第2話 星の欠片
鋭く尖った耳と鼻。
大きく裂けた口。
そして何より、全身を覆う皮膚の色。
黄土色に近いその肌の色は、僕の知る人類のものではないように思える。
「……」
だが、人類でないというなら…一体、何だと言うのだ。
二足歩行で地面に立ち、衣服を身に纏う。
更に弓や棍棒といった道具まで使いこなせるとなれば…。
「お前…人間か?」
グルグル渦巻く思考の中、『彼』の声が鳴り響く。
どうやら、言葉を話せる様子。 …というか、日本語?
その容姿からして、まさか日本語を話せるとは思いもしなかった。
「人間が、この山に何の用ダ」
「……」
なんだか、妙な感じだ。
彼の口振りからすると、まるで自分は人間ではないと
自覚しているかのように思えてしまう。
「おい、聞いテんのか?」
「あっ…はい」
彼の詰め寄るような態度に、僕はようやく第一声を発した。
何にせよ、こうして会話のキャッチボールは可能なわけだ。
とりあえず、話し合いを進めてみるべきかな。
「僕は、杉山榛名と申します」
「…ギッ?」
彼は一瞬、何を言ってるのか分からないような素振りを見せたが、
すぐに気を取り直した様子。
腰にぶら下げた袋に、持っていた棍棒を仕舞い込むと、再び口を開いた。
「俺は、ベント」
「ベントさん…? ですか」
他人のことは言えないが、あまり聞き慣れない名前だ。
恐らくは、漢字で表記するような名前ではないのだろう。
いや、まさか『弁当』と書いて『ベント』と読むのだろうか…?
最近は変わった名前の人も増えてきたことだし、有り得ない話ではない。
「デ…何をしに来タんダ? お前」
「……」
何をしに来たと問われても、どう答えればよいものか。
僕だって、好きでこんな場所にやって来たわけではない。
だが、一体どこからどう説明してよいものか…。
「ドうにも、訳ありな様子ダな」
「……」
黙り込んだ僕に対し、目踏みするような視線を這わせた後、
彼は僅かに首を捻りながら言葉を紡いだ。
「ま…こんな所デ立チ話もなんダ。 おい、チょットツいテ来い。」
「えっ?」
そう言うや否や、彼はクルリと体の向きを変えた。
ついて来いと言われても、果たして何処へ連れてゆく気なのか…?
ここまでの印象からすると、そう乱暴な扱いをされる感じもしないが。
「ギッ…ツいデに、こいツを運ぶ手伝いもしテもらうか」
「えっ?」
ベントさんの視線の先には、さっき彼が倒した角猪が横たわっている。
まだ息はあるものの、ほとんど虫の息といった様相だ。
しかし、こいつを運ぶとは…? つまりは、そういう意味なのだろうか。
ベントさんの誘導の元、しばらく山中を歩いていくと、やがて
古びた木製の小屋がある場所へと辿り着く。
どうやら、ここが彼の住居ということらしい。
「よし、ここデ下ろすぞ」
「…了解です」
小屋の側の平地にて、運んで来た角猪を地面に下ろす。
その付近には、ナイフや鍋…それに焚き火をしたと思われるような跡。
恐らく、調理場として使われている箇所なのだろう。
それなりの距離を歩いたせいか、既に猪の身体はぐったりとしていて
ピクリとも動く気配は無い。
致命傷となったのは、あの最後の一撃か、それとも…。
「こいツの世話は、まタ後にしテやる」
そう言うとベントさんは、慣れた手付きで玄関のドアを開ける。
僕は猪の屍から、小屋の内部へと視線を移した。
「狭い所ダが、ま…ゆッくりしテいけ」
「はい」
確かに、失礼かもしれないが、ちょっと窮屈そうな見た目だ。
とはいえ、それも仕方のないことなのかもしれない。
僕と彼の体のサイズは、ざっと見ても倍ぐらいの差がある。
彼にとっては、これぐらいでも充分に満足出来るスペースなのだろう。
「…ふむ」
「……」
小屋の中に案内された僕は、早速、今の状況について説明し始めた。
勿論、僕の分かる範囲内でのことだ。
とりあえず、僕がどんな場所に住み、どんな生活を送っていたか…
などといったことを話してはみたのだが。
「訳の分からん話ダな」
その反応は、ある程度は覚悟していたものだった。
彼の風貌やその生活振りを見れば、僕とは何かが根本的に違う
世界にいることは明白だったからだ。
「ま、嘘を付いテるッテ気もしねぇが…。 お前の言う『ニホン』なんて国は
悪いが、聞いタこともねぇぞ」
「…そうですか」
聞いたこともないとは、また寂しいものだ。
確かに、小さな島国ではあるが、それなりに発展した良い国です。
まぁそりゃ、抱える問題も色々と無いわけではないんだが…。
「デ、お前…これから、ドうする気ダ?」
「……」
ベントさんに尋ねられ、僕は口籠った。
シンプルだが、非常に難しい問題だ。
この急激な環境の変化に、如何なる対応をしていけばよいものか。
無論のこと、最優先事項としては、まず家に辿り着くこと。
血を分けた妹を始め、家族と呼べる人達はきっと
僕の帰りを待ってくれていることだろう。
だが、家に辿り着くにしても、その道筋が分からないと…。
「…ひトまず、俺に何か話を訊いテみタらドうダ? お前、ドうやら
この辺りのこトにツいテ、まるデ知らねぇようダしな」
「……」
その通りだ。
何はともあれ、今の自分が置かれている状況を
出来るだけ詳しく把握しなければ。
気持ちを切り替えた途端、頭の中にドッと好奇心が溢れ出すのを感じた。
彼の話は、実に興味深いものだった。
それもその筈。
語られることのそのほとんどが、僕にとって初めて聞くことばかりなのだ。
否が応でも、聞き入ってしまうというものだ。
まず、ここは『オルワディス』と呼ばれる世界らしい。
彼の言う『ここ』がどの程度を指し示す言葉なのかは、ひとまず保留。
そしてこの山は、『フォーマス』という国にある
『テドラ山』と呼ばれる場所であるとのこと。
すぐ隣には、『スサンボ山』と呼ばれる似たような山もあるらしい。
山越えをする者は主にそちらの山を通るらしいのだが、最近は山賊が
出没することもあり、人通りは減ってきているんだとか。
その山賊の一味は、全て『ゴブリン』によって結成されているらしい。
ゴブリンとは亜人族の一種であり、世界中に広く分布する種族。
驚くべきことに、ベントさんもそのゴブリンの1人なのだという。
そして、あの角猪の正体だが…あれは『ドドマ』と呼ばれる生き物らしい。
『魔の瘴気』による影響を受け、角から衝撃波を発することが出来る
『魔物』の一種だというのだ。
ちなみに、猪という概念もちゃんとあるらしい。
魔の瘴気とは、魔界から漏れ出している異質な空気のこと。
この空気に触れたりしたものは、思いも寄らぬ力を身に付けたり、
肉体や精神に変化が生じることもあるのだという。
ちなみに、何らかの方法によって魔界から直接この世界へ
やって来たものは、『暗黒獣』とか『暗黒鬼』とか呼ばれることもあるとか…。
そして、その暗黒獣がなんと、この山にも生息しているらしい。
『ドノブイ』と呼ばれるその暗黒獣は、『ドドマ』が巨大化したような
姿をした魔物であり、恐るべき力を持っているんだとか。
ここ数年はまるで音沙汰が無いものの、人々はそいつを恐れており、
この山へ入る者は滅多にいないのだという。
…ふ~む。
この辺りを行き来するためには、2つの山の内のどちらかを
越えて行かねばならない。
しかし、こちらには暗黒獣…あちらには山賊がうろつき廻っている。
どちらを選べば安全か、判断に悩む所だ。
「……」
――と、そんな問題については後に考えればいいとして。
ここまでの話を聞いていて、1つ分かったことがある。
それは、自分がとんでもない場所へ来てしまったということだ。
「……」
見知らぬ地名、国名…。
山賊、ゴブリン、魔物に暗黒獣…。
冗談抜きで、凄まじい世界観。
「…う~ん」
彼の話を全て真実として受け入れるには、まだ早い。
だが、現実にあの奇妙な力を持った角猪と対峙した身だ。
百聞を信ずるに値する程の一見が、そこにはあった。
「……」
しばらく考えていた後、僕はスクッと椅子から立ち上がった。
玄関に向かい、ドアを開く。
そこにはナイフを使い猪を捌く、ベントさんの姿があった。
『ご馳走を作ッテやる』と言って彼が小屋の外に出たのは、
僕が話を聞き終えたすぐ後のことであった。
「…おう、スギヤマか」
僕の気配に気付き、彼がこちらを振り返る。
見れば猪の体は既に半分程が解体されており、毛皮に肉…
内臓などに分割されている様子。
血みどろでグロテスクなその光景は、中々に壮観であった。
「ドうしタ?」
「いえ。 何か、お手伝いでもしようかな…と思いまして」
僕の言葉に、ベントさんはちょっと意外そうな表情を見せる。
そして僕の顔をジッと見つめた後、思いついたように口を開いた。
「そんなら、水デも汲んデきテもらうか…。 ほら、そこに桶があるダろう」
そう言って彼は、小屋の日陰部分に置いてある、それらしき物体を見る。
あまり見かける機会は少ないものの、恐らく桶と呼んでいい物だろう。
「小屋の裏手のすぐの所に、川がある。 そッから汲んデきテくれ」
「了解しました」
僕は仕事内容を確認すると、桶の元へと駆け寄る。
力仕事はお手のものなので、早速お役に立ってみることにしよう。
彼の言っていた通り、小屋の裏手のすぐに緩やかな流れの川があった。
水は窓ガラスの様に綺麗に透き通っており、飲み水として問題は無さそう。
「……」
適当な場所を見付けると、川に桶を浸し、ガバッとすくい上げる。
適度に水深もあったため、桶は一気に水で満たされた。
「…ふぅ」
順風に仕事も終え、退散しようと思ったその時。
何か水底でキラリと光るものが見えた。
「…んっ?」
僕は目を凝らし、その物体の正体を突き止めようとする。
よく見えないけど、何かが石の合間に引っ掛かっている感じだ。
僕は生まれつき、こういったものを無視出来ない性分だ。
好奇心は時に身を滅ぼす、という現実も充分に承知しているつもりだが…
それでも、抑えきれないものは抑えきれない。
「……」
靴を脱ぎ、ズボンの裾を上げると、僕は川の中へ足を踏み入れる。
丁度、膝が浸かるぐらいの水深だ。
パシャパシャと水音を立てながら、僕はその物体の元へと駆け寄った。
「…よいしょ」
邪魔な石をどかし、僕は水の中へ手を突っ込む。
標的をガッチリ掴まえると、それを陽の光の下へと晒け出してやった。
さて、その正体は…というと。
輪っかになった鎖の先端に、何か飾りが付けられている。
いわゆるペンダントと呼ばれる代物だろう。
「……」
飾りは、分かりやすい典型的な星の形。
真ん中部分がくり抜いてある、クッキーの型みたいな作りをしている。
星はキラキラと淡い黄色の光を放っており、僕の目を釘付けにする。
「……」
まるで、中に蛍光ランプでも入っていそうな光り方だが…。
一見した所、そのような構造が組み込まれているとは思えない。
しかしまぁ、魔物やらゴブリンやらが存在している世界だ。
この程度で驚いていては、先が思いやられるというものだろう。
「ン…なんダ? その首飾りは」
水汲みを終えて帰還した僕に、ベントさんから疑問の声が上がる。
猪の解体作業は順調に進められている様子で、あとはほとんど
頭部のみを残す姿となっている。
どこまでを食用にするつもりかは知らないが、まぁ彼に任せる他ないだろう。
「川底で、石に引っ掛かっていたんですよ。 もしかして、
ベントさんの持ち物ですか?」
「いや…知らねぇぞ、俺は」
僕の質問に、小さく首を横に振って答えるベントさん。
確かに、彼の風貌と生活観からみて、どうにも不釣り合いな物ではあった。
しかし、だとすれば…これの持ち主は一体?
「これ…どうします?」
「お前が見付けタもんダ。 お前の好きにすりゃいい」
彼の返事を聞き、僕はその『星』を手に取って考える。
――いや、考えるまでもなかった。
これは、僕が持っていなくちゃいけない物。
何故かは知らないけど、そんな確信にも似た想いがあった。
グツグツと煮えたぎる鍋。
中には赤いスープと、様々な野菜類…そして、あの猪肉が入れてある。
既に太陽は沈みかけており、空はオレンジ色に染まりつつあった。
「…頃合いかな」
彼はボソリと呟くと、手にした木の器にその料理をよそっていく。
まず大雑把にひとすくいしたかと思えば、その後、具財を1つ1つ
確かめるように器に入れていく。
どうやら、器の中身をちゃんと調節しているらしい。
「ほれ、お前の分ダ」
「…どうも」
彼から器を受け取り、その中を覗き込む。
辛味がありそうな赤いスープから、もうもうと湯気が立ち込めていた。
僕はとりあえず、ベントさんが自分の分をよそうまで待つ。
「…じゃ、頂くトするか」
「はい」
ベントさんが箸を付けるのと同時に、僕も料理を口に運ぶ。
まずは…気になる例の猪肉から。
「……」
人生初の猪肉であったが、かなり美味しい。
特有の臭みは多少感じられるものの、この心地好い弾力の身と
とろけるような油が堪らない。
辛味の利いたこのスープとも、よく合っている。
「美味しいです」
「…そいツは何よりダ」
ベントさんはこちらに目もくれず、素っ気無い様子で答える。
ちょっと照れているのかもしれない。
次第に闇に呑まれつつある世界の中、鈴虫の鳴き声が聞こえる。
ユラユラ揺れる焚き火の炎に目をやれば、幻想的な雰囲気に胸が高鳴る。
「……」
この先、どれ程の困難が待ち構えているか…それは分からないが。
今はなんだか、その困難ですらが待ち遠しく感じられる自分がいる。
この気持ち。 この感じを大切にしていこう。
そうすればきっと、悪くない未来を迎えられる筈だ。