結願
多賀谷と豊田の婚儀も一通り済むと、豊田の里には久しぶりの平穏が訪れていた。
天正六年の春は花も盛りに過ぎて行き再び百姓が村中総出の田植えを始める時期となると、城に詰める武士たちも裃から野良着に着替えて泥田に足を埋めている。
初夏の風が汗に濡れた体に心地よい。
田圃の中に一列に横並びした人数が稲を植え込む調子に合わせて畦道の老爺が田植え唄を歌っている。隣に並ぶ老夫婦がその調子に合わせて面白おかしく相の手を入れた。
遠方に入道雲の登り立つ青空の下にのんびりした歌声が流れ、如何にも鄙の風景がそこにはあった。
そしてその鄙びた歌声を背景に、畦道を飯見大膳主従が静々と馬をうたせて歩いていた。
徒歩立ちの荒子が四人程先を進み、大膳を挟んで前後に馬上の近習を従えた一行の向かう先は雷の宮と云われた社である。
『我が孫と大膳殿の御息女が夫婦となった今、下妻と豊田にはまがりなりにも平穏が訪れた。これを万世にも続くようにと雷の宮で祈願参りなどは如何』
そう誘う白井全洞の使者となったのは大膳の娘に付いて下妻入りした平沢又兵衛というものである。そもそもこの男は大膳の近臣として古くから従っていた者なのだが、実直な性格を好んだ大膳からの頼みで娘に付いて行かせた家人だった。
その男が、「全洞様が」と言った。
これよりは多賀谷と豊田の争いは無くなりましょう。とも付け加えると、「白井家と飯見家の弥栄を祈りたいと仰せになりましてございます」
全洞が選りすぐった数々の贈物と共にやってきた平沢又兵衛だったが、半年もしない内に白井家の家臣になったかの様な口ぶりで元の主家にやって来たのだ。
「全洞殿がそう申したか」
「はい、誠に目出度き事かと」
実直な男だけに主家と婚家が昵懇になる事に対して聊かの危惧も持たないのだろう。持つべきでないと思っている節もある。
大膳としてもこれを無碍に断る理由も無い。
「ならば」
と、その後数回の使者をやり取りして今日の雷の宮参籠になっていた。
細い畝道を小貝川の囁きを聞きながら進んでいる。
大膳の腹でも思わぬ形で成った平穏には心湧きたつものが無いわけでもない。
自然表情の険が消えていた。
大膳主従が雷の宮参道に到着すると、すでに全洞は宮に到着していたようだ。しかも鳥居の前で馬を降り、徒歩姿で大膳を待っている。
恐縮しながらも大膳は急ぎ馬をおりると、それを待ちきれないかのように全洞は大膳の手をとって下馬の手伝いをしている。傍目から見れば全洞が大膳の家臣にでもなったかのように見える程の歓迎の仕様である。
鳥居前ではあるものの、大膳と全洞、慇懃な挨拶を交わし今日の祝辞を述べあうと、再び全洞に手を取られるように参道を進み雷の宮本殿に案内されて行った。
もちろん大膳に従ってやってきた荒子にまで全洞の家臣達は慇懃に遇している。
宮の宮司には前もって全洞から話が行っているためか、宮の内で案内された四つの座敷を自由に使う事が出来た。家人全てが宮の内に入れる程の、下にも置かぬ歓迎ぶりである。
また厨で膳の用意が始まった頃、全洞と大膳は宮司に先導されて拝殿に向かったようだ。
ただ、二人共に両家の重臣である。長い間の参籠はできない為に両三日と決めて籠り、その三日後の結願の日には酒宴を開いて其々が帰着を迎える予定となった。
その結願の日、朝から宮の厨は忙しかった。
参籠した両家の為の膳を用意するのだが、どうかと言えば白井家が飯見家をもてなすと言った意味合いが強い。
両家の家臣達は別室で宴の席が用意され、大膳と全洞は差し向かいで膳を挟んでいるのだが、銚子を持ち大膳の盃に白酒を注いでいるのは全洞であった。
「大膳殿」
今日の全洞は愛想が良い。何時もの歯ぐら具合は変わる事はないが、あの空気の抜けるようなひひひと笑う癖は封印している。
それだけでも随分と印象が変わるもののようだ。
「参籠明けの結願を迎え、これから両主家と共に我らが家も愈々栄えること疑いもなし。どうぞ我が酌を受けて下され」
朱漆で塗られた品の良い銚子を捧げながら全洞は自分の席を立つと、大膳の目の前まで進んで来た。立ち居振る舞いが意外なほどにすっきりと洗練されている。




