使者来訪
台豊田の赤須七郎将親の考案した落とし穴の戦術によって多くの将兵を失った多賀谷勢に、追い打ちをかけるように小田の援軍が到着した。小田天庵が小田城攻めの軍勢を幾人か割いて応援を出してくれたのだが、これを見た多賀谷重経、状況が不利と判断して退却を下知。
下妻方面に後退する多賀谷勢を追って斬りこんだ豊田勢の猛攻に合うと多賀谷の総崩れとなり、結果豊田の圧勝という形で幕を閉じた。
後年、蛇沼合戦と呼ばれた豊田城下での戦いであった。
それから三カ月。
蒸し暑い夏の日差しが豊田の城に差し込んでいた。
近隣の寺院でも瓦屋根が焼けて陽炎をあげている。救いは小貝川の畔にある豊田の城には川風がそよいでおり、主殿に籠った八月の熱気を下流に流している事だった。
「暑いな」
「夏ですから」
城の茅葺屋根もからからに乾き、むっとした熱を込めている。
日蔭となった広間は川風が直接吹きこんで入るぶん他よりも涼しい。とはいえ、治親は扇をせわしなく動かしている。
「暑いと申せば昨年末、下妻で護摩を焚いた西館の三郎」
治親が三郎の名を聞いて、首を傾げた。すぐには誰か思いだせなかった。
「歩き念仏の三郎にござるよ」
治親は、ああ、と声を上げた。
年末、大膳の下男となっていた男が多賀谷の手の者に殺され、そのまま石毛の外れに打ち捨てられていた為に下妻で野辺送りをしたいと許しを請うて来た事を思い出した。
「豊田家中の結束を見せつけてやりたいとか言っていた男だな。で、そやつがどうかしたのか」
「いえ、別にどうと云う事もありませぬが」
「せぬが、何じゃ」
「いや、あれの妻子が多賀谷に捕えられたままになっておりまして」
「そうじゃのぅ」
「なにか無事に取り戻す手は無いかと考えておるのですが、中々」
「反間とはいえ、人質が取られたままではまた何時多賀谷の間諜に戻るかわからんか」
「御意。ただ、多賀谷を下妻へと追い散らした今、召し放ちをするのも手ではございますぞ」
大膳の言葉に治親の目がちらり動いた。
「大膳、儂はな、家臣は我が子同然である。と常々自らに言い聞かせておる。身の近くに侍るものを心から信用できなくては何を持って家を治める事が出来ようか。あまり情の無い事を申すな」
は。と了の息を吐いた大膳だったが、腹の中では甘すぎる。と我が主ながら嗜めたい思いがふつふつと湧いて行くのを感じていた。
甘いのだ。離合集散果てしない戦国の世にあって一度背いた人間に信を置くなどとは。
大膳は治親の甘さを危ういと思う。いつかこれが命取りに繋がりはしないかと思えた。家臣を家族や我が子と思うのは良い、それは家臣一同の結束を固めるだろう。だが、腹を裏切りと決めた者には体よく使われてしまうものだ。
使われるだけならまだ良いが、治親は豊田の領主である。命は無事には済むまい。
「殿、しかし」
大膳が三郎の処分を敢えて続けようとした時、広間に続く廊下から小姓が速足で進んで来るのが見えた。
合戦時などの緊急事態でも無ければ、通常主殿廊下を走る者はいない。
その足音に驚いたのか、濡れ縁から繋がる階の脇にある手水から雀が慌ただしく飛び去って行った。
残った手水鉢の水に波紋がふわりと広がっている。
治親も雀の軌跡を追った後に目線を廊下に落とすと、渡って来た小姓が視界に入った。
二人の座る広間の縁まで来た小姓はさっと膝をついて平伏するが、その所作がどこか慌ただしげなのは思わぬ知らせでも持ってきた為なのだろうか。
「下妻からの御使者が参られましてございます」
「……なに?」
下妻とは三か月前の蛇沼合戦で完膚なきまでに叩きのめした相手のはず。ただし、勝ったとはいえ下妻の本城までも脅かしてはいないために今もって臨戦態勢である事は間違いない。
大膳は前もって知らせがあったのかとの意を込めて主の顔を見たが、当の治親も怪訝そうな顔をしている。
いきなりの来訪だったのか。
 




