豊田への道
碗と箸をぴたりと膝前に置くと、三郎は強く瞑目した。
煙管を燻らせる悪衛門の面に、豊田は滅ばぬ。と、吐きかけそうになったことをようやく自制した。
喉の奥から出かかったそれを辛うじて押しとどめたのは、自らの不甲斐なさを棚に上げ怒りの矛先をすり変える行為に思えたからだった。悪衛門一人を悪役にしたところで本質は変わらない。人質を取られた弱みとは言えその主家を裏切っているのは誰でも無い、己なのだ。
「五蘊の辛辣さ加減よ」
三郎は腹の中で歯をぎりぎりと鳴らす思いだった。
五蘊とは色・受・想・行・識の各蘊を指し意志や認識、感受の作用を云う。また煩悩に伴われた五蘊を五取蘊とも云い、共に大陸から仏教用語として入った言葉である。
「早速だがな」
煙管を燻らすのは上がり框と決めているのか、再びそこに腰をおろして煙草を味わっている悪衛門。
「お前の差料どちらでも良い。貸せ」
煩悩の五受蘊を苦々しく噛み締めていた三郎を意に介する事もない悪衛門は、相変わらず恍惚とした表情で煙草を呑みながらそう言った。
「そんなもの何に使う」
「これでももとは刀鍛冶とふれておるでな」
悪衛門は、これ、と言いながら毀れた鎌を指差した。
「何も客は百姓達だけではない」
それで三郎を手伝う。と云うのだろう。
「この小屋で噂を広めるのか」
「西館でも石毛でも、全てが豊田から離反すると吹いてやるわい」
三郎は複雑な表情を見せた。
「ここまで来たんじゃ。腹をくくれ」
虎の刻(午前四時)、眠っている悪衛門を起こさぬように三郎は鍛冶小屋を抜け出した。見上げた空には未だ星が張り付いてはいたが、色が漆黒から紺色に移ろっており間もなく夜が明けることを示している。
ぴたりとは閉まらぬ木戸の前に立った三郎は深く息を吐いた。出発前の気合いのようなものだったのかもしれない。
石毛の町を東に抜ける道を進んだ先には、湿地の畔に二股に分かれる街道があった。一方は豊田から小田、霞ヶ浦の畔である土浦へと伸びており、もう一方は牛久沼へと向いている。土浦方面には小田天庵の家臣、菅谷摂津守の居城があり、また牛久方面には天庵の同盟者である岡見山城守がいた。どちらに向かっても豊田の同盟者だったことは豊田氏の心理に抗多賀谷の気概が湧くものでもあっただろう。
三郎はその街道を土浦方面に歩を向けると、湿地を北に迂回して本豊田と云われる集落に向かって行った。
蘆が茂る湿地からは蛙の鳴き声が騒がしく聞こえてくる。その賑やかな縁を回る様に作られた道は、小貝川西岸に突然むくりと起き上がった小高い台地まで続いていた。
ここが豊田の繁盛の地、本豊田である。
南北に一里程の細長いそれは、領主である豊田治親の住む王城の地であり、豊田氏の氏族的中心地でもあった。
本城自体はやや南側に造られており、北側全域に宿や宗教施設などが構築されているその城域は、北方の脅威から本城を守るべく作られていた。
宿や宗教施設なども危急のおりには仕寄場として使われるのだ。
また三郎の向かった本豊田の北端には木戸があり、そこは城内にある宿の外木戸として使われているのだが、合わせて城への出入りのための関所としても使われていた。
豊田の住人からは木戸として通称されてはいる。だが、木戸と云うよりは二階屋から見張り台が設えられたそれは矢倉門然としており強固に侵入者を拒もうとしているように見える。
さて、三郎がそこに到着した時刻には足元も覚束ぬ闇も濃さをかなり薄め、幾つかの星が夜明けを惜しむかのように幾分か瞬いてはいたが日の光は遥か遠方から男女の峯を薄紫にと化粧をはじめていた。
「もうすぐ明けるな」
三郎は木戸が開くのを待っていた。毎日夜明けと共に開かれるそれは、宿に家を持つ百姓達が田畑へ向かう時刻でもある。
 




