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謀略  作者: 逍遙軒
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間諜

 この三郎の所属する城は、先に噂の流れた西館と言われる古い城館を今様の砦に造り変えた城なのだが、別名を向石毛城とも呼ばれていた。

 古くは新皇平将門の館であり、承平・天慶の乱の折りには中心的な役割を持っていたようだ。

 また下総国庁にも地理的に近いことから、鄙の土地にしては大勢の人間が住み着いており、地方の一大都市を形成していたのだが、しかし今は往時の繁栄も風の前の塵となり、背に吹かれた風と共に住人達は其々の土地に散って行った。

 主が討たれその遺骸が京に運ばれてから月日は過ぎ行くと、古の要害は屋根が落ち、柱も朽ち果てた。全ての夢の跡は一重の堀を残すのみとなった所で五百年の時を経て豊田氏に接収され、本城の西を守る城と生まれ変わっていた。

 その西館詰の三郎、もっとも三郎は豊田支城を走り回る使い番としての役目柄、日頃は各城に忙しく出入りしている為に自らの知行を管轄する城が西館だと言うだけで常に詰めている訳ではない。

 このため三郎が何処の城に居ようとも怪しむ者はいなかった事が多賀谷に付け入る隙を与えたのかもしれない。


 梅雨の明けた初夏、大沼に囲まれた西館にとある珍客がやって来ていた。

 連れも伴わずに独りでやって来たこの男、名を「陣兵衛」と名乗り四十絡みの見た目はどこか地侍の荒子のような姿をしている。そもそも豊田家自体も繁栄の時代を下った今では地侍や国人領主といった風情となっているから家の子と云っても別段おかしくは無いのだが、草鞋と脚絆には泥を纏わり付かせ、継ぎ接ぎの目立つ着衣がついさっきまでは田仕事でもしていたように思わせる。

 その陣兵衛がそそくさと足早に西館の敷地に入って行くと、厨のある屋敷裏へと進んで行った。

「御免下さいまし」

 陣兵衛は西館の厨へと泥足のまま現れると、中で忙しげに夕餉の支度をしていた賄い方に声をかけた。しかしその厨の中には賄い方一人しか居ないと見え、包丁仕事をしている最中に幾つか火にかかっている鍋と格闘している。

 そのためか、男は余程忙しいと見えて振り向きもしない。

 器用に動き回る賄い方の動きを眺めていた陣兵衛だったが、もしかしたら聞こえなかったのかと思いなおし先程よりも大きな声を上げてみた。

「もし」

 再び陣兵衛が声をかけると、賄い方はようやく声だけを返して来た。

「なんじゃ、今は忙しい。急ぎの用事で無いなら後にしてくれんか」

 その男が言うように幾つもの鍋や飯釜が湯気を吹き、包丁仕事に余念がなさそうだ。

 本人には悪いが、最早職人芸とでも言えるようなその作業はずっと見ていても飽きが来ないほど面白く見えた。

 忙しげな賄い方になんとなく声をかける事が憚られた陣兵衛は、その場でしばらくその仕事を眺めることにした。土間に積まれた青菜や大根は西館の堀外にある畑から取られたばかりなのだろう、瑞々しく葉には如何にも張りがある。また味噌や葱の香りが鼻腔をくすぐって来る。

 海から遠いこの地には、魚は河川から獲れる鯉や鮒、鮎などしかないのだが、今日は鯉の鱠が城主の膳に乗せられるのか、水が張ってある盥の中に一匹の鯉が泳いでいた。

 薄暗い厨の戸の近くに居た陣兵衛だったが、手際のよい賄い方の仕事に見惚れてだんだんと近付いて行った。

 いつの間にか賄い方の真後ろまで来て皿に盛りつけられた料理を覗きこんでいる。

「見事なもんじゃ」

 陣兵衛の感嘆の声にくるりと振り向いた賄い方、思わぬ近くに陣兵衛がいたので体がぶつかってしまった。

「こりゃ! 危ない、邪魔だ邪魔だ、さっき後にしてくれと言ったばかりじゃろ」

 鍋で煮られている芋を見ていた賄い方が手に持った菜箸を振りあげて叩く素振りを見せた。

「あ、堪忍じゃ、ついついお前様の仕事に見惚れてしまってな」

 陣兵衛は急ぎ後ろに飛び下がっていた。

「そんな事はどうでもええ、邪魔するなら出てってくれ」

「いや、そうもいかんのじゃ。ワシは下妻にある渡邉の姫御前ひめごぜ屋敷の下男じゃが、その下妻の事を次郎五郎の殿にお伝えせねばならんのじゃ」

「……なに?」

 この陣兵衛の言葉に賄い方は驚いた。急ぎの用件で無ければ後にせいとは言ったものの、この男は我が主への使者ではないか。しかも敵国に放ってあった者そのものだと言っている。

「馬鹿もん!何故それを早く言わん、それは急用ではないか!」


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