表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
さよなら喋る猫  作者: gojo
三、 吾輩
8/10

3. 1

 俺は、陽子の運転する車に揺られながら昔のことを思い出していた。


 俺の中で最も古い記憶は少年の泣き顔だった。俺という自我が目覚めた時、その顔が目の前にあったのだ。少年は救いを求める目でこちらを見ていた。何かを伝えようと口を動かしていた。しかし言語として認識出来る音は一向に発せられなかった。


「大丈夫だ。安心しろ。俺がここにいる」


 小声で俺は言った。

 俺には、少年が何を言おうしているのかが分かっていた。それだけではない。目覚めた瞬間から、自身の名前、存在理由、現在の状況、全てを理解出来ていた。


 俺の名前はレオン。

 その少年ヒデオを守るために、ヒデオの妄想から生まれた、喋る猫だ。


 それからの二年間、課せられた使命に俺は忠実に従った。しかし今、俺とヒデオは離れ離れにされようとしている。ヒデオの不安が遠くからでも感じ取ることが出来た。


「ここからは歩いて家を探す」


 安隆がそう言って俺を抱えて車を降りる。陽子は頷いてクラクションを短く鳴らし、早々にその場を去った。


 エンジン音が遠ざかると辺りはしんと静まり返った。そこは閑静な住宅街だった。似たような家がいくつも並んでいる。俺は数日ではあるが間宮宅に世話になっており、界隈の道を把握していた。しかしそれを安隆に伝える術を持ち合わせていない。俺が何を言おうと、ヒデオ以外の人間にはただの猫の鳴き声にしか聞こえないようだ。歯痒いが致し方ない。安隆は住所のメモだけを頼りに家を探し始めた。


「違う、そっちだ」


 時折、そう言ってはみる。


「そうか、お前もヒデに会いたいよな」


 しかし、見当違いの返事がくるだけだった。


 数十分が過ぎ、ようやく間宮の家に着いた。安隆は一度咳払いをし、インターホンのボタンを押した。


「はい」


 和泉の声が聞こえる。安隆が申し訳なさそうに名乗ると、和泉は急いで外に出てきた。


「安隆。ヒデオは? ヒデオは一緒?」


 和泉の呼吸は乱れていた。


「どういうことだよ」


 安隆は呆然としながら尋ねた。


「ヒデオが帰ってこないの。レオンを探しにいったのかも」


「何で、ちゃんと……」


 安隆はそう言い、続く言葉を咄嗟に飲み込んだ。


「ごめんなさい。わたしがちゃんと見ていなかったから」


「やめてくれ。そんなことを言うな……」

 安隆は大袈裟に首を振り、拳を強く握った。

「……とにかく、探してくる」


 安隆のその言葉を聞くと、和泉は警察への通報とタクシーの手配を済ませ、夫が帰るまで家で待機するから何かあったら連絡をくれと、数枚の紙幣を交通費として差し出した。安隆は手を震わせながらそれを受け取った。


 タクシーが到着すると、安隆は急いで俺を連れて乗り込み、自宅の住所を運転手に伝えた。

 

 移動する車中にて安隆は珍しく俺に話しかけてきた。


「なあ、レオン。俺はどうしたら償いが出来るんだ?」


 もしものことがあったらどうすればいい? ヒデは何を望んでいる? 和泉は? 俺に出来ることはないのか?

 それらはもはや独り言であった。俺は黙って聞いていた。


「お前を見ればヒデは安心するんだろうな。俺は猫にも劣る……」


 安隆は乾いた笑い声をあげた。




 車内からアパートを見ると、部屋の灯りがついていた。出掛ける前は確かに消したはずだ。ヒデオはそこにいる。安心すると共に緊張感が漂った。安隆が唾を飲む。


 タクシーを降り部屋の前に立つと、室内から馴染みのある音が聞こえてきた。安隆は慎重に扉を開け、中の様子を窺った。部屋は綺麗に片付いていた。扉をくぐり奥の部屋へ行くと、そこにヒデオが座っていた。テレビの画面には芝居の映像が映っており、そこから刀の合わさる音が響いていた。


「お帰りなさい。遅かったね」


 ヒデオは拍子抜けするほど日頃と変わらぬ様子だった。俺はその調子に合わせ、いつものように溢した。


「ヒデ坊、腹が減ったぞ」


 ヒデオが言う。


「食事の準備ならしておいたよ」


 すると安隆が答えた。


「ヒデ、気持ちは嬉しいが、お前はもうここで料理なんかしないで良いんだよ。食事なら家でお母さんが用意してくれるだろ。お母さんが心配している。一緒に帰ろう」


「お父さん、僕は分かったんだ。ほら見て……」


 ヒデオは安隆の発言なぞ意に介さず、テレビを指差し、神々しささえ感じられるほどの落着いた表情で話を始めた。


「……お父さんは過去にも悩んだんだ。でもね、最後には正義が勝つんだよ」


「ヒデ、それは芝居だ。作り物なんだよ」


 安隆はそう呟いた。


「ヒーローも迷うことがあるんだよね。僕も危うくお母さんに騙されるところだった。だけど真実に気が付いて、ここまで逃げてきたんだよ。お父さん、僕と一緒に敵を倒そ……」


「ヒデ!」


 安隆は目を瞑って声を張り上げた。声を張り上げ、両手、両膝を床につけ、頭を下げた。


「……頼む、聞いてくれ。お父さんはヒーローじゃないんだ。全部嘘なんだよ」


 痛み。ヒデオの感情が俺の中に流れ込み、胸が疼いた。ヒデオは立ち上がり、黙って安隆の後頭部を見下ろした。

 安隆が話を続ける。


「お父さんは駄目な男なんだ。お前のことをずっと騙していたんだよ。本当は、今も昔もお母さんの方がお前のことを大切にしているんだ。分かってくれ」


 テレビから賑やかな音楽が流れ、無言の二人を包み込んだ。ヒデオの顔を見上げると、その両口角が鋭く吊り上げられていた。


「どうしてそんなことをするの? ヒーローはそんなことをしないんだよ……」


 胸の奥が燃えるように熱くなる。


「ヒデ坊、落着け!」


 瞬間、テーブルの上の食器が安隆目掛けて飛んだ。ヒデオがそれらを投げ付けていた。突然の出来事に安隆はうろたえ、転がるように後ろへと退がった。その隙を突き、ヒデオは俺のことをバッグから取り出して乱暴に抱え上げ、勢い良く外へと飛び出した。


 鉄製の階段が大きな音を上げ、後方から安隆の声が聞こえる。その声は徐々に遠くなっていった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ