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謀略  作者: 逍遙軒
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使いの下知

「弥藤、お主合戦があると言ったが、実に面妖じゃな」

 今はようやく夏に入った季節。それなのにほぼ一年後に多賀谷が攻め寄せると言った三郎の言葉に、同僚の一人は何か引っかかるモノを感じていたのだろう。

 これに三郎は一瞬顔色を変えた。下妻の領主が死んだ事以外は口から出まかせの話なのだ。深く考えての言葉ではないために指摘されると若干ながら動揺が出た。

「いや、それはワシも妙とは思ったがその急使が言った事だからなぁ」

「北條殿を切り捨てる事もか?」

「それはワシの方便じゃ」

 背中に冷や汗を流しながらも咄嗟に取り繕い、深く掘り下げる事が無いように言葉を選んだ。

「方便だと」

「あぁ。今、我が豊田家は佐竹か北條かで割れておるのが実情だろう、それに我が方に本領が近いのは佐竹だからのぅ」

「それにしても、一年も先の合戦の話を多賀谷がするとは思えぬがなぁ」

 と、そのとき、使い番詰所へと続く黒光りする廊下から派手な足音が聞こえて来た。白洲のあった書院の方角から聞こえるその足音は未だ遠方にもかかわらず良く聞こえて来る。これも忍避けの効能なのだろう。

 書院から続く廊下はつづらに折れており、仮に屋敷に敵が侵入して来てもおいそれとは目的の場所には行けない仕掛けにしてあった。その幾つかの角を曲がって現れたのは、先ほど書院渡り廊下で左近と呼ばれていた侍だった。

 板襖を外され、開け放たれた使い番詰所に顔を出した次郎五郎の近臣である左近だったが、このときどことなく落ち着きが無かった。そわそわと懐から書簡を取りだしたが、やもすればそれを取り溢しそうな素振りを見せた。 しかしそれを辛うじてとどめた所を見ると、どうやらそれは次郎五郎が書をしたためた重要なものだったからなのだろう。

「お前達、ちと此方に寄れ」

 その場に居合わせた使い番達を手招きして集めると、その書簡を三通ほど広げて見せた。

「殿からの御下知だ。その方ら急ぎ各城へ急使として赴き、これから儂が申す事を次郎五郎の殿の言葉としてお伝え申せ。佐平次は石毛の次郎(政重)様、勘解由は台豊田の七郎(将親)様、三郎は御本家(治親)様じゃ」

 名を呼ばれた其々が書簡を頭上に押し頂くのを見届けると、左近は落ち着きを取り戻そうとしたのか、咳払いをしてから「まず」と話しを切り出した。

「先ごろ多賀谷の政経殿が身罷ったとの知らせが入り申しそろ。西館から下妻に入れた調者からの報があり申しそろ。後の家督は嫡男彦太郎が継ぎ申し候ほどに、急ぎ御本家様の御指図を仰ぎたく候。而今、御下知をお待ち申し上げそろ。また、古間木の渡邉周防が事、如何様にすべきか合わせて御指図を仰ぎ申し上げそろ」

 左近が書面に書き連ねるように三郎達使い番に口頭で言い聞かせた。一息に言葉を綴ったせいで多少息が乱れたようだ。初夏の湿気のせいだけでは無い汗が額から流れている。袖から手拭を取り出し忙しげに額の汗を拭くと、今の言葉を頭上に聞いていた使い番達に念を押した。

「今の事、しっかと御本家様、御一門様にお伝え申すのだぞ。直ぐ行け」

 言葉尻をきつく結んだ左近は、くるりと踵を返して再び書院に向かって帰って行った。

 直後、同僚達が三郎を一斉に見た。三郎の言った通りとなった事に改めて真実を知ったための反応なのだが、これに対して三郎はぬるりと滑ったしたり顔で頷いただけだった。

 しかしこれは、三郎にしてもまさかと思う程の成り行きでもある。予想していた事とは言え、胸の奥に何か得体の知れぬチクリとするモノがわだかまっている事も感じた。

 表情に出ないように努めてはいるが、多賀谷に調略された自分が気に入らなかった。人質を取られているとはいえ主家を陥れようとする自分に、妥協はできても納得できるものではない。

「三郎、お主の見て来た事、まことの話の様だな」

「あ、あぁ。そうだな」

「お前は御本家様への使いか。気を入れて働けよ」

「治親の殿にお会いするのも久しぶりじゃ。お前に言われずとも懸命に働くわい」


 この会話は苦く感じた。三郎にしてみればこれからが本当の調略の方棒を担ぐ仕事になる。多賀谷からの調略の最前線に置かれた自分の行為、言葉が主家の行く末を変えることは間違いない。

『たかだか妻子の命と引き換えに』

 ちらりとそう考える自分も居る。主家だけでは無い。豊田家に仕える家臣一同数百人、その一族郎党を入れれば千を優に超える人数を路頭に迷わす事にもなる。

『それでほんとうに良いのか』

 妻子を犠牲にして多賀谷からの密命を反故にすれば武士としての体面は整う。しかも武士の本文にもあると云う、己を殺して忠を尽くす理。

 そうも思うのだが、心がどうしても冷めきれず、いまもこうしてずるずると多賀谷の術中に嵌る自分が情けなかった。

『権謀術数は戦国の常ではないか』

 言い訳がましい言葉が脳裏を駆け巡る。

「弥藤、どうした」

 急に黙り込んだ三郎を見た同僚が気にかけて来た。

「あ、いやなに、御本家の殿に使いに参ると思うと聊か緊張してきてな」

 同僚の声に、三郎は表面上取り繕う言葉を返していた。

「ならば、早速使者のお役目、仕ろう」

 その言葉で三人の使い番は其々の城に向かって行った。


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