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謀略  作者: 逍遙軒
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地頭と小地頭

 三郎達使い番が豊田各城に出向いた頃、大宝沼に四方を囲まれた下妻城周りには燕が大挙してやって来ていた。沼の周囲に茂る蘆原は多くの昆虫等の小動物が棲家としている。この為、燕に営巣の地として利用されていた。城回りにある水田には五月蠅いほどに燕が飛び交っている。

 本来この下妻郷の要とされた城は多賀谷下妻城から北に数里離れたところにある大宝城と云われる城だったが、彦太郎から数代前、結城氏の被官だった多賀谷祥賀が下妻十六郷を切り取って後、その郷を実効支配するために居城を関城から今の場所に移した時から政治的中心地が移動していた。

 居城移転をするならば南北朝期から下妻郷の政治的中心であった大宝城を選びそうなものなのだが、そこを飛び越えて今の下妻城のある高台に城を作ったのは地理的なことが元となっている。支配地の端に位置する大宝城では水運は良かったが陸上交通の便が非常に悪かったのだ。更には高台の規模から考えると城閣としてこれ以上の発展が望めなかったからでもあった。このことで古からの大宝城の権威は衰退していった。

 是により南北朝期には下野国で威を張った小山一族を出自とする下妻氏の居城は、大宝八幡神社となり政治の表舞台から消えて久しい。

 一方、燕の棲家となった新しい一地方の権威の象徴である下妻城、それは連廓式と呼ばれた構造になっており、大宝沼の水を引いた水掘りに仕切られた曲輪が幾つも並ぶ姿は、水の城または浮城とも呼ばれていた。

 その中央には一の曲輪である主殿構えの区画がある。常時は城主の居所となり戦時は要塞の指令所ともなる施設だ。そこから水掘り一重を隔てた所にもう一つ、城主の別邸がある。

 隠居曲輪と云われる小島状の曲輪に造られたそれは、城主がその嫡男に家督を譲った後に住む事になる屋敷が建てられているのだが、本来ならば先ごろ死んだ政経の居所となる筈だった。しかし政経が急死したためにそれが叶わず、今は彦太郎の別邸として扱われる様になっていた。

 左程大きな構えを持たない屋敷は侍屋敷と云うより鄙の百姓屋敷に近い。入口には土間があり直ぐ近くには竃が並んでいる。土間から上がり框を越えた先には板敷きの二間ふたまがあり、その先の木襖を開けると客間が拵えてある。その奥が隠居部屋となっていた。

 濡れ縁には近頃普及しはじめた雨戸と云うものが嵌めこまれているのだが、昼間は明かり取りのために戸袋に納める事ができた。便利なものが発明されたものだ。

 その内側にある障子はぴたりと締め切られていた。

 薄い和紙を透かした日の光が客間に差し込みそこに座る二人の人物を照らし出している。一人は今年十九歳になったばかりの多賀谷の家督、彦太郎だった。

 痘痕あばたの残るその若い顔は渋い面付きとなって、もう一人の醜怪な老人と膝を突き合わせていた。

 彦太郎と相対する前歯の隙間が広いこの老人は、何かを喋るごとに息がそこから漏れ、いちいち唇を舐める。髪の毛も禿げあがり、薄く所々胡麻塩が残ってはいたが髷も満足に結えるほどの量は無い。そのために鬢付け膏で後方に撫でつけていた。皮膚は浅黒く大きなしみが斑点のように浮き、これで襤褸ぼろを纏えば充分物乞いとしても通用する容貌だった。

 ところがこの男、彦太郎の父である政経の代からの軍師であり城も一つ任されている程の者である。その姿形からは思いもよらないものだ。

 小なりとは言え城主なのである。

 城主、そう一口に言う。城とは新しい言葉である。地頭の住まう場所や砦と呼ばれる仕寄場しよせばを指す。

 地頭とは、古くは鎌倉幕府に直属した地方の武士を指した言葉だ。御家人が幕府への奉公人であり、地方の在地御家人が地頭だった。

 里に住まう百姓達のまとめ役であり税の徴収者であり中央からの政を地に布く、それが地頭なのである。しかし今は、税は取るが中央の政から大きく離れ、在地で独自に成長した地頭がいた。それを国人領主と言った。

 多賀谷も成り上がった地頭の筆頭であり、この醜怪な老人もその多賀谷から指名された小地頭である。

 本来はその地頭の上に、室町幕府より指名された守護職しゅごしきと云う権能者が立っていた。守護職が幅を利かせていた時期には『城』ではなく『屋敷、屋形』という呼称が一般的だった。しかし応仁以来の戦国動乱を経て守護職が殆ど消えうせると、この事で城と城主の意味合いは大きく様変わりした。

 その守護職の協力者であった地頭が新しい実力者となって地に湧いた。古い流れを持ってはいるが新興勢力なのである。当然地頭同志の争いも起きる。するとその地頭の住まう場所が城となり地頭が城主となったのだ。例外が甲斐武田家や駿河今川家等である。

 戦でも城は進化する。戦国となってから凡そ百年、合戦の規模も大きくなり武家屋敷のような掘り一重の城では乱入する足軽達を防ぎようが無かった。行動する軍団も百や二百の軍事行動だったものから、今では千、二千。規模の大きい物では数万を催す軍勢まで現れていた。

 この大人数を引き受ける必要に迫られて、城はその規模を膨らませ広大なものへと変貌して来た。


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