3章3 一歩
その夜。愁ははるかから無理矢理押しつけられた文化祭のパンフレットを読んでいた。
3年の主な出し物は食べ物屋だ。かき氷、アイス、たこ焼きなどたくさんある。
(たこ焼きか…最近食べてないなあ…)
食べ物につられるなんて自分らしくないと思いつつも、愁は興味を持ち始めていた。
他にも体育館ではダンス部や音楽部の公演があるらしい。慶太が言っていた美術部の展示もある。
文化祭のパンフレットをくまなく読み終わって愁は思った。
(行きたくなっちゃったじゃないか…)
でもはるかにも慶太にも行かないと言ってしまった。今更行くとも言えないし、もし文化祭で兄と会ったらきまずい。
「どうしよっかな…でも考えとくって言ったからまだセーフか…」
一言つぶやき、愁はベッドから立ち上がった。ひとまずパンフレットは埃だらけの机の上に置いておく。
愁はカーテンをめくって外を見た。夕焼けも既に消えて外は暗くなっていた。どうやら夕方から長い時間部屋にいたらしい。
(ご飯食べにいこうかな)
時間も7時だしちょうどいい。愁は階段を降りていった。
「たっだいまー」
「…ち」
愁は玄関で慶太と鉢合わせて舌打ちした。これから夕飯だというのに気分が悪い。
「お、ただいま」
「おかえり」
愁は何の感情も込めずにそう返してさっさと行ってしまった。そして台所に着くと頼まれもしないのに自分から人数分の食器を準備し始めた。
「めずらしいわね、手伝ってくれるの?」
「うん」
気を紛らわすにはもってこいだった。
その日は愁の手伝いもあっていつもより早く夕飯にすることができた。食卓ではいつも通り慶太が学校での出来事を純子に話している。
(なんでいつも今日あったこと話してるんだろ。まるで子供じゃん)
愁はお茶を飲みながら慶太を盗み見た。今ふたりは文化祭の話で盛り上がっている。前から色々話をするほうだったが、近頃はやけにおしゃべりだ。
「それでさ、食べ物とかは食券が配布されるの。めぼしい物は予約しといたから後で渡しとくよ」
「なんで私達に選ばせてくれないのよ」
「いや、準備とかで忘れちゃったんだよ。だからしょーがない」
純子は不満げだったが慶太が当日券もあるからとなだめた。
「しょーがないわね…愁も文化祭行くでしょ?西峰高校の。お母さんとお父さんは時間作って行くから」
どうしようと愁は考えた。やっぱり行くと言えばそれで済む話だ。でも両親と一緒に行くのも嫌だ。
「まだ決めて、」
「いいよいいよ、こいつは行かないって言ってたから。そういえばさ、7組がお化け屋敷やるらしいよ」
それから慶太は文化祭の注目の出し物などを純子に紹介し始めた。
愁は、残りのおかずなどを口に入れては噛み、口に入れては噛みを繰り返して、すべて食べ終わるとごちそうさまと呟いて部屋に戻った。
愁は部屋に入ると机の上のパンフレットをゴミ箱に放り込み、ベッドにどさっと横になった。
「なんだよ…」
「だーかーら!行かないって何度も言ってるだろ?」
次の日。愁ははるかとのの電話で押し問答を繰り返していた。はるかは一緒に行こうの一点張り。愁は行かないの一点張り。ふたりの電話越しでの口喧嘩は収まりそうになかった。
「なんでお前とふたりで行かなくちゃいけないんだよ。いい加減にしろって」
愁はおやつのポテトチップスを口に放り込んだ。のんびりお菓子も食べられず愁は不機嫌だった。
「あたしふたりっきりとは言ってないよ?」
「は?」
手が止まる。
「男ふたりと女ふたりで行こうってことで誘ってあるの。だから槙原くんが来てくれないと人数合わないんだってば」
合コンかよと愁は少し笑った。
「じゃあ他を当たれ。俺は行かないから」
受話器からはるかがう~んとうなる声が聞こえた。
「でも思いつく人いないし、真紀ちゃんと高松くんも槙原くんに久しぶりに会いたいって言ってたよ」
「高松?」
「うん」
少し埃をかぶった愁の頭のデータベースに高松という名前を検索してみる。同じ学年という条件つきで。
「確か、1組のやつだったっけ?」
「そうそう。1組の高松渉くん」
「そういえばそんなやついたな」
1年の時同じクラスだった男だ。ちなみに真紀という名前は愁のデータベースには存在しないらしい。
「あいつと行くのかよ。ますます気が引けるな…」
「まあまあそう言わずにさ。高松くんと一緒だと楽しいと思うよ?」
確かに高松は騒がしくて楽しいやつだ。しかしそんな奴が愁に会いたがっているというのは信じられなかった。
「ホントに会いたがってるのかよ?」
「本当だよ。ていうかみんな心配して会いたがってるよ」
愁はその言葉に黙って考えた。最近は学校のみんなに全然会ってない。少しでも会いたいって言ってくれているのなら…ちょっとだけうれしい。ちょっとだけ。
でも昨日のことが愁は面白くなかった。あんな事を言われてまで文化祭に行くのは悔しい。まるで兄に負けたようだ。
「久しぶりに顔を見せればふたりもうれしいと思うな」
「…」
愁はポテトチップスを1枚口に入れた。そして手元のジュースを一口飲んでため息をひとつついた。
「わかったよ。行けばいいんだろ」
「ありがとう!」
それからはるかは待ち合わせの時間・場所など早口でまくし立てて、愁がメモしたのを確認すると一方的に電話を切った。
愁は受話器を見つめて思った。
(本当にこれでよかったのかな…)
そして文化祭の日。
慶太は準備のため朝早く家を出ていて、今いるのは両親と愁だった。簡単に朝食を食べたあと、愁は自分の部屋で悩んでいた。
「何着てこうかな…」
タンスを開いてもあまりおしゃれな服はない。最近は外出することもなく、身なりには気を使わなくなっていたので愁は困った。
窓の外を見てみる。今日は晴れの予報だったが雲が多くて外は少し肌寒く感じそうだ。
(まあ適当でいいか)
別に遠出するわけでもない。愁はシンプルな長袖のシャツとジーンズをタンスからだした。
「愁!行ってくるねー!」
「あ、行ってらっしゃい!」
純子の声が聞こえて愁は部屋を出て階段を降りていった。ふたりは既に靴を履いて玄関に立っている。
「ちょっと買い物して、それから文化祭行ってくるから」
「留守番たのむぞ」
父の隆二が愁に言った。
「あ…うんわかった」
それだけ言ってふたりは家を出た。車が家から離れたのを確認して愁はため息をもらした。
(見つかったらどうしよう…)
その心配はとりあえず行ってからだと、愁は心から不安を振り払って自室へ戻った。久しぶりの服に着替えて、財布、小さなバッグなど必要な物を確認する。
準備が整い、愁は玄関に鍵を掛けた。西峰高校へは電車に乗らなければならないので、まずは駅まで自転車だ。愁は自転車のタイヤの空気が十分なのを確かめて、久しぶりにサドルにまたがった。
愁は住宅地の坂をゆっくり下っていく。初夏の空気はまだ涼しく、暑さを感じさせない。自転車に乗りながら心地いい風を受けて、愁は気分が晴れやかになっていくのを感じた。もちろん不安はある。だがその反対にある期待感はもう隠しきれなかった。
残念なことに駅には駐輪場がない。なので愁はいつも近くにある図書館の駐輪スペースを借りていた。今日もいつもの様に自転車を置き、足早に立ち去った。
駅で切符を買い、電車に乗って8分。駅の改札口を出てから愁は周りを見回してはるかを探した。
はるかによると、駅を出てすぐのコンビニに9時45分集合らしい。時間厳守とも言っていた。
(あれかな)
派手な服装をした中学生くらいの女の子がふたり、コンビニの入り口でたむろしているのが見えた。恐らく片方は真紀とかいう女子だろう。
「よし」
愁は軽く深呼吸してふたりのほうへ歩き出した。とりあえず今日の目標は、文化祭を楽しむこと。親に見つからないことだ。