政経の死
平伏したまま陣兵衛は声を上げた。
「お殿様に申し上げます。下妻の多賀谷政経殿が死にましてございます」
先程まで自分の耳と尻を楽しませていた玉砂利を、今は目の前に見ながら陣兵衛は声を張り上げた。
しかし、根っからの下男だった陣兵衛は言葉も下卑ている。心得のある侍であれば「死にまして」等とは使わない。だが、この陣兵衛の言葉を聞いた侍達には、その「死んだ」と云う音が、その言葉のもたらす意味以上に重く届いたようだ。
言葉が途切れ、一瞬の静寂が漂った。そして直ぐに侍達がざわつき始めた。侍女からは下妻に忍ばせている調者が来たとだけ伝えられていたのだろう、よもや是ほどの大事とは夢にも考えてはいなかった侍達は衝撃を受けた。
毎年のように自領に攻め込んでくる厄介な敵国の主が死んだのだから吉報としての喜びもあるが、これを手放しで喜んでいてもよいものだろうか。これが調略であれば空恐ろしい事になる。
侍達はその知らせを直ぐには受け入れることが出来なかった。
一呼吸の間を入れてから侍の一人が静かに声を上げた。やや控えめな声量だったのは、自らの動揺をなるべく抑えようとする気持ちの現れなのだろう。
「なんと、政経殿が死、いや、身罷ったと申したか」
「その方、偽りを申しておるのではあるまいな」
知らせの真偽を確かめる為に侍達は居丈高に問い始めると、これには陣兵衛も真剣に抗議するように額を玉砂利から持ち上げた。
「ワシがちくらっぽこく訳なかんべ。あ、んじゃなかった、嘘を申し上げる筈がなかんべでございます。この前ワシが渡邉の姫御前様の屋敷裏で薪割りをしてたら、どっかから使いが来たんだ。んでほれ、人数が多かったからなんだべけど、あんまり騒がしいんで何事かと思って表に出てみたら下妻んてぇらがいっぱい来てらして、そこで葬儀の日取りを話してたんでございます」
陣兵衛は語尾だけを丁寧に繕い、一気に捲し立てると再び玉砂利の上に額を戻していた。
梅雨明けの太陽の光は白い玉砂利に反射して陣兵衛の顔を白々と照らし、もう暫くするとやって来る夏の日差しがその片鱗を見せ始めていた。
陣兵衛が操る北関東訛りの言葉を聞いていた侍は、それが終わった事を確認したかのように溜息を吐いた。
「それは、一大事じゃ。この事他言はしておるまいな」
「ワシは下妻から一息にここまで走って来たんだ。だから今話を聞いたお前様方が初めて聞いた事になりますでございます」
「左様か」
陣兵衛に話しかけていた侍は腕を組んで陣兵衛を見下ろした。
しばらくして侍達のざわつきも途絶えたとき、庭木にとまっていた尾長が羽音を立てて飛び去った。
この不意を突いた雑音の合間に声を響かせたのは今の今まで口をつぐんでいた次郎五郎だった。
「左近」
しかし、そう侍の名を呼んだ次郎五郎だったが、特に何を話しかける訳でもなくまるで今までの報告にも興味もなかったかのように顎でくいっと書院の方を指し示すと、すたすたと歩き出してしまった。
侍達はすっと頭を下げると後に続いて書院に入って行き、是に続いて陣兵衛の隣にいた侍も用が済んだとみえ、声もかける事無くさっと立ち上がって屋敷に入って行ってしまった。
一人取り残された陣兵衛は、しばし玉砂利の心地よさを尻で堪能してから一つ溜息を吐いて下妻に去って行った。
このやり取りの中、庭先の木陰に一人の男が隠れるように佇んでいたことを知る者はいなかった。
木の枝に隠れたその顔は、どこか不機嫌そうにへの字口に口角を下げている。
「ふむ、あ奴が伝えたかった事はこれだったか」
そう独りごちたのは弥藤三郎だった。
三郎は前夜、再びあの破れ築地の続く破寺に出向いていた。一月に一度出向く事になっているそこでは、あの陰鬱な声の主が何時もの銭の受け渡しの他にも珍しく言葉を投げかけていた。
「明朝、下妻に入っている下男が西館に戻る。その者が西館の次郎五郎に何かを伝えるだろう。此の度はそれを元に豊田家中に噂を撒け。よいな」
虫唾の走る思いでこの声を聞いた三郎だったが、膝前に投げられた銭を懐に捻じ込んで無言のまま破寺を去っていた。だが良く考えてみれば今の豊田家は北の脅威となった多賀谷家の後ろ盾である常陸佐竹家に誼を通じたがっている者と、相模の小田原から長躯侵略の手を伸ばしている北條家と繋がりを持とうとしている者で家中が相争っている。
なるほどこれは、先の西館と石毛の両城主が多賀谷に誼を通じる等と言った出所不明な噂などよりも更に深刻な噂となって豊田家中に浸透して行くだろう。
三郎はこの後、自らが行おうとしている行為を深く呪う事となった。