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謀略  作者: 逍遙軒
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酒一献

「いやこれは全洞殿、酌等は社の稚児等を呼べばよろしゅうござろう。全洞殿おん自らの手酌ではそれがしが恐縮致します」

 全洞は自然な笑顔になった。腹に一物も無いときの全洞の笑った顔は、日頃の醜悪さとはかけ離れた、百姓の老爺のそれであった。

「大膳殿には儂が無理を言って今日の結願となり申したのじゃ。せめてこれくらいの御芳志をさせて頂いても罰は当たるまいと思いまするぞ」

 大膳は全洞の銚子を受けた。ならばと大膳も銚子を受け取り全洞の盃に白酒を注ぐと、ともに席に戻って盃を押し頂いた。

「両家の弥栄を祈って」

 全洞の音頭で二人は盃を傾けた。

「ところで大膳殿」

 そう言いながら全洞は、再び銚子を捧げて席を離れると、大膳の元にやって来た。

「儂はあまり耳が良くないものでな、ちと言葉が聞き取りずらい。せめて酌をさせて頂きますで、近くに拠る事をお許し下されよ」

 全洞の見た目の年齢を考えると、耳が遠いと言う事も頷ける。多賀谷の軍師であり娘の舅でもある全洞に酌をさせる等は中々できる事では無いが、席を近くに寄せる事などは何の事はない。大膳は喜んで我が身の隣に席を譲った。

「これは忝い」

 社の稚児を呼んで全洞の膳も差し向かいでは無く、隣り合う様に並べ替えさせるとそこからは注しつつ注されつの酒宴がはじまった。

 隣の座敷では、家臣達が始めのうちは静かに膳を囲んでいたようだったが、酒が入ると俄かに騒がしくなっている。

「家臣共も打ち解けることができた様にございますな」

 もう一献と銚子を捧げ持つ全洞がにこにことしながら大膳の盃を満たした。

「そうそう、遅れてしまい申し訳もない事なのじゃが」

 全洞が傾けていた銚子を台に戻しながら話題を変えた。

「どうされた?」

「結納の品をな、大膳殿にお渡しせねばなりませぬ」

「結納の品ですと?」

 大膳は盃を口に付け、白酒を舐めた。

 結納の品はとうに受け取っているのだ。もちろん我が娘とは云っても豊田家に養女に出された身である。当然多賀谷家から豊田家に贈られている。

「もう受け取っておりまするぞ」

「いやいや」

 全洞も酒が回りだしたのか、染みだらけの薄い頭にほんのりと紅がさして来た。

「豊田家には贈り申した。そうではなく、大膳殿、飯見家にでござるよ」

「まさか」

 大膳は一笑に伏せようとした。結納の品を何度も受け取る婚家もあるまい。

「我が娘とはいえ、豊田家の子となりましてござる。ならば結納は豊田家に贈られたもののみで充分にござろう」

「したが、やはりこの婚儀は多賀谷から申し出たもの。しかも大膳殿の娘を所望したは他でもない、儂なのじゃ。大膳殿には大事な娘御を手放さなければならなかった辛さは、儂も子を持つ親なので分かり申す。その罪滅ぼしと思うて下さらぬか」

「したがそれでは下妻殿が良い顔をされますまい」

「なんの」

 全洞の顔は既に紅が過ぎて朱になりだしていた。

「これは重経様の発案でもあり申す」

「さようにござるのか」

 全洞はこのとき、掌を三度ほど叩き、前もって言い含めていたのか社の稚児を呼んだ。自ら大曾根から引き連れた家臣は隣の座敷で大膳の家臣をもてなしている為に雷の宮で稚児を借りたのだろう。

 座敷の障子がからりとひらくと、年の頃は十を一つ二つこえた程の稚児が漆塗りの箱を携えていた。

「ささ、これへ」

 全洞が稚児の持つ箱を受け取ると、大膳の正面に座りなおして居住まいを正した。

 稚児が廊下に戻って障子を締めきったとき、全洞はその黒漆塗りの箱をくるりと大膳に向け直して蓋を外して見せた。


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