腹の内
豊田城一の曲輪虎口手前の枡形では、城代赤須七郎が家臣十数名とその郎党を引き連れて馬上の人となっていた。幾分高くなってきた朝日に照り輝く黒漆塗りの甲冑に身を固めた者達が居並ぶ門前枡形は、今から出陣するかのような人馬で埋められている。
「合戦のような」
雑居の寝小屋からその様子を見ていた誰かが呟いたが、七郎にとってみればまさに出陣と同じ心持だろう。と、そのとき馬の嘶きが響いた。これが切掛けになり出立の号令が出されると、それぞれが馬腹を蹴り徒歩の郎党と共に順繰りに門を潜り始めた。
「なんじゃ」
集団が動き出す騒音に、何事が起こるのか知らぬ者は左右に問いかけている。
城を出て行く者達の装束が一大事を表しているのだが、しかしその集団は指物を一切使ってはおらず、一応は槍を其々が高く掲げてはいるが陣触れはない。城代が軍容を整える事もないまま小集団の甲冑武者を引き連れて城外に出向くなどは前代未聞ともいえる事であった。
秘事なのだ。
赤須七郎は軍陣を整えて城を出る事を、下妻方に知られるのを恐れていた。
もし、である。もし三郎の知らせが本物だった場合、合戦騒ぎで城を出る事は控えねばならない。うかと兵を差し向け城を固めた事が知れれば相手は事を急くとも考えられるからである。事は兄治親を無事豊田の城に戻す事が当座の急務なのだ。
粛々と進む一団は豊田城の北門を出て行った。
「さて」
三郎は武装集団が城から出て行くのを見送ると、一人それを追うように主殿を出た。遠方に見える登城道には七郎達の馬蹄の痕や徒歩の者がまき上げた土埃が未だうっすらと景色に靄をかけている。
「もう後には退けぬ」
ぼそりと独り言ち、来た道を再び辿りながらこの後を考えると足取りが重く感じるのは気のせいではなかった。
自分でも気付かぬ内に足元を見ながら歩いていたらしい。近付く人影にも全く気付かなかった三郎は、未だ曲輪から歩を踏み出さぬ内に幾人かの事情を知らない侍達に取り囲まれていた。
「何事があったのだ」
取り囲む侍達は異口同音に同じ言葉を投げかけて来る。
「弥藤、御城代のあのいでたち、お主ならば何か知っておるだろう。何があった」
合戦が始まったとでも考えているのだろうか、其々の顔にはいつの間にか城に取り残されてしまったような焦りの表情が表れている。
「御城代か」
一瞬だったが三郎は値踏みする様な眼を囲む侍達に向けると、腹の底を引き摺りだす心算で問いかけた。
「お主たちは北條と佐竹、どちら側の人間じゃ」
三郎は明け透けに聞いてみた。この質問に侍達は其々に違う答えを持っているだろう。それぞれが有利な方に付きたいと願っているのだ。
この問いかけに微妙な表情になったことを三郎は見逃さなかった。いや、これを見て安心したと云うべきか。
「ワシは石毛の城下で多賀谷の間諜が蔓延っていることを知った。次郎様の元にも幾人か多賀谷の間諜が入っておる」
「多賀谷の間諜じゃと」
侍達は事の重大さに気付いたのか、生唾を呑むような仕草を見せていた。
「次郎政重の殿が多賀谷に靡く」
石毛の城が豊田に背くと断定してみせた。断定する事によってこの家臣共の腹が知れる、そう思った。
「なんと、それでは七郎の殿が向かった先と云うのは……」
「石毛の城よ」
「そこには治親の殿が居られるではないか、こうしてはおられぬ、我らも急ぎ石毛の城へ向かおう」
三郎の話を聞いた侍達は浮足立っていた。治親を助ける為の合戦として七郎が出張ったのだと思ったようだ。
「それはならん!」




