死-二夜の宴
第一夜
男は、夢を見ていた。
夢である、と男にははっきりと解っていた。
夢の中で、男は学校にいた。自分の通っているところである。
教室で授業を受けているのだ。
席は、現実と違って一番後ろである
本来ならば、一つ前に座っている男の席であった。
そこで、前の男に向かって消ゴムのかすをかけている。授業中にかかわらず、大声で笑いながらやるのだ。
当然教師が注意に入る。
それを、殴る。
止めに入る生徒や教師。
これも殴った。
殴られた奴らは、血反吐を吐いてのたうちまわり、男に助けを請う。
前の席の男は、と言うと、縮こまり泣いている。
こんな夢を見るのは、今日が初めてではなかった。
見始めたのは、男が高校に入学して一月経った頃からだ。
そして、明日で高校で初めての夏休みが終る。
その間、毎日見ていた。
見る度に、場所や、殴る相手は微妙に違ってはいたが。
男は、夢に陶酔していた。
学校のある間は、朝起きて学校に行けば、現実の自分を体感するのだ。
「おい、博。パン買ってこい」
「うん。いつもの奴でいいんだよね」
「ああっ、飲み物も忘れるなよ」
買いだしは毎日のことだ。金は、払ってもらったことはない。
後ろの席の男に限らず、クラス中、学校中の生徒に苛められる。
男子には、殴られ、たかられ。
女子には、ばい菌呼ばわりされ、何かあると男のせいにされた。
教師は、と言うと、注意はしても、それ以上干渉しようとはしない。逆に、男のせいにされる事もあった。
男は、学校が嫌いだった。
それでも、学校へは休まず行った。休めば呼び出される。それも、担任ではなく、クラスの奴らにだ。
そうなると、男は呼び出しに応じないわけにはいかなかった。
だから、本当に嫌いなのは自分のそういう性格であった。何を言われても、へらへらしているそんな笑い方が、そうさせる性格がたまらなく嫌いだった。
しかし、夢の中の自分は凄かった。
苛めの首謀者的な奴を、いつも自分がやられているように苛め、他の奴らは、殴る。
自分を助けてくれない教師。これも殴る、蹴る。
夢の中の男は、無敵であった。
男は、目覚めることを嫌った。
起きている自分は、何にもまして無力である、と知っているからだった。
夏休みの間中、男は食事やトイレ、入浴以外の時間の殆どを寝て過ごした。
休みの間は、田舎に行っていることにして、呼び出されないようにした。
ともかく、寝ていれれば幸せだったのだ。
だが、その幸せも、あと一日しかない。
だから、余計に夢の世界に逃避しようとしていた。寝てさえいれば、余計な事を考える事はなかったからだった。
そうなると、夢の中の、他の奴らへの仕打はさらに凄くなる。
殴るだけでは飽きたらず、目に指をねじ込んだり、屋上から突き落したりもする。
既に、ターゲットは学校中の奴らに及んでいる。
「なにやってんだよ、ボケ。てめえらには、生きてる資格がねーんだよ」
いつも男が言われている言葉である。
「死ねよ、死んじゃえよ」
学校で、生きている奴はいなくなった。
そうすると、また、男の目の前には、其奴らが現れる。それをまた殺す。
繰返しであった。
何回繰り返しても飽きなかった。
その内、殺している奴らの一人が目に止まった。
其奴は、殺されるにもかかわらず、笑っているのだ。
へらへらしながら死んで行くのだ。
男は、其奴に近付いて、顔をのぞき込んだ。
良く知っている顔であった。男自身の顔だ。
其奴を殴った。その顔の笑いを消したかったのだ。
何度も殴った。
しかし、其奴は笑みを消さなかった。
男は、剃刀を持ち出すと其奴の首にあて、勢いよく引いた。
そして、そいつの笑みは消え、二度と男の目の前には現れなかった。
満足げに頷くと、男は、他の奴らへと向かったのだった。
「もう、二度と俺は目覚めない。目覚めないんだ」
母親が、部屋で咽を切り裂いて絶命している男を発見したのは、次の日であった。
男の死顔は、幸せそうだった。
第2夜
男は、壁に背を預けると、アルバムを開いた。
高校の卒業アルバムであった。
自分のクラスではなく、となりのクラスのページを眺めた。
そして、そこに写る女を、思い出していた。
何日か前まで、その女は、男の部屋で男と一緒に生活していたのだった。
二ヶ月。
何をしていたわけでもなかった。
女は、男の背に、自分の背を預けるのを好んだ。
「修ちゃん。あったかいよ」
女は、よくこう言った。
男に取ってもまんざらではなく、そう言われると、決ってこう返した。
「そうだな」
女との出合は、ある雨の日であった。
男が大学から帰ると、傘もささず、女がアパートの前に立っていたのだった。
女は、ただアパートを見つめていた。
男は、女に傘を指しだした。
「何をしているのかは知らないけど、体に悪いよ」
一瞬、驚いたような顔をして、女は傘を受け取った。
「ありがとう」
「よかったら、俺の部屋へ来なよ。そのままだと風邪ひくよ」
女は、そのまま、男の部屋に居着いたのだった。
男は、女が何をしていたのかは聞かなかった。
その時聞いたのは、名前だけだ。
女は、下の名だけを男に教えた。
そして、奇妙な同棲が始まったのだった。
「美矢、お前って何者なんだ」
同棲が始まって、しばらくしてから男は尋ねた。
「へへーっ、教えてあげないのだ。でもね、私は、修ちゃんのことなら、なんでも知ってるよ」
今の生活が気に入っていた男は、もう、女の素性をを知ろうとはしなかった。
「おまえさーっ、背中合わせが好きだな」
「うん」
「なんでさ?」
男にとっては、女を両手で抱き締めている時の方が好きだった。
「だって、あったかいじゃない」
「だったら、抱き合った方がいいじゃない」
「でも、それだと不安になるの」
「どうして」
「修ちゃんが、いなくなっちゃいそうで恐いの。でもね、背中合わせだと安心できるの。修ちゃんが見えなくてもね、あったかいから、修ちゃんが居るなーってわかるから」
男には、正直理解できなかった。
そんな女も、週に一度、男の前から姿を消した。
初めは心配した男も、次の日必ず戻っ来たので気にしなくなった。
「家の人は、心配してなかったか?」
「うん」
そうゆうやり取りがあるだけだった。
女は、男の前で笑みを途絶えさせた事がない。
男は、そんな女の笑みが、たまらなく好きであった。
そんなある日、ひょんな事でけんかをした。
男が、女の涙に狼狽している内に、女は、部屋を飛び出したのだった。
次の日、女は帰って来た。
「修ちゃん」
何も言わず、受け入れた。
こんな感じで、二ヶ月間一緒に居た。
そして女は、週に一度のその日、いつものように出かけて行った。
女は、戻ってはこなかった。
それから何日か経った後、女を探し疲れた男に、一本の電話があった。
「澤田修一さんのお宅ですか。私、高校でご一緒させていただいていた、夢野美矢の母です」
「美矢の?高校?」
「もしよろしかったら、これから、美矢にあって居ただけないでしょうか」
女の母親が指定した場所は、病院だった。
駆けつけた男の目に写ったのは、男の部屋にいた女の姿ではなかった。
女の体のあちこちには、チューブが延びていた。
ベッドの横まで行くと、女の顔にそっと手を延ばした。
それまで目を閉じて苦しそうにしていた女は、手が顔に触れた途端にっこりと笑ったのだった。
「修…ちゃん、あったかい」
男は、そう言う女の笑顔が嫌だった。
『美矢じゃない。美矢は、こんな笑い方をしないじゃないか』
「あたしね、高校のときから修ちゃんが好きだったの。ずっと、一緒のクラスになりたかったの。修ちゃんは、気が付いていなかったろうけど、あたしはいつも修ちゃんを見てたんだよ」
女は、咳き込みつつ、続けた。
「卒業してからもずっと好きだったの。会いたかったの。でもあたし、卒業してから直ぐにここに来ちゃって、出してもらえなくなって」
男の口からは、何一つ言葉が出なかった。
「あたし、幸せだったよ。最後に修ちゃんと暮らせて」
男は、女の手を握り締め、言った。
「早く、帰ってこい」
「・・・」
途端に、女の息が荒くなった。
男と、女の間に医師がわって入り、看護婦に向かってなにか捲し立てた。
そして、女は、永遠の夢の住人と化した。
「御臨終です」
医者の言葉が、別の世界のことのように思えた。
呆然と立ちすくむ男に、女の母親が封筒を渡した。
男が、女からの手紙を読んだのは、自分の部屋に戻ってからだった。
壁に背を預け読んだ。
そこには、男への思いと、一緒に暮らした日の思い出が切々と綴ってあった。
手紙は、所々字が歪んでいて、最後の方はなぐり書きっぽかった。
読み辛かったのは、それだけではなく、男の目から流れ落ちるもので、インクが滲んだからでもあった。
そのため、手紙の最後は、読解不可能であった。
が、そこにはこう書かれていた。
『死にたくない。修ちゃん、死にたくないよ』
「美矢、お前が居ないと、背中が寒いぞ」
女の死顔は、幸せそうだった。
何年も前に書いた作品です。
いずれ書き直したいと思い続けて今に至ってます。
感想お待ちしてます。