石毛離反
途中、石毛から迂回して来た湿地を水源とする蛇沼を横に見ながら寺院の密集する地域を抜けて行く。
ここに横たわる蛇沼自体は城北方の水掘りとしても利用されていた。左程水深はないのだが長年降り積もった落ち葉などが堆積して腐り、底無し沼の様相を呈しているそれは蛇沼の西に続く湿地と合わせて自然の地形を利用した広大な外堀なのである。
これの東岸にある木々を鬱蒼と繁らせた観音の森を南に下ると豊田城の北門が見えて来る。そこに一人、門番が大欠伸をしながら門際に立っていた。
何時もならば、この男は門の中に造られた一間ほどの部屋に詰め、門内を通過する者を監視しているのだが、今朝は朝日に誘われて偶然外に出ていたようだ。
起きたばかりなのかしきりに目を擦っては欠伸を繰り返していた。
「苦労」
三郎が右手をあげて一言声をかけると、慌てたように大欠伸を引っ込めた。
「これは弥藤様」
欠伸ついでの涙を袖口で拭き擦りながら挨拶を返して来た門番。
「これはかような所を見られてしまうとは。情けない」
寝惚け眼のままに呵々と笑いながら、ばつが悪そうに鬢のほつれた髷頭をぼりぼりと掻いている。
「この早朝に何か御用でございますか」
「治親の殿への急使でな。こうして参った」
「あ、ああ、左様で、ございましたか」
門番は左様ですかとは云ったものの、なにか都合でも悪いのかどうにも歯切れが悪い。
「どうした」
「あ、いえ、実は治親の殿は石毛の次郎五郎様の所に行っておりましてな」
今は城代として台豊田の七郎が入っているとの事だった。
なるほどそうであろう、とは思う。悪衛門からそれを聞いて知っていながらやって来ているのだ。
「そうか、治親の殿は御不在か」
「まことに折悪しくございましたなぁ」
ならば七郎の殿に御拝謁を願い急使の言上を申し上げるべしと、申し訳なさそうな素振りを見せる門番を尻目に虎口を足早に抜けて行った。城主不在の折りに下妻異変を伝える事が狙いなのである。
城代として主殿に居た赤須七郎将親は治親の二番目の弟である。まだ三十路を二つ三つ越えたばかりの台豊田城主は、若さに見合って溌剌とした雰囲気を出していた。
少々落ち着きが無いようにも思われるが、三郎のような使い番にも分け隔てる事もなく言葉をかけてくれる男であり、豊田内でも評判は上々の髭面武者だった。
三郎が取り次の者に西館からの急使である事を伝えると、直ぐに二十畳程の広さを持つ座敷に通された。
本来ならば大広間上段に座った城主を中心として左右に直臣が居並ぶ場での報告が何時もの姿なのだが、七郎は城主ではない。このため別の小部屋を使者との対面場所に指定してきた。これは本来の城主である兄治親の、城代としての立場を弁えた配慮なのだろう。
三郎が座敷に通されて間もなく、その髭面城代はいそいそとした足取りで座敷にやって来るなり音を立てて障子を開け、首だけを入れた格好で「用件は」と声を出していた。
二人程直臣を従えてはいるのだが、その二人が未だ部屋に入る前の事だ。落ち着きが無いと云うより少々せっかちなのであろうか。
後ろから来た家臣に押される様に座敷に入りようやく上座に胡坐を掻いて座った。
「聞かせよ」
余程この知らせと言うものが気になったのか、七郎は気がせいているように見えた。
七郎に限った事ではないが、稀に勧進聖や方々を歩き回る商人が城下に逗留したとき、城主達に召し出されて城で方々の話をさせると云う事がこの時代何処でもあったのだが、三郎の持って来た知らせも諸国の情勢を聞くような気分でいたのかも知れない。
着座した七郎を見てまずは挨拶を、と三郎が口上を始めるのだが、七郎は前半に指していた扇を抜き取り床を軽く叩く。
「よいよい、その様な面倒な事、儂は好かぬ。要件を申してみよ」
このせっかちさ加減は性質のようだ。見慣れている家臣共々三郎は苦笑した。
「なれば御無礼仕る」
「なんの、無礼であるものかよ」
「下妻の政経殿、先ごろ身罷られた由。家督は嫡男彦太郎が継ぐようにございます」
急ぎ報告させた七郎だったが、思わぬ知らせだったようで目を丸くして驚いた。幾分笑みを溢しているところは良聞だと思ったのだろう。
「ほう、政経が死におったか」
言葉と同時に口角が上がり歯を見せていた事を七郎は気が付いたかどうか。
「は、それと今一つ」
「なんじゃ」
先程の吉報もあって七郎は報告に身を乗り出した。
「石毛の次郎様、この期に臨んで下妻方へ内応の兆しがございます」
口角を上げていた七郎の表情が、一瞬の間が過ぎると微妙なものへと変化して行った。先ほどの政経死去は思わぬ吉報ではあったが、次兄の謀反の兆しの知らせは素直に受け入れられるものでは無かったようだ。
「馬鹿を、ぬかすな。兄上が我らを見限るはずがあるまい」
「いえ、実はそれがし、石毛の城下で多賀谷の間諜と思しきものを見つけましてござる」
三郎はここぞと思ったか、七郎の正面に膝をにじり寄せた。
「それも幾人も怪しき風体の者が出入りしており一所に留まらぬを見ると、余程巧妙にやり取りをしておるのかと」
一所に留まらぬ、と言った。それは悪衛門を指すものではなく、それに知らせを持ってきている竹筒の男を指したものなのだろう。
「たわけ!その石毛に治親の兄上が出向いておるのだ。それがまことならば治親の兄上の身が危ういではないか!」
「故にこうして急使として罷りましてございます。早速にも怪しまれぬ程度に人数を繰り出されては如何かと」
七郎はうむ、と一言唸ると、若い顔を紅潮させて立ち上がっていた。
「相分かった、これより兄上のお迎えに向かう。三郎、苦労であった」
言うなり足を蹴立てて座敷を去って行くと、慌てて後を追う家臣も転がる様に廊下に出ていった。
迅速と拙速が混在する城代ではあったが、兄と邦を思う心がこの行動に現れたのかもしれない。
その人数が去った座敷には、背中を小刻みに揺らす三郎だけが残っていた。
 




