第4話 蛙に似た怪物
ジウさんの先導の元、僕らはテドラ山を下っていく。
彼女は手にした剣でバッサバッサと藪を切り開き、道無き道に
即席の歩道を作り上げながら突き進んでいる。
「……」
小柄な体格の割には、なんともパワフルな様相だ。
作業の邪魔をするのも何なので、僕は黙って彼女の後を追う。
やがて僕らは、小石がゴロゴロ転がっている見通しの良い川辺へと出た。
位置関係からするに、ベントさんの小屋の側にあった川の
下流に当たる部分と思われる。
「ふ~…っと。 ちょっくら休憩しよ?」
僕の背丈程もある大きな岩にヒョイッとよじ登ると、ジウさんはそう言う。
彼女の提案に、僕はコクリと頷いて賛同の意を示した。
「んぐんぐ…。 プハ~ッ! 美味しい」
袋から水筒の様な物を取り出すと、彼女はクイッと勢いよくそれを傾けた。
中に入ったものを喉に流し込み、ご満悦な表情を見せている。
「んぐんぐ…んぐっ? あ、よかったら君も飲む?」
「……」
その言葉を受け、僕はゆっくりと彼女が居座る岩の元へ歩み寄る。
あまり喉は渇いていなかったが、もしかすると何か変わった飲み物を
飲んでるのかもしれない…という興味も湧いたからだ。
「はい、どうぞ」
彼女から手渡された水筒の口を自分の口元へと運ぶ。
ちょっとだけ筒の中を覗き込み、中身が透明な液体であることを
確認してから、それを口に含んでみた。
「……」
期待に反し、それはただの水だった。
冷たさや味わいからすると、この山で仕入れたものかもしれない。
僕は少しだけ落胆しながら、水筒を彼女に返した。
彼女の手が水筒に触れようとした、その刹那だった。
聞き慣れぬ妙な音が耳に飛び込んで来たのだ。
何か獣の鳴き声のようにも聞こえたが…あのドドマの
鳴き声とは、まるで違う。
「今の…聞いた?」
「聞きました」
擬音で現すなら、『シャァーッ』とか『ギャァーッ』という感じだろうか。
何とも不気味で、耳の中を突き抜けるような声。
その発生源は、どうやらそう遠くない場所にいるようだ。
「何の声だろう。 …君、分かる?」
ジウさんの問い掛けに、僕は黙って首を振る。
すると今度は、バシャバシャと大きな水音が上流の方から聞こえてきた。
僕もジウさんも、揃ってそちらに目をやる。
「な…何!? こいつ」
その生き物はバシャンバシャンと水を跳ね飛ばしながら、あっという間に
僕らの側へとやって来てしまった。
ジウさんが驚いているのも、無理はない。
『それ』は見たところ、蛙に似た生物だった。
しかし、そのサイズとなると…悠に巨大な熊ぐらいの大きさはある。
全体的な色味は、僕が着る上着と同じ群青色。
肌の表面には、無数の小さな棘が生えている。
「スギヤマくん、下がってて!」
謎の生物の口から、さっきも聞いたあの奇妙な鳴き声が放たれる。
その開いた口を見れば、鮫の様な鋭い歯がビッシリとあるのを確認した。
「……」
蛙に歯が生えてるなんて話は、聞いたこともない。
というか、そもそも蛙と呼んでいいのかどうか…。
色んな意味でヤバそうな怪物を前に、僕は戸惑いを隠せなかった。
「たぁッ!」
掛け声と共に、彼女は岩から飛び降りつつ怪物に斬り掛かった。
剣が一閃されると、怪物の皮膚に一筋の細くて赤い線が描かれ、
やがてそこから、ジワリと血が滲み出る。
怪物の眼が、ギョロリと彼女を睨んだ。
しかし彼女は、その視線から逃れるように奴の側面へと回り込み、
追撃となる斬撃を放つ。
「わぁッ!」
怪物が素早く横を振り向き、彼女目掛けてアングリと口を開ける。
ガチリと歯が合わせられた時、既に彼女はその場を離れ、
僕の傍らへとやって来ていた。
「くそッ! こいつ、結構硬いよ」
「……」
奴に付けられた、2つの真新しい傷跡を見る。
確かに、彼女のあの気合いの込もった斬撃を受けたにしては、
ダメージはそれ程でも無さそうだった。
少なくとも、人間の皮膚よりはずっと頑丈に出来ているのだろう。
どうすれば、効果的なダメージを与えられるか。
あるいは、攻撃を諦めて逃げ出すか…。
そんな思考を巡らしている途中で、怪物は次の行動に出た。
口をガバッと開けたかと思うと、その巨体に似合わぬ俊敏さで
真っ直ぐに跳び掛かってきたのだ。
標的は――僕の方だった。
身を屈め、地面に這いつくばるような姿勢を取って、僕はどうにか
その攻撃をかわすことが出来た。
自分の身体のすぐ上空を奴が通り過ぎていった瞬間は、
背筋がゾクリとしたものだ。
「……」
1つ、気付いたことがある。
下顎から腹にかけての部分は、それ以外の部分とは異なり、
棘も生えてなければ、色合いも違う。
見たところ、そんなに頑丈そうには思えなかった。
立ち上がり、怪物を見据えた瞬間、奴は再び僕へと跳び掛かってきた。
相変わらずのスピードだが、ジャンプをしている以上、
コースは直線に限られている。
僕は攻撃を回避しながら、奴の腹部へと後ろ回し蹴りを叩き込んだ。
踵の部分から、ブヨリとした皮膚の感触が伝わってくる。
それ程の硬さは感じられなかったが…かなり分厚い。
素手でダメージを与えていくとなると、相当時間が掛かりそうだ。
「……」
攻撃を受け、たじろいだ様子の怪物を尻目に、僕は
ジウさんの元へと駆け寄る。
そして、奴に気付かれぬよう、なんとなく小声で話し掛けた。
「腹の部分は、それ程硬くない様です。 狙うなら、そこですかね」
「…ふぇっ?」
無論、他にも目や口の中を狙うといった手もあるのだが…。
リスクや狙いにくさを考えれば、あまり推奨は出来ない。
ジウさんはちょっと呆気に取られていた感じだったが、やがて
言葉の意味を理解してくれたのか、引き締まった表情を見せる。
奴が威嚇をするように、口を開いて雄叫びを上げた。
僕は咄嗟に足元にあった拳大の石を拾い、怪物目掛けて投げ放った。
石はものの見事に奴の口へと入り込み、その喉の奥にまで到達する。
怪物は咳き込むような仕草を見せ、僕らから注意を逸らした。
地味に効いているようだ。
隙有りと判断した僕は、ダンッと地面を踏みしめ、駆け出した。
下からすくい上げる様な回し蹴りを放つ。
狙いは勿論、弱点と思われる腹部だ。
反撃を避けるため、続けざまに前蹴りを放ち、その反動で距離を取る。
「……」
ジウさんも僕に続いて怪物へと駆け寄っているが、奴の照準は
完全に僕へと合わせられていた。
口を大きく開き、またもやこちらへと跳び掛かってくる。
…大分、慣れてきた様だ。
先程までは猛烈な勢いに見えていた奴のスピードも、
そんなに恐れる程のものとは感じない。
しっかりと、目に捉えられてきている。
僕はベストな間合いまで奴が迫るのを見計らい、右の拳を振り上げた。
拳は奴の下顎を綺麗に打ち抜き、その顔が上天を向く。
ボクシングで言うところの、クロスカウンターというやつだ。
奴が宙に浮いている間、僕は間を置かず次の行動に出た。
右腕を取り、奴を背負うような格好とした後、そのままグイッと
身体を前方へと投げ捨てた。
「…ッ!」
いわゆる柔道の一本背負いというやつだが、さすがに対象は重かった。
強烈な負荷に腕が一瞬イカれるかとも想ったが、なんとか無事な様子。
ちょっと軽はずみな行動だったかもしれない。
「スギヤマくん!」
背後から声がして、僕は振り返る。
そこには両手で剣を突き出すように構えたジウさんが姿があった。
僕がサッと身を引くと、彼女は風のように傍らを走り抜けた。
起き上がろうともがいていた怪物の動きが、ビクリと奮えて硬直した。
無理もない。
仰向けとなっていた自らの腹部に、深々と剣が突き刺さってしまったのだ。
ジウさんは突き刺さった状態のままの剣を、そのまま
横払いをして、一気に振り抜く。
大量の鮮血が、辺り一帯に飛び散った。
「……」
恐らくは、致命傷だろう。
大きく切り開かれた傷口からは、更に大量の血がドクドクと流れ出す。
僕もジウさんも距離を取り、怪物の苦悶の様相を黙って見守っていた。
やがて怪物は、糸が切れたかのように動かなくなった。
口と腹から大量の血を流したその姿は、中々に壮絶なものだ。
ドサッと物音がしたので左を向けば、ジウさんが尻餅を付いている。
「…なんとか、倒したね」
「はい。 ジウさんのお陰です」
返り血を浴び、疲れきった様子の彼女に、ねぎらいの言葉をかける。
ジウさんはフフッと力無い笑みを浮かべ、僕の方を見た。
「君の方が、ずっと凄いよ。 あんなデカい奴をバ~ンッと放り投げちゃってさ」
「…いえいえ」
あれは、奴が宙に浮いた状態だったからこそ出来た芸当だ。
いくら僕でも、300kgは超えていそうなあの巨体を
まともに持ち上げられる自信は無い。
いや、頑張ればなんとかなる…かもしれないけど。
「……」
「……」
血の匂いが周囲に立ち込める中、僕らはしばし黙って
立ち尽くし…座り尽くしていた。
勝利の余韻と安堵感に、ただ身を委ねている様だった。
程無くして、僕らはテドラ山を抜け出した。
山を下り終えた僕達の前には、見渡す限り広大な平原がある。
僕の近所じゃ、あまり見られない光景だ。
「レノン村は、少し歩いた所にあるよ」
彼女の言葉を示す様に、霞む景色の先に何か建造物が
密集したような地帯が見受けられる。
ここからだと、2kmから3kmぐらいの距離だろうか。
一応、街道らしきものは設けられているようだが、あまり
きちんと整備されているとは言い難い。
まぁ、こっちの山はほとんど人が通らないというから、無理もないけど。
「しっかし、あんな奴に出くわすとはね…。 魔の瘴気の影響が
強くなってるって話、本当なのかな?」
ジウさんは頭の後ろで手を組んで歩きながら、独り言の様に呟く。
僕は周囲をそれとなく観察しながら、彼女の斜め後ろを歩く。
「あ、魔の瘴気っていうのはね…っと、分かるかな?」
「はい、分かりますよ」
尋ねられ、僕は頷きながら返事をする。
それについては、ベントさんから教習済みだ。
確か、魔界から流れ込む不思議な空気のことで…。
それに触れたものに、色々と変化をもたらすもの。
あの蛙に似た怪物も、それによって生まれた『魔物』なんだろうか?
「こりゃ、もうすぐ魔王の軍勢が攻撃を仕掛けてくるって話も本当なのかな…」
「……」
彼女の口から、新たに聞く情報が飛び出した。
『魔王』とは、これまた随分と現実味の少ない言葉だ。
しかし、この世界において、それが冗談だと切り捨てられない
言葉だということは、もう身に染みて分かっている。
「そういえば、さっきから気になってたんだけど…。 君のその
首に掛かってるヤツって、なに?」
「…これですか?」
歩みを進める途中、彼女からの疑問を受け、僕は
首に掛かったあの『星』を手に取ってみた。
相も変わらず、キラキラと黄色く光っている。
「あの山で拾ったんです。 ベントさんの小屋のすぐ側で…」
そういえば、ベントさんから譲り受けたあの白いナイフも、
拾い物だとか言っていたな。
あの山には、何か変わった物が集まる習性でもあるのだろうか。
「綺麗だよね~。 誰の落とし物なんだろ?」
「…分かりません」
落とし物…。
本当にそうなんだろうか?
なんだか、ちょっと違う様な気がしないでもない。
歩き続けること、しばらく。
僕らはどうにか、目的地まで辿り着くことに成功した。
大した距離ではなかったが、この気候のことも考えれば
決して楽な道筋とも言えないだろう。
「はい、到着~! ここが僕の住んでる、レノン村だよ」
「……」
出入り口と思われる門には、『LENON』の文字が彫られた看板。
どうやら、あれで『レノン』と読むらしい。
日本語だけではなく、英語もしっかり普及しているのか…?
その様な疑問は、もはや些細な事にしか感じなくなっていた。
「ひとまずは、そうだなぁ…僕が勤めてる警備所まで案内するよ。
しっかりついて来てね?」
「了解しました」
しかし今更だが、女性なのに自分のことを『僕』と呼んでいるとは…。
そんな人間は、僕の人生において2人目だった。
珍しい話ではあるが、まぁ己のことだ…己の好きに呼べばいい。
「お~っ、ジウちゃんじゃないか。 おはよう」
「おはよ! ボンベイさん」
村の中を突き進んでいくと、畑仕事に精を出してる様子の
垂れ目なおじさんが声をかけてきた。
なんとなく、のんびりしていそうな顔だ。
「何処行ってたんだい? なんやら警備所の人が、慌てて
捜し回ってたようやけど…」
「アハハ…。 ちょ、ちょっと散歩にね」
ボンベイと呼ばれるおじさんの言葉に、たどたどしく返事をするジウさん。
確かに、広い意味では散歩と言えなくもないが。
「んっ? そっちの大きな兄ちゃんは…?」
ボンベイさんの目が、ちょっと見開いてこっちを見る。
人の行き来が少ない場所だから、よそ者はすぐにバレるのだろう。
まぁそれを抜きにしても、僕は注目されやすい人間だが。
「この子は、スギヤマくん。 なんか迷子になってたみたいだから、
僕がここまで連れて来たんだ」
「はぁ~…そうかい」
この年齢になって、迷子呼ばわりされるのもちょっと恥ずかしいものだ。
しかし、事実そうなのだから仕方がない。
何処でどうして迷ったのかも分からない、迷子の中の迷子なのだ。
「じゃん! ここが僕の勤務先、レノン村警備所だよ」
間も無くして、僕らはその場所へと到着した。
民家3つ分ぐらいはある、それなりに大きな建造物だ。
一見した所、何かの集会所…あるいは公民館みたいな雰囲気がある。
開け放しとなっていた玄関から、ジウさんが足を踏み入れる。
内部には白塗りの石の床が設けられていたが、どうやら
土足で入っても大丈夫な様子。
ジウさんに習うように、僕も後を追って、靴のまま内部に潜入した。
「……」
1人用の机と椅子のセットが4つ。
大きな棚や、幾つか並んだロッカー。
黒いカバーの、長いソファーみたいな物も見受けられる。
「ジウ、あなたねぇ…今まで何処行ってたの!?」
長い金髪を紐で結ってある1人の女性が、ダダダッとジウさんに駆け寄り、
その両肩をガシリと掴まえながら言った。
クリーム色のローブに身を包んだ、淑やかそうな印象の人だ。
「え、え~っとね…ちょっと紅葉狩りに」
「スサンボ山へ、山賊を退治しに行ったんでしょ!? 分かってるのよ!」
「わ、分かってんなら、わざわざ質問しなくても…」
「黙りなさい!」
その第一印象を覆すかのように、金髪の女性は凄い剣幕で
ジウさんに詰め寄っている。
僕が入り込む余地など、まるで無い感じだ。
「…ところで、あんたは?」
そんな2人の脇をすり抜け、ガッチリした体格の男性が現れる。
炎の様に逆立った髪型をした、スポーツマン的な雰囲気の人だ。
「僕は、杉山榛名といいます。 事情を話すと、長くなるんですが…」
長くなるというより、ややこしくなると言うべきか。
しかし、話さなければ進展しそうにない問題でもある。
「あぁ、そうかい。 それじゃ、まぁ…あの2人が落ち着いてからだな」
「…はい」
未だ言い争いを続ける2人を、僕とその男性は静かに見守る。
この間に、事情説明の話し方でも考えるとしよう。