前編
初投稿です。お手柔らかにお願いします。
ちょうど、冬がやって来た頃だったと思う。少年が彼女と初めて会話した日は。中途半端に衣装をまとった木が乾いた木の葉を地面に落とし、冷たい風が砂埃とともにそれを吹き上げる。そんな薄曇りの午前8時だった。
"旅語りの神の導くままに"朝から用のない城のほうへ足をのばしていた少年は、これまた"旅語りの神の導くままに" 公爵の私有地と公爵の公有地の境界を延々と歩いて、人気のない庭園のそばまでやってきたのだった。少年は私有地と公有地の境界線の上に立って、庭園を見渡した。庭園は飾りの気ない高く黒々とした鉄柵に囲まれていて、中を窺い知ることは出来ても入ることはできそうになかった。庭園に咲く花はどれも枯れていて、たまに常緑の潅木が寂しそうに佇んでいた。少年がしばらくじっと庭園を見つめていると、華の無い庭園に動く人影があることに気がついた。少年は僅かな不快感と共に境界線を踏み越えると、そっと鉄柵に近づいた。近づいてみても鉄柵はやはり何の装飾も施されておらず、少年が鉄柵に触れると先ほど境界を踏み越えたときよりもやや強い刺激が掌に奔った。少年は驚いたように手を離すと、鉄柵から距離をとった。少年の足音に気づいたのか、庭園の人影は少年のほうを振り返った。人影は、無愛想な少女だった。
「や、こんにちは」
「無礼者」
少女は高飛車な態度で少年の気さくな挨拶をばっさりと切って捨てた。年の頃は13,4くらいだろうか。少年のほうが少しばかり幼いようだ。
「ここで何をしている」
少女はつかつかと門の傍に移動すると、少年に問いかけた。
「"旅語りの神の導くままに、手を伸ばし足を伸ばし、瞼に心に焼きつけ"ようとしてるところだよ!」
少年は"吟遊詩人の行動原理"の一節をそらんじた。となれば少年はここに物語という名の噂の種を探しに来たのに違いない。少女はそう結論づけると、この少年をとっとと追い出すことにした。
「ここには焼き付けるものなどない」
「なんでさ?」
「ここには何も無い。愛でるべき花も、語るべき人も」
「ええ、今咲いてる花とか君知らないの?」
少女は眉をひそめた。少年の"君"呼ばわりが気に障ったのか、少年が自分を詮索することを警戒したのか、自分の無知をけなされたようで不愉快になったのか、はたまた単に幼い言葉遣いが気に入らなかったのか。理由は特定できないが、少年の言葉に少女の無表情が崩れたのは本当だった。
「ない。知らないのではなく存在が無い。この庭園はただ夏に咲く花の為だけに用意された。故に夏以外に花は咲かない。そもそも冬に花なぞ咲くものか」
「無いわけないでしょ。君、見たこと無いの?」
少年は鉄柵に歩み寄ると、庭園を覗き込みながら馬鹿にしたように言った。少女の眉間にまた少し、皺がよる。
「無い。教師も本も冬に花は咲かぬと言った。冬にはすべてが枯れるのだと。ならばありもしない花の為に冬の外気に身を晒す道理はない。花が欲しければ目覚めの季節を待つがいい」
へえ。少年はちょっと驚いた顔をした。
「じゃ、僕が持ってきてあげようか?冬に咲く花」
「ほう?」
「明日また、ここで会える?」
少女はしばし、逡巡した。
「冬に咲く花を私に献上するというのなら、この庭園に近づくことを許そう」
だが今は疾く去ね。少女はそう付け加えると、少年に挨拶もせずに庭園の奥の塔に姿を消してた。それは五分にもみたない、名前すら尋ねない会話だった。けれどもそれが、後に誰も語らなくなる彼と彼女の大切な出会いでもあったのだ。