客寄せ
無上甚深微妙法 百千万劫難遭遇
我今見聞特受持 願解如来真実義
開経偈とは臨済宗寺院のお勤めのさい、先ず初めに唱えるものとされる。開経偈、懺悔文、三帰依文を唱えてから般若心経へと流れる最初の経文である。
三郎の読経の声に共鳴するように、僧侶達の誦する経もうねりを持って地を舐めて行く様に音が広がって行った。
その後を献花、松明等をもった家人が居並び、導師として龍心寺から差し下された僧侶達が経を誦しながら続き、周りには石毛の足軽達の護衛があった。そして最後列に陣兵衛の載せられた護摩壇とも言える輿が連なる。
ぞろぞろと石毛の外れから木戸を潜って城内に入って来た総勢二十人程の歩き念仏の集団は奇妙なものである。全うな野辺送りの様にも見えるが、何か、どこかが違っているのだ。
城下の者の目には奇異に映った。
「なんじゃ」
そう呟く者が大半である。
だが、この奇妙な集団は何事だろうと見物に集まってくるものが次第に増えて行った。
この頃には本尊回向を誦し始めている。
三郎の考えた歩き念仏とは、臨済宗寺院のお勤めをそのまま歩きながらに再現するものでもあった。
中には龍心寺の僧達が居並んで経を誦するものだから意味も無く有難がる者もいる。そういった者達は頼みもしないのに集団の最後尾、陣兵衛の載った輿の後に付いて来るものだ。
城下の大道を練り歩く集団は次第に膨れあがっている。中には良く分からずに付いて来ている者もいるだろう。
三郎は更に歩き念仏の客を集める為に大悲心陀羅尼または大悲円満無礙神咒と呼ばれる経を幾度も誦した。
再び石毛の木戸辺りまで戻って来た頃には、その集団は二百人を優に越えている。
先頭で数珠をならして大声で経文を誦していた三郎だったが、日が傾き始めていよいよ木戸を抜ける頃合いとなると、誦するのをぴたりとやめた。
振り返った三郎の前には行列に付従う石毛の者が目を輝かせている。いきなり振り返った三郎が何を言うのか興味を持ったのだろう。
共に経文を唱えていた町の者も僧侶も、経を最後まで誦すると静寂が城下外れを覆った。
「石毛の者達よ、この歩き念仏に参加したものは病身の者は病の退癒を約束され長生を祈るものは百までは生きる。出世を願うものは思うままの大願成就疑いなしぞ。観自在菩薩の威光の真言を唱えて全ての願いを叶えたいと思わんものはこれに参集すべし」
付いて来た者の中には地面に膝を付いて拝む者まで現れた。
「もうすぐ日が落ちる。ワシらはこれより木戸を出で、下妻までの道を観自在の智慧をもって照らさしめ、多賀谷の城下で野辺の送りの護摩を焚こうと思う」
「野辺送りじゃと?これは宿願成就の歩き念仏ではないのか?」
群衆から声が上がった。
「つい先日な、この石毛の木戸の外に仏が舞い降りたのよ。その仏の野辺送りが宿願成就の歩き念仏とはなったわ」
この言葉であっと気付く者が多数いたことは間違いない。
木戸の外に打ち捨てられた下男を供養する野辺送りだったかと理解したようで、この集団に混じっていた北條寄りの武士はこのやり方を好意的に受け入れた。
「豊田を一枚岩とする野辺送りの為の歩き念仏でござったか。これは仏の功力も我が身に宿ろうと言うもの。ワシも下妻まで付いて行き申そう。やつらに目に物を見せてやりましょうぞ」
当然この列から離れて行く者もいたが三郎はそれを止める事はしなかった。
本来であれば日の落ちる刻限は木戸番が出入りを禁止する。だがこの時は愛想の良い顔で総勢を送り出してくれた。またその日のうちに戻る事を考えてか、寒空の中、暖をとる為の焚火と篝火を熾してくれていた。
城主の意向と云うものは有難いものである。
全員が木戸を潜った頃には完全に日が落ちた。
 




