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1章1 槙原家の次男

槙原愁まきはらしゅうは小さな頃からいろんな事をがんばる子供だった。


慶太けいたより2年あとに次男として生まれ、ふたりの親にとても大事に育てられた。


兄弟の仲も良く、愁はいつも慶太のすることを真似したり、慶太の後をついてまわった。 父親の真面目な性格を受け継いだのか、小学校に上がってから二人は勉強・運動を一生懸命頑張り、クラスの模範的存在となっていた。


傍目から見たら、お金持ちの家の出来のいい兄弟、といった所か。


やがて、兄の慶太は陽気で明るい性格に、弟の愁は努力家で優しい性格に育っていった。 勿論二人の父と母の隆一りゅういち純子すみこは、子供達の予想以上の活躍にこれ以上ないくらいに喜んでいた。


そんな家族の関係が微妙に変化し始めたのは、愁が小学5年のときだった。


父・隆一の勤めている会社は、隆一の祖父が興した会社だった。


次期社長を隆一にと考えている愁の祖父、つまり隆一の父が急な異動を彼に命じたのだった。


そのせいで隆一は一気に忙しくなってしまい、家庭を顧みる暇がなくなってしまった。 慶太も地元の中学に入学し、新しい友達に出会って部活に打ち込む日々を送っていた。 そんな中で、愁は一人寂しさを感じるようになった。


たかが家族と遊ばなくなったくらいで、と思って周りを見て気づいた。


友達が、ひとりもいなかった。


一言二言あいさつを交わす人はいても、愁のまわりには友達と呼べる存在がいなかった。 


愁はショックだった。どうして今まで自分は友達も作らずにいたのだろうか…そう思った。


それから愁は寂しさをまぎらわすように好きな事に没頭した。だが両親は学校の勉強を本当にがんばっているのだと勘違いしていた。


そんな毎日の中で、愁は両親からある事を提案された。




愁は部屋に戻ってからベッドに横になり、薄い布団を頭からかぶっていた。


頭に浮かぶのは、中学に上がる少し前の出来事。


正しいことをしてると思った。ほっとけなかったんだ……


愁は父の提案に二つ返事で引き受けたことを後悔していた。


今まで僕は何のために勉強してきたんだろう。


答えのない疑問が、愁の心の中を引っかき回した。




「私立の中学を受験してみないか?」


愁は小学6年の春に父親からそう言われた。愁は少し戸惑ったが、すぐにOKした。


愁は漠然と、兄と同じ中学には行けないということを考えていた。


その時には愁にとって兄の存在が少しずつ変わり始めていた。


慶太は中学の友達と頻繁に遊ぶようになり、愁と一緒に何かするということは無くなっていた。愁が勉強でわからないところを聞こうとすると、慶太は「うるさい」などの言葉で適当に愁を追い払っていた。


両親も仕事で家に帰るのが遅い。仕方なく愁は一人で受験勉強に励んだ。


そして受験当日の日。その日は雨だった。


愁は受験する学校がある町へ電車で行った。駅を出てから人混みに飲み込まれそうになりながらも、愁は学校までの道筋を思い出して歩いた。


中学校まであともうすぐという所で、愁は道の隅に固まっている女の子達を見つけた。


小さな傘の花がみっつ、なにやら話し合っているようだった。


…「かわいそうだね」「どうしようか」


やがてその子達は入学試験を優先したのか、「バイバイ」と言い残して去っていった。 愁は何があるのか気になり、女の子達が居た場所に近寄ってみた。


最初に愁の目がいったのは大きな段ボール箱ひとつ。何となく予感がしたが、愁は箱をのぞき込んでみた。


黒い小さな子犬だった。


朝からずっと雨に打たれていたのか、寒そうに体を震わせている。箱の底に敷いてある毛布はすでに濡れそぼっていて、使えそうになかった。小さな水たまりまである。


愁は体ごと段ボール箱を覆って子犬を雨から守った。子犬は雨が途切れた事に気づき、体を思いっきり震わせて滴を払った。


おそらく捨てられたのだろう。愁は怒りがこみ上げてきた。


雨の日にこんな所に捨てるなんて……


愁はとりあえず子犬を段ボール箱から出して、毛布をしぼった。子犬はおとなしく、愁の足下から動こうとはしなかった。


箱の底の紙には、拾ってあげて下さいなどの事が書かれていたが、滲んでしまって全く読めない。というより、そんな所にあったら誰も読まない。


愁は子犬をハンカチで拭いていたが、ようやくここに来た目的を思い出した。


このままだと、入学試験に遅れる。


だが愁は、その考えを頭から振り払った。今は子犬のほうが大事だ。


愁は財布の中にあるお金を計算した。帰りの電車代を引いても、3000円近く残る。 とりあえず傘を子犬の段ボールに立てかけて、愁は来た道を走った。来る途中にスーパーらしき建物があったのを思い出したからだ。


スーパーに入ると、愁は子犬のエサになりそうな物を探した。考えて店内を何周もしたあげく、買ったのはソーセージと牛乳だった。本当は牛乳は温かいほうがいいのだが、ないので仕方ない。


愁が戻ると、子犬はじっと動かずにいた。愁は買ってきたソーセージのひとつを開けて、食べやすい大きさにちぎると、子犬の口元に持っていった。


子犬はよほどお腹が空いていたのか、警戒もぜすにソーセージに勢いよくかぶりついた。愁は牛乳のパックを開けて右手を受け皿にして子犬に飲ませてあげた。


道行く人は愁と子犬に奇異な物でも見るような視線を送っていたが、愁はそれを気にしなかった。


子犬が3本めのソーセージを食べ終えたところで、愁は腕時計を見た。もうすぐ10時になろうという時間だった。


もう行っても試験を受けさせてくれないだろう。愁はこの子犬をどうしようか考えた。 連れて帰ってやりたいが、子犬を抱えて電車に乗るというのは無理だろう。第一親が許してくれない。


やっぱり置いていくしかないのか。


すでに雨はやんでいたが、空はまだ曇っている。また降り出すかもしれない。


愁は傘だけを置いて家に帰ることにした。後ろで犬の鳴き声が聞こえたような気がしたが、気にせずに歩いた。


両親は愁が入学試験を受けなかったことにかなり腹を立てた。


受験料云々ではなく、やりもせずに投げ出した事に対して腹を立てたのだ。


愁が子犬の事を話しても、両親には苦し紛れの言い訳にしか聞こえなかった。


当然と言えば当然の反応か。だが愁は納得がいかなかった。


…捨てられた犬の命と、中学受験と、どっちが大事なんだ?


愁の中で答えは明白だった。動物といえど、命には変わりないからだ。それに中学なら公立もある。


そのときからだ。隆一が愁にたいして高圧的な態度をとりはじめたのは。


愁の進学先が急に公立中学に変わったことに、慶太はかなり不機嫌な様子だった。


これまでにないあからさまに嫌な顔を見せて、言った。「なんで俺と同じとこ来るんだよ」


慶太は愁を完全に邪魔者扱いした。


愁は試験の翌日にまたあの町へ出掛けた。子犬がどうなったか気になったのだ。


もしかしたら寒くて凍え死んでるかもしれない…


愁は子犬を置いてきた罪悪感に苛まれながら、段ボール箱が置いてあった道を目指した。 愁が着いてみると、子犬は女の人に抱かれていた。


20代くらいの若いきれいな人。愁は一人と一匹に近寄って話し掛けた。


話を聞くと、女の人は原田純はらだじゅんといい、昨日の夜に偶然この道を通りかかって、震えているこの犬を見つけたらしい。


とりあえず食べる物を子犬に与えて、どうするか迷ったらしい。


「あたし彼と一緒に住んでるから、いきなり持って帰るのはどうかなって思って」


愁は原田さんに彼氏がいることに微妙に残念な気分になりながらも、その後どうしたのか聞いてみた。


純はその日は連れて帰るのをやめた。だが、今日の朝にその姿を見たとき純は後悔した。


「厚いタオルにくるんであげたけど、朝見たらすっごい震えてて。本当にひどいことしちゃった。素直に持って帰ればいいのにね」


そう言った純の顔は本当に後悔しているようだった。


愁が子犬を助けた経緯を聞いて純は、えらいねと一言誉めた。


愁は拾ってくれる人がいなければ、自分が子犬をバックに詰めて持ち帰るつもりでいたが、話し合いの末に純が飼ってくれることになった。


「ありがとね、愁くん」


愁は原田さんの連絡先も教えてもらった。いつでも子犬を見に来てもいいと言ってくれた。


少し照れながらも、どーいたしましてと愁は返事をした。


別れ際に愁はまだ名前のない子犬の頭を撫でてあげた。子犬は少しだけ嬉しそうだった。



そして、愁は中学生になった。




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