4章1 友達
愁が文化祭に行った日の夜は、めずらしく家族そろっての夕食となった。
話題はもちろん西峰高校の文化祭についてだ。隆二も純子も文化祭の食べ物を食べ尽くしたらしく、あれがおいしかっただの、あれは微妙だったなどと感想を言い合っている。
しかし愁は文化祭には行ってないことになっているので、話はわかるのに会話に入れないというなんとも歯痒い夕食になってしまった。
(これなら行かなかったほうがよかったかな)
食事の最中、愁は友達と文化祭に行ったことを慶太が親に言わないかとずっとヒヤヒヤしていたが、最後までそういうことはなかった。
「ごちそうさま」
慶太が食器を流し台へ片付けて部屋を出た。愁も慌てて食器を片付けて後を追う。
「ちょっと待ってよ」
慶太の部屋の前で愁は慶太を呼び止めた。
「ん、どうした?」
「あのさあ・・・今日のことなんだけど・・・」
きっぱり行かないと告げたこともあり、ばつが悪く言いづらい。
「ああ、父さんと母さんには言わないでくれだろ?」
「なんでわかったの」
驚く愁に慶太は笑った。
「おまえな、何年兄弟やってると思ってるんだよ。って言っても14年ぐらいか」
もっと他に言うことがあるんじゃないかと愁は思ったが、黙っていた。
「一度は断られたけど愁が来てくれただけで俺は満足だよ。だから気にすんな」
「あ、うん」
「じゃあな」
そう言って慶太は自分の部屋に入った。
思わぬところで兄の気遣いに触れて愁は面食らっていた。それと同時に兄に冷たくしていた自分に罪悪感を感じた。
(お節介さえなければいい兄貴なのに…)
でもこんなことをされても、何か変わるわけでもない。
愁は無理矢理そう思いこんで自分の部屋へ戻った。
それから十日が過ぎた。
7月に入り、一度は回復したかに思えた天気もすぐに雨模様に変わってしまった。まだまだ梅雨明けには遠かったらしい。
梅雨が過ぎればいよいよ本格的な夏になる。暑くなってきて公園のセミが一斉に鳴きだすだろう。愁は去年の夏休みのことを思い出した。
去年は確か家族で箱根に行ったはずだ。何も暑い時に暑い温泉に入らなくてもいい、と愁は思ったが意外に気持ちよかったのを覚えている。この辺りに別荘でも建てたいねと両親は話していた。あの父親ならやりかねないと慶太とふたりで恐ろしく思ったこともあった。
(楽しかったな、あの時は)
ふう、と息をついて愁は外を眺めるのをやめた。朝から弱い雨が降り続いていたが、今はやんでいる。
(図書館でも行こうかな)
愁は時計を確認した。午後1時48分。学校はまだ授業をやっている時間だ。下校中の生徒に出会すことはないだろう。
愁は財布と家の鍵を持って一階に降りた。そして戸締まりなどを済まし、窓から空の様子を確かめた。
(また降りそうだな)
西の空はまだ暗く、どんよりしている。いつ雨が降ってもおかしくはない空だった。
愁は傘立てから1本黒い傘を引き抜いて玄関を出た。
(仕方ない、歩いていこう)
自転車で行けなくもないが、帰りに雨が降って本が濡れたら困る。
それに毎日家にいてばかりで愁はろくな運動をしていない。たまにはウォーキングをするのもいい、と文化祭に行った日から愁は思っていた。
歩き出して少し経ってから愁はまた今年の夏休みに思いを馳せた。
去年も花火大会など色々な所に行ったが、今年はどうだろうか。また家族揃って旅行へは行くのだろうか。
もし行くことになっても、遠慮するだろうと愁は思った。
最近は親と仲がよくない。特に父親とは。もし万が一慶太が部活で行けなくなって、3人で旅行ということになったら…考えるだけでも怖い。
(兄貴が部活の合宿…十分あり得るな)
旅行は毎年のことだ。恐らく今年の夏も例外ではないだろう。
(そうなったら絶対行かないようにしよう)
そんなことを考えて約15分、愁は図書館に到着した。迷うことなく児童書コーナーへ行き、目当ての本を手に取ってカウンターへ向かう。貸し出しの手続きを済ませ、愁は足早に図書館を出た。
(さてと)
愁は空を見渡した。まだ曇っているが雨が降る気配はない。
(お菓子でも買いに行こうかな)
とぼとぼ歩き始めた愁の目に意外な物が飛び込んできた。横断歩道の向こう側に、制服姿の女の子ふたりが歩いてきた。
(げ、あれうちの学校じゃん!なんでこんな早く帰ってるんだよ)
信号が変わって愁は急ぎ足で歩き出した。知っている顔に見つかったら気まずい。何より嫌な予感がした。
『今日おまえのために文化祭行こうって言ったんじゃないの?』
ふいに渉の言葉が愁の頭の中でよみがえった。
(そうだとしても、余計なお世話だ。家に来てプリントくれたり、しつこく文化祭誘ったり…なんで構うんだ?ほっといてくれよ)
今まで溜まっていた苛立ちが何故か爆発しそうになっていた。
未だに下校中の中学生の姿は多い。それから逃げるように愁は歩くペースを早めた。そして、路地の角を曲がった時だった。
「あ、槙原くんだ」
声がして振り返ると、そこにははるかがいた。
嫌な予感が当たってしまった。
「どっか行ってきたの?」
「ちょっと図書館にね」
相変わらずの笑顔で聞かれる。
「槙原くんの家って向こうのほうだよね?一緒に帰ろ」
「ああ、いいよ」
(最悪だ。なんでこのタイミングでこいつと…)
もし誰かに見られたらと愁は不安になった。
「今日期末テストだったんだよ。勉強したのにわかんなくてホント嫌になっちゃう」
(期末テスト…そうかそれで帰りが早いのか)
「槙原くん私の代わりにテスト受けてよー」
「いや今行ってもわかんないよ」
「そっかー」
それからはるかは英語のテストが特に出来なかった、いつも英語が40点以上の友達は神さまだとまくし立てた。
(こいつあんまり勉強出来ないのかな…)
「ちゃんと勉強してんの?」
「してるもん。先生がわざと難しくしてるんだよ」
そう言って頬を膨らますはるか。愁はそんな態度が気に入らず反論した。
「ふん、勉強なら誰だって出来るよ」
「うわー、余裕の発言。そんなこと言ってるとあたしみたいのから嫌われちゃうよ?」
(そりゃむしろ好都合だよ!)
「で、明日の教科は?何があるの?」
「国語と保健体育と数学だよ。ていうかなんで体育にテストあるんだろ。実技だけで十分だよね?」
「保健の勉強しただろ?それをテストするんだよ」
何故かはるかの頬が赤くなる。
「ほ、保健の勉強…」
(なに想像してんだこいつは!)
そんなことを話しているうちにはるかの家の近くの交差点にたどり着いた。愁とはるかは家が逆方向なのでここで別れることになる。
「じゃあ私こっちだから、またね」
「あ、あのさあ」
今まで少し気になっていたことを思いだし、愁ははるかを呼び止めた。
「その…おまえはさ…」
「私がなに?」
はるかが愁の顔をのぞき込む。
「聞かないんだな…その、学校行ってないこととか…」
「うん。聞かないよ」
いつもと変わらぬ顔ではるかは言った。
「なんで…?」
「だって槙原くんはそんなこと聞かれたくないでしょ?」
「そりゃそうだけど…」
「だったら聞かなくていいの」
それにさ、とはるかは続けた。
「学校には来てないけど、槙原くん元気そうだよ?」
愁は言葉も出ずはるかを見つめていた。
「じゃあ私帰るね。バイバイ!」
そう言ってはるかは信号が赤に変わりそうな横断歩道を駆けていった。
愁は、しばらくはるかの背中を見送っていたが、空を見上げてから足早に自分の家のほうへと歩いていった。