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汝、我に誓え。

次回の更新は4/28の19:00を予定しています!

お読みいただき、ありがとうございます。

 鳥のさえずりが聞こえてきた。初穂はまだベッドで眠っていたい気持ちを我慢し、起床する。起きた反動で、胸の上で寝ていたクレドが転げ落ちる。

 幸せそうに眠るクレドを抱き上げ、初穂は寝台から降りた。


 ソファでは、レイシーが自身の顔に分厚い本を広げて眠っていた。規則正しい呼吸音が聞こえる。


 初穂は着替えたかったが、予備を持ってきていなかったためとりあえず顔だけ洗うことにした。

「ふぁあ……おはよー、はつほ」

「おはよう」

 顔を洗い終わった丁度すぐ後に、クレドが起きた。


 初穂はレイシーも起こそうと部屋に戻る。案の定、ソファでまだ眠っていた。

 彼を起こそうと顔に乗っている本に手を伸ばす。

「……ドラゴンの生態?」


 それは古びた本だった。元々、装丁はしっかりとしていた物だったのだろうが、それも年季が入っていて色褪せてしまっている。文字も所々擦れていて、随分と読み込まれている。

 本の題名は『ドラゴンの生態』。著者はエイブラハム・フォン・アンカーソンと書かれていた。


 本を取り上げようと手を伸ばした瞬間、細い初穂の手首を大きな手が即座に握った。右手で本を顔から離すと、眠たそうにレイシーがこちらを見ている。


「あっ、ごめんなさい、大事なものだとは思わなくて……」

 初穂が謝るとレイシーもぱっ、と手を離してくれた。握られた手首が少し赤い跡を残している。

「あの……ドラゴン、お好きなんですか?」

 何となくこの場を沈黙で終わらすのが嫌だったので、レイシーの機嫌をはかりながら話を振る。


 レイシーは特に変わった様子もなく、淡々と答えた。

「……ああ。好きだな」

「随分と古い本なんですね」

「昔の友人のものだからな……それより、あんた何が食べたい?」

 レイシーは朝食のリクエストを聞いた。どうやら朝ごはんは彼が作ってくれるらしい。


「いえ、特にないです……」

「あのカーバンクルは? えっと、クレドって言ったっけ」

「クレドも多分、無いと思います」

 初穂がそう答えると、レイシーは部屋を出て行った。少しすると、良い匂いが部屋まで漂ってきた。



 暫くして、レイシーが初穂とクレドを呼んだ。昨日、座って話をしていたカウンターに、鮮やかな黄色に半熟で見た目からしてとても美味しそうなスクランブルエッグと、バターの添えられたトーストに、瑞々しいトマトの入ったサラダが入ったプレートが人数分用意されていた。


 美味しそうな香りが初穂とクレドの腹の虫を鳴かせる。

 2人が座るのを確認すると、レイシーは大盛りの朝食を口に運ぶ。


 初穂もいただきます、と手を合わせてから口に運んだ。とても美味しい。スクランブルエッグは火加減も申し分なく、塩の加減が丁度いい。サラダはドレッシングがアクセントを効かせており、手が止まらなかった。


 無言で食べていると、プレートの料理を半分まで食べたレイシーが今日のことについて話し始める。

「……今回はクレドの鼻を頼りに森を散策する」

 頼られたクレドは誇らしそうに胸を張った。

「俺も鼻は利く方だが、新種の魔物は自分の臭いを消すことが出来る。俺はせいぜい、数メートルまで近づかないと臭いを追えない」


 今回、レイシーが調査している新種の魔物には初穂の記憶の欠片を持っている可能性が高い。そして、クレドは初穂の記憶の欠片の匂いを辿る事が出来る。レイシーが数メートルまで近づかないと、臭いを確認できないのならここはクレドの出番だろう。


 初穂もレイシーと同じように考え、頷いた。



 ■


 朝食を追え、念の為にと小型のナイフをレイシーから受け取り森へ入る準備は出来た。レイシーは昨日、出会った時のように茶色のローブを顔まで隠すように羽織っている。

 クレドは初穂に抱かれながら、満足そうに微笑んでいた。


 今回はプラウェンのすぐ傍にあるモモルの森に行く。新種の魔物もここで目撃されるのが多いらしい。


 モモルの森は、初穂がいた水の神殿があるチュアリのすぐ傍にあるメクロアの森よりも小さいらしい。大きさはメクロアの森の三分の一程度しかないという。

 しかし、凶暴な魔物が多いらしく腕に自信のある者以外は近づかない森だそうだ。


 小さく、鬱蒼としていて足場が非常に悪いため、戦闘になるとかなり不利らしい。

 出来るだけ、目当ての魔物以外には遭遇しないのが一番だとレイシーは言っていた。

 確かに余計な体力は使いたくない。


「じゃあおれさまについてこーい!!」

 呑気なクレドの掛け声とともに、3人はモモルの森へ入っていく。



 モモルの森は想像以上に静かで暗かった。背の高い木々が、陽の光が入ってくるのを遮るように空へと枝を伸ばし、葉をつけている。地面に生える草も苔のようなぬめりのある植物が多く、気をつけて歩かないと滑って転んでしまいそうになる。


 奇妙な動物の声がどこからか聞こえては、モモルの森の中を反響していく。それが異様に不気味さを感じさせる。腕の中にいるクレドも震えているのが伝わってきた。


 クレドの鼻を信じ、奥へ奥へと進んで行く。後ろを歩いていたレイシーがふと立ち止まり、怪訝そうに森を見渡した。

「どうかしましたか?」

「……おかしい」

 考え込むようなその声に、初穂も不安になる。


「これだけ歩いても雑魚一匹すら遭わない……これは明らかに異常だ。それに血の臭いがずっとする……これだけ濃い血の香りは、多分何かが大量に捕食した後だろう」

 一言、一言確信を持って放たれるその言葉を聞いている初穂は震えあがった。こんなに不気味な森の中で、そんな恐ろしいことを言われたらこの先待ち受けているものがどれだけのものか、不安になって仕方がない。

 死の恐怖が自分に近づいている気がした。



「この血の臭い……森の動物じゃないな。猛獣、あるいは魔物の類だ」

「血の臭いに混じってはつほの匂いもかなりするぞー」

 クレドが言った、その時だった。


 途端に、森の中を反響する女性の金切り声とも言える甲高い唸りが聞こえてきた。それは空気を震わせ、初穂の体を浸透するように聞こえてくる。強風も吹き荒れ、木の枝はしなびて、葉は落ちて飛ばされていく。立っているのも大変なほどの強い風だ。


 縮こまるようにして曲がった木々を踏み倒して、それは目の前に現れた。

 黒く艶めくその鱗は生々しく、恐ろしささえ感じる。4本の指から伸びる長く鋭利な鉤爪は、象の皮膚でさえも斬り裂けそうだ。そして細長い首から2つに分かれる頭部は4つの目で3人を見つめる。右側の頭部には緑色に美しく輝く丸い石が咥えられていた。


「ほう……タイミングが良かったな」

 恐怖に身じろぎ1つ出来ない初穂とクレドとは違って、レイシーだけは挑発的にそれを見やった。


「……森の魔物を捕食していたのはあんただな、マルズロ」

 レイシーは頭部にかかるローブを取ると、にぃっと笑った。


 ぎらりと光る犬歯が見え、初穂が見てきた彼とは違う一面を出す。大きな手はいつのまにか焦げ茶色の毛に覆われ、鋭い爪を出していた。

 体の一部分だけが獣になっているのだ。おそらく前足の部分にあるのだろうそこは、人の部分の影も形も無かった。


 それに驚いて初穂が立っていると、レイシーは見るも止まらぬ素早さでマルズロ、と呼んだ新種の魔物の方へ距離を縮める。

 マルズロの前足を引っ掻くと、赤い血が彼の爪に付着した。


 そして少し飛び出た岩を蹴りあげ、マルズロの頭の位置にまで飛び上がった。そしてマルズロの目をもう一回、引っ掻くとレイシーは綺麗に地面に着地する。


 足場の悪いモモルの森の地形を生かした戦闘だった。多分、彼はここでの戦いに慣れているのだろう。その背中からは自信が満ち溢れていた。


「お、おれも負けてられないぜ……!」

 初穂に抱かれていたクレドは、その腕から出ると地面に降り立ち尻尾の毛を逆立てた。クレドの額にある深紅の宝石を中心に、彼の体全体が淡い赤色の光に包まれる。


「唯一の君主の許に集いしその配下に我、加護を与えん。我は信ず、故に力を与えん」

 静かに呟かれたその言葉は、クレドのみならずマルズロと戦うレイシーやそれを見守る初穂の体を赤く、淡く光包み込んだ。何だか全身がすこぶる調子が良くなった気がする。今なら全速力でどれだけ走っても疲れなさそうだ。


 レイシーの方も先程よりも素早さが格段に上がっている。マルズロの体は、レイシーが刻み込んだ無数の切り傷だらけになっていた。

 このまま勝利が決まるだろう、と初穂が思っていた瞬間だった。


 明らかに『それ』は、形態を変化させた。黒く光る固い鱗はもっと頑丈そうで、とげとげしいものに変化し、鋭利な鉤爪は鋭さを増している。

 甲高い唸り声をあげると、目は真っ赤に光り、素早く前足を薙ぎ払った。


 正直、動きが見えなかった。今までのマルズロの動きは速いものの、目で追える程度だったが今回の攻撃は全くついていけなかったのだ。

 レイシーもレイシーで、異常に変化したマルズロの動きに動揺したのか、前足で軽く薙ぎ払われてしまった。素早く受け身を取ると、もう一度攻撃を仕掛ける。


 しかし、マルズロの固く尖った鱗はレイシーの攻撃を弾く。そればかりか、近づいて攻撃してきたレイシーの方が鱗で皮膚が斬り裂かれてしまう。


 初穂は怖くなり、後ろに下がった。今でも充分に距離は空いているものの、マルズロが次の獲物を初穂に変えればもう初穂はあの鉤爪で串刺しにされてしまうだろう。

 たかが人間である初穂に成すべきことはない。神の使者と呼ばれている幻獣のレイシーでさえ、マルズロの動きについていくことは出来ていないのだ。


 レイシーの疲労も蓄積されつつあるのか、動きが格段と鈍くなっている。マルズロがそこを逃すはずもなく、マルズロの頭部を中心に狙っていたレイシーはそれの前足で地面に叩き落とされてしまった。


 マルズロは前足をレイシーの体の上に置くと、ゆっくりと体重をかけ始めた。


 ミシミシ、と骨が軋む嫌な音が聞こえる。初穂は思わず目を瞑ってしまった。骨の砕ける音が響いたと同時に、レイシーの慟哭が森に響いた。


「レイシー!」

 激痛にレイシーは顔をしかめ、動けずにいる。初穂が思わず駆け寄りそうになるのをクレドが引っ張って止めた。


「あいつでさえ倒せないんだっ、はつほは逃げろ!」

「でも……っ」

 分かっている。クレドがこの場では正しい。頭ではそう思っていても、レイシーを見捨てることは出来なかった。

 出会って1日しか経っていない上に、同じ部屋で寝泊まりをし、そこまで会話をしたわけでもないが、レイシーがかなりのお人好しなのは何となく、初穂は感じていた。


 そんな優しい人を放って自分だけ逃げることなど、出来るはずもない。勿論、クレドだって置いていけない。

 しかし、この場で戦えるのはレイシーだけだ。そのレイシーが重傷を負っているこの状況はまさに崖っぷちといえるだろう。


 レイシーに飽きたマルズロが次なる獲物(初穂)に的を変えた。ゆっくりと2つの頭から、2つの蛇のような舌をチロチロと出しながら近付いてくる。

 まるで勝ったも同然、という態度で。


「はつほにちかづけさせるかっ!」

 近づくマルズロの前に、クレドがその小さな体で壁を作る。危ない、そう叫ぶより前にクレドはマルズロに薙ぎ払われた。

 小さな体は宙を浮き、木の幹に激突しそのままぐったりと動かなくなってしまった。


(どうしよう……どうしよう……!!)

 上手く呼吸が出来ない。足が震えて動かない。だんだん呼吸は荒くなり、意識が飛びそうになる。マルズロは初穂を見ながら舌なめずりをしている。


 そして勝利を掴んだように、前足を初穂へ振りかざす。頭上から落ちてくる陰を見つめるしかなかった。死ぬのか、という淡白な感想がよぎった時、誰かが自分の腕を掴んで木陰へやった。


「……レイシーさん!?」

 腕を掴んだのは紛れもないレイシーだった。しかし、満身創痍の状態で腕は腫れ、顔も傷だらけで内出血を起こしている部分もある。見るからに痛々しそうだったが、真剣な彼の瞳を見て初穂は黙った。


「……いいか……よく聞け……。俺は……あんたと契約する…………。だから契約の言葉を……紡ぐんだ」

 途切れ途切れに綴られた言葉は、レイシーの決意を如実に語っていた。


 レイシーが言う『契約』というのは“神の祝福”と“神の使者”の契約なのだろう。それが一体、どんな効果をもたらすのかは知らないが、この窮地を脱する鍵なのは分かった。


「でも私、契約の方法なんて知りません……」

 レイシーは眉をひそめた。初穂の言葉を否定したがっているように見える。

「……形なんてどうでも、良い……あんたが心から思って……願えば自然に言葉は生まれる……」

 レイシーは今にも倒れそうだ。クレドは木に打ち付けられてぐったりとしている。今、動けるのは自分だけだ。そしてこの状況を切り抜けるのも自分だ。


 初穂は息を大きく吸い、目を閉じると心から願った。すると、不思議なことに、暗記していたかのようにすらすらと言葉が口から滑り出る。

「聖なる水神の加護の下より、汝、我に誓え。捧げよ。その血を、その命を、その瞳を。さすれば道は拓けよう。汝、何を選ばん」


 すると、初穂とレイシーの体が水色の光に包まれた。クレドのものと少し似ているが、これはレイシーと自分との間にまるで太い糸が繋がったようなそんな感覚がある。

 レイシーは左のラズベリーの瞳に、初穂の足の甲にある同じ聖痕の形が浮かび上がった。


「我は捧げる。この血、この命、この瞳。永遠に忠誠を誓おう。幻獣フェンリル、そなたのものに、(セイクリッド・)なる君主(ロード)よ」

 そしてレイシーは、初穂の手を取りそっと口づけを落とした。するとボロボロだったレイシーの体は見る見るうちに癒えていった。何倍にも腫れ上がっていた腕は元通りに、傷だらけだった顔は元の精悍な顔立ちになっている。


 そして――。


 レイシーが遠吠えをする。すると、筋肉質だった人間の腕や足は焦げ茶色の体表に覆われ、形を変える。髪はきめ細かなものではなく太くしっかりとした毛に覆われ、耳はもっと伸び、口は裂け鋭い犬歯が覗く。手だった部分は前足になり、足だった部分は後ろ足に。尻尾が生えている。その姿はとてつもなく大きく、そして神々しさも感じさせていた。


 ラズベリーの瞳をぎらつかせて、もう一度遠吠えをした。

 初穂は息を飲む。目の前にいるのは、あのレイシーであって彼ではない。


 その大きな口は月までも飲みこみそうなほどだ。大きな体躯に、鋭い牙。まさに怪狼だ。


「さっきのケリはきちんと付けさせてもらおう」

 狼の姿でレイシーは言った。マルズロは女性が泣き叫ぶような声で鳴くと、素早く前足を薙ぎ払う。しかしレイシーには効かない。攻撃を見切り、避けている。


 尻尾を振るがそれも避けられる。俊敏さが増したレイシーには、さすがのマルズロもついて来られない。

「これで終わりだ」

 レイシーがそう言うや否や、マルズロはレイシーの牙で、爪で見事に真っ二つにされていた。甲高い悲鳴とも言うべき不気味な声が、モモルの森に響き渡った。



クレド「なあ、はつほー」

初穂「何?」

クレド「レイシーってさ、りょうりじょうずだよな」

初穂「うん。とっても美味しかったね」

クレド「それにあいつ、よくはたらくんだぜー! じつは、はつほよりも前に1度、あいつおきてたんだぜ。しばらくみてたら食材のしたしょりしてたんだぜ!!」

初穂「レイシーさんって一体……」

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