商売金坊
寝ている三郎の横を足音を忍ばせながら通りぬけて小屋の外に出た悪衛門の目の前には、青天井に設えられている竃があった。
辺りは薄闇の夕暮れとなる中、悪衛門は小屋の壁際に堆く積まれた薪を無造作に掴みそれを一つ一つ竃に並べると、鍛冶場から持ち出した火種を一欠片放り込んだ。
一連の動作が終わって暫くすると、ゆるゆると煙を吐き出した竃から覗く炊事の炎が辺りを緩く照らしはじめた。
悪衛門は物持ちでは無い。珍しい食い物がある訳でもなく、飯の供とする味噌のみが保存されている程度の食卓は主食も米ではなく粟である。これに少量の青菜を混ぜて粟粥としたものが何時もの夕餉だった。旨いものではない。
雑に切った青菜と適当に洗った粟を釜に入れ、竃に掛けて蓋をすれば後は煮えるのを待つだけだ。味噌も舐める程度の量を小皿に移し終わった。
これだけである。湯でふやけ、嵩の増した粟の量のみが腹を満たす。
悪衛門は赤貧ではないが、武家でも余程上等な者か合戦に出たときに貰う配給米でもなければ玄米の飯を腹いっぱい食える事は無い。これは一般的な領民たちの夕餉とも云えた。
さて、簡単な調理を終えたが粥が煮えるまでにはまだ間がある。ならばと小屋に戻り今宵の褥にする土間に蓆を敷き始めてみると、小屋の中が何処となく違っているような気がした。
「はて?」
小屋を出る前とは僅かに空気が異なっている。
『また“あれ”が来たのか?』
目を凝らして辺りを見回すと、何時の間に挟まれたのか通りに面した側の蔀に竹筒が挟まっていた。
『やはりな』
悪衛門は鼻を鳴らしながらその竹筒を蔀から抜き取り、慣れた手つきで竹筒の蓋を外した。
“あれ”とは下妻から悪衛門への連絡役を務めているモノのことを指した。何時も下妻との連絡はこの竹筒を通して行われていたのだが、実は悪衛門も中継ぎが誰なのか顔を見た事すら無い。雇い主からは連絡役の名を「商売金坊」とだけ聞かされているのみである。
その連絡も今のようにいつの間にか蔀に挟まれていたり、板敷きにある煙草台に置かれているのが常だ。これは多賀谷の間者である悪衛門もその監視下に置かれているぞと暗に言われている様なものなのだろう。
自分の知らぬ間にこの様な物が家に入る事は不愉快でもあるが、そこは雇われの身である。致し方の無い事でもあった。
気を取り直して竹筒の中身を取り出し、幾重にも折られ堅く閉じられていた書状を開くと、そこには思わぬ知らせが書かれていた。
「ほう」
つい声が出た。
この声に反応するかのように今一つ、背後から声があがったことに悪衛門は口から魂が抜ける程にぎょっとした。
「何が書いてある」
声の聞こえた方向に顔を向けてみると、今の今まで寝ているとばかり思っていた三郎が目をあけて此方を見ていたのだ。
「起きておったのか」
「ああ」
三郎は気だるそうにむっくりと起き上がると、ひとつ大欠伸をした。
「で、誰じゃ」
誰とは、この竹筒を持って来た人物を指すのだろう。
この夕闇も濃くなった中で外から顔を覗かせた人物の人相まで判別は付くまいが、人である事は分かったようだ。
「見ておったのか」
「ああ」
「まったく、驚かせおって。起きているなら起きていると申せ」
目が覚めたからと云って、「おきたぞ」と言う義理もないだろう。妙な事を言う悪衛門ではあったが、三郎は興味も湧かなかったのかもう一度大きく欠伸をしながら伸びをしている。
「ほんに間の抜けた仕草じゃのぅ」
いくらか落ち着きを取り戻した悪衛門は壁際から離れると、板敷きの框を軋ませながら腰を下ろした。
目の前には涙を溜めて眠たそうにした三郎いる。寝惚けた面で座っている姿を見ると、先ほど驚いた自分が馬鹿々々しかった。
「これは下妻からの知らせよ。しかし三郎、派手に吹いたなぁ」
だが、そう聞かされた当の三郎は意味が分からなかったらしい。返事に暫し間が空いた。
「何の事だ」
この時、外の釜では沸いた湯が噴き上がり竃にかかって派手な音を上げはじめた。火のついた炭にでもかかったようで大げさな音が喧しい。




