小督
「ここは重臣と云えど入る事は許されぬ所。それを知らぬとは思わぬが、その方は何者じゃ」
流石に城主の正室である。侵入者が味方であると言っているものの、本当に暗殺者でないとは言い切れない。それを敢えて威圧しようとしている。
「まずは、名を明かす事はお許し下され」
「何故じゃ。我が味方と申すならば名を明かす事、吝かではなかろう」
「儂は雇われ身にござる。名を明かせば雇い主に迷惑がかかること故それは申す事叶いませぬが、危急のお知らせの為に参上仕ったものでございます」
黒装束の侵入者は大仏壇から反身だけ現した姿をそのままに、頭だけ小督に下げて見せた。
「忍か」
思い当たる節は幾らでもある。多賀谷と和睦をした豊田家なのだ。この辺りで忍をつかう勢力となれば逆井の北條氏であろう。それが城主の治親では無く、正室の自分に危急の知らせを持ってきたとはどんな事であろうか。
小督は興味を持った。
「人外の者、まずその危急との口上はなんじゃ」
忍を人外の者と、小督は戯れた。
黒装束は笑いもしなかった。
「今宵の宴の事にござる」
今宵の宴。
この不吉な言葉に小督はびくりと体を震わせてしまった。
治親と話していた時の嫌な予感とはこれの事かも知れぬ。豊田の城主が家臣の邸宅で酒宴をしている所を見計らって逆井から北條の大軍が来るのであろうか。
冷静になればそのような情報を北條方の忍が携えてくる訳はないのだが、小督は少々動顛していた。
「北條殿か」
「今、北條はさほど関係ありませぬな」
「ならば、大膳か」
「ご明察にござる。治親様をおとめ頂けますよう、お願いに参上してござる」
北條とは異なったものの、小督の不安が的中している事に変わりはなかった。
「大膳が何をする」
黒装束は一瞬首を捻った。そして、する。かどうかは確かではござらぬ。そう言い残して仏壇の裏に隠れた。
小督には黒装束が最後、妙に歯切れの悪い話し方をしたように感じた。何かを知っていても話せぬのか、本当に知らぬのか。
「これ、はっきりと申せ」
小督は姿を消した黒装束を追おうと急ぎ立ち上がって仏壇の裏に歩いたが、既にそこに黒装束の姿はなかった。
翌日の午の刻、大曾根の城から白井全洞が近習を連れて大膳屋敷に出発した。その行列には近習が数十人程、それに仕える小者等も随伴した大行列であった。
同時に大曾根を抜け出た男も西館に向かって走った。全洞一行よりも先に西館に到着する為に近くの百姓屋敷に繋がれていた馬を拝借すると、大声で怒鳴る百姓を尻目に鞭を入れ、土埃を上げて西館に向かった。
西館に到着したのはそれから四半時ほどだったろうか。
西館の城からさほど離れていない所にあった三郎の屋敷に入った馬上の男は悪衛門である。
庭へ入るなり馬を乗り捨て、驚く下男に手綱を渡すと大声で三郎を呼んだ。
「悪衛門、こっちじゃ」
濡れ縁に出ていた三郎が手招きをしている。大膳屋敷へ向かう為に衣装も侍烏帽子に大紋直垂を纏う姿は、馬子にも衣装であるな。とは悪衛門が思った事。
この衣装は大膳屋敷に赴く事になったために、昨夜おさとが針仕事で仕上げてくれたものだった。




