観音の森外れ
三郎の声が響いた。存外の大声に驚いた侍達は一斉に声の主を見つめていた。
「七郎の殿が人数を揃えずに石毛に向かった事の意味が何故わからぬ、ここで大人数を引き連れて石毛に向かえばもし、もしだ、まことに次郎の殿が下妻に靡いていたならば治親の殿は取り籠められて打ち殺されてしまうぞ」
この言葉に侍達は何かを言いたげではあったが、三郎の言葉が正論であると考えたのか唸るのみで其々の職場に戻って行った。だが、これは三郎のもう一つの策でもある。
家臣達に一時的な場の雰囲気で七郎の後を追わせるよりは、少々の間を置いて冷静にさせる。そして冷えた頭で考えた結果が多賀谷か豊田か。ひいては佐竹か北條かを選択させるだろう。
現実問題として目の前の石毛の城までが多賀谷に靡くかもしれないという恐怖がどう影響するか。それは三郎にも見当がつかなかったが、多賀谷の間諜としての役目として考えれば成果としては上出来だ。あとは自然の成り行きに任せればよい。
一の曲輪主殿から門を潜った三郎は、そのままの足取りで一度自らの屋敷に帰る事にした。これは腹をくくった三郎が終局の手筈を用意する為でもあった。
(毒を食らわば皿までじゃ。何れワシのしている事は明るみに出る。ならばいっそのこと、儂自らが主家に引導を渡してくれる)
三郎が豊田城の門を潜ってから、来た道を逆に辿り観音の森までやって来ると、なにやら大人数の気配が感じられた。
遠くで何か作業でもしているのだろうか、土を叩くような音も聞こえてくる。そこにいる者は何かを話している訳でもなく、ただ黙々と作業に没頭している雰囲気だ。
登城道を西に逸れ、蛇沼を迂回するように作られた細道の先は観音の森の外れに位置し、湿地帯と蛇沼の縁に沿うように作られている。里の者達は沼を含めたその一帯を蛇沼と呼んでいた。
そこは湿地帯を覆う森と蛇沼を囲う木々によって昼と云うのに少々薄暗い。唯一、沼側に木の枝が開けた所から入る日の光のみが明るく、下草が見えるそこのみ広場のような堅い地面があった。
来る時には使う事の無かった主道から分岐した細道の奥から人の気配が出ているのだが、そこに向かう為の道には足軽が数人ほど屯しているのが見えた。
何事であろうか。
足軽達の背後を透かして見ようと三郎は目を凝らしたが、その内側を見通す事は出来なかった。しかし稀に人夫に指図しているような男と、作業をしている男達が泥まみれの姿を見せる事があった。
「お前達、ここで何をしておる」
ここは外側の曲輪とは言え豊田城内である。不審に思った三郎は登城道を逸れ、その細道を塞いでいる足軽に近付いていた。
「誰じゃ!」
近付いた三郎を見るなり槍を交差させた二人の足軽が威嚇してきた。
「苦労。ワシは今朝方御本家様への使いで石毛から参った者だが、今朝方はその方どもはここにはおらなんだ。今お城から帰るとこの様な薄暗い中でお主たちが作事をしておる。不審に思うてやってきたのだが、いったい何をしておる」
三郎を警戒する様な目つきの足軽だったが三郎が豊田城から下って来た事と、身形の良さに気が付いたのか言葉を改めた。
「左様でございましたか。いやしかし、これは内密な事ゆえ」
「内密と?」
「左様にございます。ここよりは中に入る事、かないませぬ」
百姓上がりの足軽は荒い言葉づかいをする事が多いのだが、三郎の身分が上と見たのか言葉は慇懃になっていた。
「何故近付いてはならぬのだ」
「彦蔵様のお言いつけにございます」
「彦蔵様か」
足軽は『彦蔵』と言った。三郎が豊田の城に入るときに木戸を開けてくれた台豊田の家老が、何故豊田の外曲輪で人払いをしながら作業をするのだろうか。
「彦蔵様が、何の用で登城道を塞いでおる」
「い、いや、詳しくは言えませぬ。何事も『七郎』の殿のお言いつけでございます」
「七郎の殿だと?赤須七郎の殿が彦蔵様に御命令されたことか」
歯切れの悪い受け答えをするものだが、上からの命令であれば三郎の質問に易々と答える訳にはいかないだろう。
「そうか」
不審には思ったものの、これ以上の詮索をして事が大きくなっても自らに何も利点があることではない。三郎はあっさりと退き下がって来た通りの登城道を使い城門木戸へと歩を向ける事にした。
朝、木戸を開けてくれた彦蔵のあの素振りを考えれば、この豊田城で何かをするための人数を集めたことは間違いない。それが赤須七郎の指図とあれば当然城主である治親の知る所でもある。
『何をされるかは分からぬが、敵に知られざるには味方をも騙す。か』
いずれにせよ蛇沼周辺での土木作業なのだ。砦でも建てるのだろうと考えて三郎は豊田を去った。
 




