西館
顔を青くした賄い方、今度は顔を赤くしながら奥に居るはずの侍女を大声で呼んでいた。
西館では数年前、豊田家臣であった渡邉周防守と云う者が下妻多賀谷氏と誼を通じたとき、その家臣群に紛れさせた西館詰だった者がいた。それからしばらくすると渡邉周防守の娘が多賀谷の人質として下妻城へ送られたため、その下男に化けて今は渡邉周防守の居城である古間木城から多賀谷政経、彦太郎親子の籠る下妻城にまで入り込んでいる。毎年のように豊田領へと侵攻して来る多賀谷氏を牽制する為に調者として送り込んでいる者の情報は豊田方にとっては第一級の情報であり、最優先されるべき情報であった。
侍女を使って城主次郎五郎の元に下妻からの使者到着の知らせを持って行かせると同時に、陣兵衛を屋敷の西側にある書院の庭に向かわせた。
書院の庭とは言ったが直接書院に面した庭に通すのではない。その書院に出入りするための渡り廊下に面した一部に白洲が作られており、身分の卑しい者などが何かの用事で城主に呼ばれた時などはそこを使う事が通例となっていた。
城主と下男では身分が違いすぎるために広間や座敷などに上げる事は無い。
偶然書院に渡って来た城主が白洲に平伏している近在の小作人や下男等を見かけた為に声をかけると云う風をつくるのだ。
さて、書院の庭に到着した陣兵衛、賄い方に来させられたとは言ってもまだ誰も待っているはずもなく、どうしたものかと手持無沙汰に白砂利の敷き詰められた白洲に座ってみた。
目の前には地面から一尺ほど浮かんだ格好で渡り廊下が設えてあり、そこを潜った先にも白い玉砂利が川の流れの様な模様を付けられて撒かれている。
左程凝った作りの庭造りではなかったが、石や木が意趣的に並べられており中々雅なものだ。
庭木の根元はくるりと砂が回され、そこは水が渦を巻いているように見せているのだろう。雅と云うモノには余り縁がなかった陣兵衛だったが、この作意は面白かった。
尻に敷いた玉砂利からじゃりじゃりと聞こえる音も意外にも心地良く耳に響く。伝わってくるひんやりとした冷たさも中々に興のあるものだ。蓆すら敷かれていない庭だったが、思わぬ白砂利の心地よさに主がやって来るまでの間、陣兵衛は庭木などを眺めて時の過ぎるのも忘れていた。
すると間もなく、主殿から幾人かの足音が聞こえて来た。城主の次郎五郎が重臣達を幾人か従えてやってきたのだろう。同時に庭先へと一人の家臣が現れ、陣兵衛の隣で片膝をついて渡り廊下を見ている。
足音が一際大きく聞こえた時、書院への渡り廊下へと歩を向けた次郎五郎の姿が現れた時には、既に陣兵衛は玉砂利に額が付くまで頭を下げていた。
するすると歩いて来る人数が渡り廊下の途中までやって来た時、次郎五郎の後方にいた重臣と思しき侍が、今しがた庭に平伏する人物に気が付いたかのように声をかけて来た。
「殿、庭にいづくかの者が」
ちらりと陣兵衛に一瞥をくれた次郎五郎、うむと頷いて歩を止めた。
裃を纏いきりりと髷を結いあげた西館の主、その頭は剃り上げた月代ではなく、既に赤く禿げあがっている。
眉は八の字に垂れ、それに従うように目じりも垂れさがってはいるが愛嬌があるというよりは何処となく底意地の悪そうな、腹が読めない雰囲気を見せている。
この次郎五郎、通称では石毛の次郎五郎と呼ばれており、本来は本家豊田家の一支族である。一族間では切れ者としての評判は高いが、何処となく計算高く理非で物事を決めて行く男だった。豊田家の中での立ち位置としては主である豊田治親、その兄弟である豊田次郎政重、同じく赤須七郎将親に継ぐ実力者とも言える。
この次郎五郎が渡り廊下の上から陣兵衛を見た事で、庭に来ていた家臣が陣兵衛の紹介を始めた。とはいえ既に知らせてあるので今更とも言えるのだが、そういった決まり事を踏襲してこその権威なのだろう。
「此の者、下妻表よりの賓にて名を陣兵衛。本日火急の要件ありて殿にお目通りを願い奉りました次第」
次郎五郎はちらりと後ろの侍を見た。応対せよとの目配せだ。心得た侍は陣兵衛に言葉をかけた。
「下妻からの急使とか。直答を許す、申してみよ」
ここでようやく陣兵衛が言葉を出せる段階になった。手続きとは言え面倒なものだ。