的なほうではなかったが、クラスメイトに話しかけられたらなるべく笑顔を作るようにしていたので、話し相手はたくさんいた。


兄の慶太が自分を無視することや、両親が若干冷たい態度をとる以外のことはうまくいっていた。


そんな生活の中で、愁についてこんな噂が流れていた。


……槙原愁は私立中学の受験に失敗した。


失敗したのではなく、試験を受けなかったのだが、愁はそこを訂正しようとは思わなかった。


なぜ受けなかったのかと聞かれたら、またロク(子犬の名前)を拾うまでの長い話をしなくてはならない。


それに、変に親切とか優しいとか思われたくなかったので、愁は話さないでおいた。


周囲の人間も、受験に失敗したのに何故こんなに笑顔でいられるのかと訝っていた。


愁はただひたすら前向きに頑張っていた。そのひたむきな姿勢は、教師の間でも評判だった。


そんな平凡な毎日にひびが入ったのは、中学1年の期末テストの時だった。




愁が目を覚ますと、いつの間にか明かりは消えていて部屋は真っ暗だった。


どうやら寝てしまったらしい。愁は時計を見た。


11時30分。4時間近く寝てしまった。


愁は頭を掻きながら静かにベッドから起きあがった。時計の針の音だけが響く暗い部屋。愁は急に暗闇が怖くなって部屋の明かりのスイッチを入れた。


途端に明るくなる愁の部屋。愁は眩しいのと眠いのとで目を擦る。


いつもと変わらない、別段変化のない部屋。だが、いつからかここは愁の最後の心の砦になっていた。


どんなに周りから悪口や嫌みを言われても、どんなに家族から冷たくされても、


ここにいれば大丈夫。そんな根拠のない安心感が、いつしか愁を包んでくれるようになった。


愁はタンスを開けて、適当に着替えを選んでから部屋を出た。


いつも立ち止まると余計な事ばかり考えてしまう。しかもそれは、思い出したくないものばかりで。このままずっと思考の闇に囚われてしまうのではないか…そんなありもしない事を愁は考えていた。


ありえないとわかっていても、愁は考えれば考える程深みにはまっていく様な気がした。 


もう自分では答えが出せないから。


だからといって、頼る相手もいない。


そんな不安の中で、愁はひとり、もがいていた。




中学1年の期末テストの結果は愁の記憶の中にはっきりと残っていた。


学年でもトップクラスの成績。それは愁の中で揺るぎ無い自信へと変わりつつあった。 だが、周囲の愁を見る目は少し違っていた。


「まきはらぁ、なんだよこの点数。天才じゃん」


「やばいよな。ガリ勉じゃね?」


「マジありえないし、ウザイ」



ただのひがみだ、と愁は軽く考えていたが、違った。


「お前そんなに勉強できたんだな……知らなかったよ」


それは、悪魔の囁きだった。


その日から、愁の持ち物がなくなることが多くなった。


愁は、誰が、何故こんなことをするのかわからなかった。


一方、家族の反応はクラスメイトとは少し違っていた。


両親は「がんばったな」「すごいね」など、一言二言ですませた。まるで当たり前かの様な言い方だった。


慶太はふたりの親とは違っていた。愁が五教科合計の点数を見せると、目を丸くして驚いた。そしていつもの慶太らしかぬ言い方で、愁の事を褒めちぎった。


ずっと無視されていた兄に褒められて、愁は心の底から嬉しかった。



あっという間に夏休みが過ぎ、学校は新学期を迎えた。


しかし、愁を取り巻く環境にたいした変化はなかった。


愁の物がなくなる、ノートや教科書に落書きされる……特に表立った暴力や悪口はない。だが水面下でのいじめは、着実に愁の心にストレスを生み出していた。


愁はこうしたいじめに冷静に対応していた。


なくなった物は探す。落書きは出来るだけ消す。


どうしても見つからない物は文具店で購入する。


愁の家は金持ちだ。文房具代を何回も親にもらっても別に困ることはなかった。


むしろ、親からは勉強熱心だと思われる。


愁は、こんなくだらない事はいつか終わる…そう考えていたが、2ヶ月を過ぎても状況は好転しなかった。


日に日に増していくストレスは、ついに愁の成績にまで影響を及ぼした。


10月半ばに行われた中間テストで、愁は順位を30番も落としてしまったのだ。


「なんだ!この点数は!」


個別に配られたテスト表の結果を見て、愁の両親、特に隆一は激怒した。


「ちゃんと勉強はしたの?」

 

純子の問いに愁は勉強はした、と答えた。ただ、集中が出来なかった。


隆一は、成績が下がった理由がはっきりと言えない愁に対して、こう言った。


「愁は頭がいいからもっと上の成績が狙えるはずだ。これ以上父さん達を失望させないでくれ。わかったな?」



ある日のことだった。愁は昼休みにトイレで鏡を眺めていた。


なんだか毎日顔色がよくないな……


そんな事を考えていた時だった。トイレのドアが開いて、男子が4人入ってきた。


「お、槙原じゃん」


愁に話し掛けてきたのは、学年でも柄の悪いことで有名な松坂だった。


それと、愁は松坂がいやがらせの主犯であることを知っていた。


「おまえテストやばかったんだって?残念だったな、おい」


愁はフン、と鼻で笑った。


「別に、お前ほど悪くはないよ」


愁の言葉に4人は一瞬言葉を失った。


「てめ、喧嘩売ってんの?アレが原因なんだろ?どうせお前みたいな奴は、」


アレが何を指すか、愁にはすぐにわかった。


「黙れ」


愁の瞳がわずかに歪んだ。


「は?」


「黙れって言ったんだよ」


松坂は愁に詰め寄った。


「おまえ調子乗ってんじゃねえぞ」


「おまえこそ調子に乗るな。大体俺のノート破るとかくだらない事してる暇あったら、もっと勉強しろよ。それに俺の成績のことはお前には関係ない」


愁は松坂を押しのけてトイレから出た。


その一週間後。愁は不良相手にけんか腰だったことに少し後悔していた。もしかしたら、いじめがもっと酷くなるかもしれない。


ところが、愁を悩ませていた陰湿ないじめは急に止まった。


そして素直なことに松坂が代表して愁に謝りに来た。


愁はとりあえず優しく松坂の謝罪を受けたが、心の中ではざまあみろと思っていた。


しかし、いじめが止んでも愁の気分は晴れなかった。


相変わらずクラスメイトは余所余所しく、家族は冷たい。


そんな生活が続いて2年生になった愁は、5月のある日に、生まれて初めて学校を休んだ。







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