陣兵衛
「殿様達は覚えてなかんべけど、ワシャもともと西館に仕えておりまして」
これには大膳の脇に居並んだ重臣達から驚きの声が上がった。
「んでほれ、渡邉の殿様が下妻に付くってんで、その姫御前さまが輿入れする段になったとき、ワシが古間木からの下男に化けてその屋敷に仕えておりました」
この言葉に大膳は思い当たる節があったようだ。確かに数年前、古間木の渡邉周防守が豊田を離反し多賀谷に寝返ると云った事件があった。
このとき石毛の次郎政重からの提案で、余り顔の知られていない人物を古間木に忍ばせ、体の良い間諜として使うという話があった事を思い出していた。
そしてそのとき次郎政重の配下である西館の次郎五郎の元に仕える下男を送りだしていたのだ。それがこの目の前の男、陣兵衛であった。
「そうか、お前が次郎五郎殿から使わされた下男だったか」
大膳は手に持った扇を自らの右ひざに軽く打ち当てた。
「しかし解せぬことがある」
陣兵衛は一瞬顔を上げたが、大膳と目が合うとすかさず地面に額を擦りつけていた。
「何故渡邉の姫に仕える下男が石毛を襲う刺客になった」
「へっ」
暫しの沈黙が流れた。陣兵衛が話して良いものか悩んでいるのであろう。大膳も急かす事無く陣兵衛の口が動くのを待っている。
「どうした、何か口にできぬ事でもあるのか」
「いえ、あの」
ぱちりと床板が鳴った。先ほど大膳が弄んでいた扇をぴたりと膝前に置いた音であった。
これにびくりと肩を震わせた陣兵衛が堰を切ったように話し出した。
「ある日ワシが庭の掃除をしていた時なんだけど、多賀谷の“ぜんどう”って名前のお侍が姫御前屋敷にやって来たんだ。んでお伴のお侍もいっぺえ来てらしてワシを取り囲みました。んでその“ぜんどう”が言うには、お前は豊田の間者であろう。見つけたからにはこの場で斬り殺すと言われましてごぜます」
「そうか、だがその方が死なずに此処に居るという事は何か取引をされたな」
「へぇ。丁度多賀谷の殿様の政経様が死んだとかで、それを知らせに西館に使いに行けと言われましてごぜます」
「なんと、わざと政経の死を知らせよと言ったのか」
「へぇ、左様にごぜます」
大膳は悩んでしまった。当主の死とは事の他の重大事である。世子が未だ未熟であれば、通常ならば隠そうと必死になるもの。事実多賀谷の家督は齢十九の重経なのである。それをわざと豊田に知らせようとしたとは、何か裏があるのではないのか。
「陣兵衛、おそらくその方の言う“ぜんどう”とは、多賀谷の白井全洞の事だろう」
ここで大膳の後ろから治親が声を上げた。
「白井全洞か。その名なら儂も聞き覚えがある。確か岡見の谷田部城を攻めた時、その策を献上した者だとか」
「は、それがしもその事、聞き及びまする。その姿、容貌怪しき者なれど知略は人に優れると噂もありますれば」
大膳は視線を再び白洲に戻した。
「陣兵衛、その白井全洞の姿形は覚えておるか」
考える素振りを見せた陣兵衛だったが、あまりに特徴のある白井全洞の姿だったためか直ぐに答えた。
「なにやら何時も話を終えると“ひひひ”と笑うやつだったな。んでお頭には毛が殆ど無くて染みだらけでごぜました。一番気になったのが口でごぜますなぁ」
「口じゃと?」
「へぇ、前歯は隙間だらけで喋るたんびに息がその間から洩れるようでごぜます」
大膳の直ぐ後ろ辺りから笑いを堪える様な声が聞こえた。まだ見ぬ全洞の姿を想像しているのだろう。
「他にはないか」
「そういえば、西館には儂の息のかかった者が大勢おるからそのまま先代様(政経)が死んだ事を伝えればそれで良いと言われましてごぜます」
これには大膳を含んだ重臣全てが苦い顔をしていた。自らの領内に敵勢の間者が多数含まれている事を相手方の重臣が平然としゃべっているのだ。余程自信が無ければ内密にしておく範疇の事柄なのにである。
「そうか。それは良いとして、なぜその方が石毛の刺客となった」
「そ、それは、ワシもこんな事になるとは思わなかったんだ。ただ牢人(浪人)共と一緒に石毛に行けとだけ言われたのでごぜます」
「ふむ。なるほどそうか」
大膳は一呼吸を置いた。自らの考えを一度纏めるためにほんの僅かの間目を閉じると、遠くから今年初となるだろう蝉の声が聞こえて来た。
(セミか)
ふと、考えが纏まったのか大膳は目を開いた。
「息のかかった者が大勢いると申したのだな」
「へっ。左様でごぜます」
「わかった、よく話してくれた」
全てを離した陣兵衛はほっとしたのか、平伏をする事すら忘れている。
「陣兵衛、罪一等は減じるが全てを許した訳ではない。よってこれからその方に罰を言い渡す」
陣兵衛は、はっと自らの置かれている状況を思い出すと、すぐに覚悟をしたように平伏して大膳の声を待った。
「陣兵衛は本日只今より我が飯見家の下男として申し受ける。それが罰じゃ」
陣兵衛は信じられぬと言った貌であった。余りにも軽い罰に拍子抜けしたとも云える。
普通ならば磔は免れぬ所を免除してもらうのだから良くても豊田の追放なのだが、それを下男とはいえ豊田家の重臣の家に入れてもらえるとはどういった事なのだろう。
「陣兵衛、お前は多賀谷に面が割れておる。よってそのまま放免する訳にもゆかぬ故に、我が家に籠らせる事にする」
顔を上げて呆然と見つめる陣兵衛に、「不服か?」と大膳は言葉を続けた。
「もったいない程の御厚情にございます」
陣兵衛は大膳の配慮に深く平伏していた。
「さて」
そう言って大膳は、後方に座る治親に振り返った。
「多賀谷の息がかかった者が大勢おると白井全洞が申していたとの事にござるが、おそらく弥藤三郎もその内の一人にございましょう。今の所目立つ動きをしているのはその三郎のみ。これは何か裏があるのかもしれませぬ。ちと調べてみたいのでござるが、如何でございましょうか」
大膳の言う所も尤もである。凡そ今までの噂の出所を考えると、西館あたりから流れているような雰囲気であることは掴めていた。三郎の本来の所属も西館なのである。
「うむ、使い番までもが多賀谷に内通されておっては、うかと下知を出す事もできぬ。ならば北條殿の手飼の忍を借りうけてみるか」
治親は大膳の言葉を入れて、豊田より西南方向にある逆井の城に詰め居ている北條方城代、北條氏繁に風魔衆を幾人か借り受けるための使者を送る事にした。




