橙の道
三郎の持つ松明に火が入ると其々の手にあった松明にも火が入り、行列を暗がりのなかで橙色に染め上げている。
後ろに居並んだ歩き念仏に参加した人数も、その辺りに転がっている朽木に火をつけて松明代わりとしていた。
再び三郎が経文を誦し始めると、僧侶を含めて後ろに連なるものが其々に読経を始め、闇夜の歩き念仏の集団が石毛の城下から下妻方面へと移動していった。
真冬の夜空には満天の星が瞬いてはいたが、歩き念仏の集団が焦がす松明によって星々が燻されているようにも見えた。
「なんじゃあれは」
下妻の城の南方にある矢倉上の物見の目には、墨を流したような地面に橙色の帯が流れて来る様子が見える。
豊田からの急襲か、とも思わぬでもなかったが、近付いて来る人数を良く見ると武装兵は数える程しか居ない。ましてや城を急攻めするのであれば松明は使わないだろう。
多賀谷の物見は緊張を緩めると再び、あれは何ぞ。との独り言を発していた。
ゆるゆると近付いて来る。
川の流れに乗った橙の実が緩やかに流れ来るようにそれは地にうねり、暗闇の虚空を満たすかのような読経と共にやって来た。
見る間に二百程の様々な身形の者達が手に手に松明を握り締めて下妻の城外まで入って来る。
下妻でも木戸はある。この様な夜更けに怪しい念仏を唱える集団等を木戸番が入れる訳はないのだが、なぜかこの時、下妻の木戸が開いていた。
先頭を行く三郎も木戸外での野辺送りを考えていたのだが、この意外な展開にそこに居る木戸番を凝視した。するとその小屋の小窓からぬっと顔が出て来たのだが、その顔は見覚えがあった。
悪衛門だった。
「なんじゃお前は」
三郎はつい念仏を止めてしまった。余りにも意外と言えば意外な人物がそこにいるのだから致し方ない事ではある。
「なんじゃとは何じゃ。折角木戸を開けて待っていてやったと言うに。感謝せい」
悪衛門は笑っている。木戸番小屋を良く見ると、本当の木戸番であろう男は二人いたようで、二人共にぐっすりと寝込んでいるようだ。
「どうやった?」
「面白いものじゃろう。世間には眠り薬というものがある。それを酒と一緒に呑ませたらほれこの通りじゃ」
悪衛門の言う通り、木戸番二人は少々頭を小突いても起きそうにないほど眠りに入っているように見える。
「それ、いそげ。下妻の追手道で野辺送りをするんじゃろう。急がねば城から城番が出て来てしまうぞ」
悪衛門はひらひらと掌を振って野辺送りの歩き念仏集団を急かした。
「悪衛門、すまんな」
「なに、儂は面白ければそれで良いのさ」
三郎は頷き、再び念仏を唱え出して下妻城下の木戸を潜ると歩き念仏の人数も三郎に続く。
橙色の流れはじわりと下妻城下にも広がりをみせた。
見渡す限りの闇夜である。
まだ夕餉を取っている家もあるだろうが、殆どの家は寝静まる直前の頃合いだ。
そこに松明を掲げて念仏を唱え歩く集団がやって来たのだから城下に暮らす者達はだいぶ驚いたようだ。
夜盗の集団かと思った家々では戸をきつく締めていたが、物見高い家からは住民達が顔をのぞかせている。
中にはどこから持って来たのかと思える様な破れ鎧を身に着け、棒きれを掴んで表に飛び出してきた者までいた。
豊田からやって来た集団の中には様々な生業のものが混じっている。百姓も商人も武士も居た。口さがない百姓などは家々から顔を出している者達に、宿願成就の歩き念仏じゃ。長生きや出世を願うならば共に行くべぃと声をかけ回るものも現れた。
「面白そうな」とは下妻の者たちである。
まさか豊田の地から多賀谷への嫌がらせを込めてやって来ているとは夢にすら思わない。
実のところ、この歩き念仏の意味合いを知るものは三郎と、ここにはいない飯見大膳、豊田治親、次郎政重、悪衛門くらいのものである。
下妻の城下に入った所で人数はさらに膨れ上がり、季節を間違えた夏の祭りの様になって行った。
その人だかりの中心で、ぽっと火明かりが灯った。
 




