漏洩
「まぁよかろう、起きたなら飯でも食え。馳走してやる」
書状を懐に捻じ込むと、悪衛門は外の竃に向かって行った。
日も暮れ辺りが闇に覆われた頃、飯の支度が出来上がったようだ。青菜が少し入った粟粥。充分とは言えないが馳走である。それが湯気を濛々と立てた釜ごと板敷きの間に置かれた。
付け合わせの小皿に盛られた味噌が三郎の前に置かれていたのは悪衛門の気遣いだろう。
「さっきの書状だが」
碗に粥を掬っている悪衛門を眺めていた三郎だったが、改めて質問をしてみた。
「ん、気になるか」
「話を途中で切られては気になるものじゃ」
縁の欠けた飯茶碗に盛られた粟粥が三郎の膝前で湯気を上げた。
「お前を手伝えとよ」
手伝えとは、これから自分が何かをすると云う事だろう。だが何のことなのか。箸を手渡されながらも目だけはずっと悪衛門を見ていた。
「儂を眺めていても飯は旨くはならんぞ」
「手伝う、と言うたな。ワシの何を手伝う」
悪衛門は三郎の質問には構わず、ずるずると音を立てて粟粥を啜りはじめた。余程空腹だったのか見る間に一碗を食い終わると続けて釜から粥を盛り付けた。
「まぁ、食い終わるまで待て」
言い終わるや続けざまに音を立てながら喰らい、見る間に四碗を平らげてしまった。いくら付け合わせが無いとは云っても良く食うものだ。早飯早糞芸の内とも云うが、三郎はまだ一碗さえ食い終わっていない。
呆気に取られる三郎を余所目に、腹いっぱい食い終わって落着いたのか懐の財布から楊枝を取り出して歯をせせり始めていた。
「健啖家じゃのう」
三郎の素直な感想でもあった。
「お前も早う食わんと冷めてしまうぞ。いくら不味い飯でも温ければまだ食える。冷めてしまえば犬も食わぬ」
三郎が改めて箸を取りあげて粥を啜り始めたとき、歯をせせり終わったのか悪衛門が話しの続きを始めた。
「折角だ、食いながら聞け」
そう言いながら楊枝を袖で拭き、大事そうに財布に戻していた。
「三郎、お前多賀谷が来年豊田領に攻め入ると使い番達の中で大法螺を吹いたそうじゃな」
三郎は食っていた粥を吹きだしそうになった。なぜそれを下妻が知っているのか。驚愕とも云える目を悪衛門に向けたが、当の悪衛門は涼しげである。
「垣に目口と申すが、今の豊田が正にそれ。内密の話はできぬものよ」
「西館に間諜がおると申すか」
「間諜のぅ、まぁ同じようなもの」
三郎は同僚の顔を思い浮かべた。あの中に多賀谷に通じた者がいたとは俄かには信じられなかったが、この通り自らの言葉が越境して伝わった事を考えれば間違いはなさそうだ。
「裏切り」
三郎の声が空しく響いた。
己も裏切り者なのだ。誰も責める事は出来ない。
もしかすればそのなにがしも、自分と同じく人質でも取られたかと思う。そうであればどれ程同じ境遇の者が居るのか。
悪衛門は煙草台に手を伸ばすと、昼間のように煙管を取り出して煙草を一つまみ詰めた。
「誰しも家が大事よなぁ」
当時、家とは単一の家族のみを指す言葉ではなく一族・氏族の繋がりを言った。
氏族の本家があり幾つかの分家がそれを構成している。枝葉は数多く分かれその国の様々な所に根をおろしてはいるが、本家の家督を一族の頂点とした独立した集団でもあった。家長の権威は絶大であり、全ての分家当主はこれに従うのが従来からの習慣になっている。
そしてその一族が拠り所とするその郷最大の一族が領主であり、ここでは豊田家がそれであった。
しかしその頼みの大樹ともいえる豊田家も年輪を増した古木となり虫食い穴が至る所に開きはじめた。少しの嵐で倒れてしまう大樹では家を頼む事など出来ない。今まさに豊田家は虫に食われた巨木とも云える。
「義を貫いて主家と共に滅ぶか、一族と共に他家に媚びるか」
悪衛門は鍛冶場まで降りて行くと、未だ燻る炭を火挟みで拾い上げて煙草の葉に火を点けた。
「自家保存は戦国の習い、ではあるな」
白紫の煙が煙管から立ち昇ると、ゆっくりと渦を巻いて虚空に消えて行った。
 




