鍛冶小屋
薄暗い鍛冶小屋の中では炭が燃え、真夏以上の暑さになっている。
蒸し風呂のようなそれは寸暇で着衣が汗に塗れるほどだ。
質問の主はここに住む鍛冶師だった。
傍目には包丁や鎌、鍬などを専門に打つ鍛冶屋なのだが、そもそもは美濃の国で刀鍛冶を生業としていたと周りに吹聴しているようだ。数年前に国元で戦乱が起きてからこの下総まで流れて来たと言っている。が、本当のところはどんなものか。
名を悪衛門と名乗ってはいたが本名ではないだろう。
暑い掘立小屋の中でも土間である鍛冶場から少し離れた所には一間の板敷きがある。殆ど違いはないのだが、火元から離れたそこは幾分凌ぎやすかったのか、質問を受けた者が胡坐をかいていた。
座布団もござも無い板の間に、どかりと座った三郎が徳利を片手に酒を呷っている。
何度か来た事があるのか勝手知ったる他人の家と云った風情で、唯一の板の間に勝手に上がり込んでいた。
「知らぬ」
頬に零れた酒を袖で拭いながら三郎は不機嫌そうに返事をした。
「知らぬか。しかし知らぬでは、どうもなぁ」
悪衛門は横っ面でニヤリと厭らしい笑みをこぼすと、「お主は既に銭を呑んでおるぞ」と言葉を続けた。
この悪衛門、話ながらも鎚を振る手は止まらない所をみると、多少は鍛冶の手解きは受けた人間なのだろう。
一方の三郎は初めから悪衛門に背中をむけて酒を舐めていた。
「知りたければ己が確かめれば良かろう」
言い終わると、碗に注がれていた酒を一息に煽った。
この言葉に悪衛門は鎚を振る手を止め、甲高い声で笑い出した。
「それではお主の仕事が無くなるぞ。それで良いのか?」
再び酒を碗に注いでいた手をぴくりと止めた三郎が肩越しに悪衛門を見たその目つきは、如何にも汚らしい物を見る様なものだった。
「そんな目をするな。ワシもお役目じゃ」
「見張りもその内か」
悪衛門は返事の代わりに声も無く笑い、鎚で打っていた鉄を再び炭の中へと放った。
「まぁ、そんなものじゃ」
「殺すなら殺せばよい。しかし、己の首は手土産にもらう」
一瞬の静寂が鍛冶小屋を支配した。
鞴の風を送る音が大きく響いている。
「盗れるかな」
「盗るさ」
悪衛門は鞴を押し引きする手を止めると、大口を空けて笑い出した。
「まぁワシもお前も、命を落とした所で事の流れは変わらぬよ。しかし三郎、お前が素直に動いてくれるならば妻子は無事に帰すとの約条なのだ。ここは事を荒立てずに働け」
再び、鞴が一定間隔の音を立てながら動き出していた。
盛る炎に焼かれる鉄が愈々赤みを増して行く。そろそろ打ち頃となったのだろう、悪衛門はやっとこを手に持ち、灼熱となった鉄を炭の中から取り出すと再び鎚で打ち始めた。
「もう少し噂を撒き散らせ。豊田の者達が同輩すら怪しむようにまでなればお前もお役御免となるだろうよ」
三郎は碗に残った酒の雫を振り払い、徳利と共に床に置いた。
「相変わらず不味い酒だな。次はもっと上等なものを用意しておけ」
そう言うと傍らに置いてあった刀を腰にさして立ちあがり、鍛冶小屋を出て行った。
「三郎め、思ったほど性根が無いようじゃな」
独り言を言う悪衛門だったが、その実、三郎の意外な気迫に怖気を振るっていた。