記憶のカケラ
いつの頃からであっただっろうか、人を信頼しなくなったのは...話さなくなったのは...
――初めは幼稚園の時だ、毎日逢うのにどうも余所余所しいクラスメイト達に、子どもながらに人という存在自体に嫌気がさした。
小学生にもなると、それぞれに自我が芽生え周りに壁を張った、そんな当たり前の行為を当たり前と理解できない僕はさらに深い人間不信に陥った。
いつの間にか、僕は僕でいなくなっていたのだ。
僕という人間は存在しない、周りの空気で作られたただの偶像。
誰の目にも映らない、話しかけられること自体が億劫だ。
そんな幼少時代の人間関係の記憶がアルバムの一頁のように閉じられる――
全身に力が籠もっているのを感じ、筋肉にゆるめるように命令を下す。
ゆったりと体を起こし、まだ少し起きかけている脳みそを起こすかのように瞼をこする。
無理矢理起こされた脳みその機嫌を損ねたようで、ズキンっと小さな電撃が頭を駆けめぐるのを感じる。
だがもともと頭痛持ちである僕はこんなときの対処法を知っている。
こめかみを少し押さえて、首筋をマッサージするとほら不思議!
血流の悪くなった首筋を少し動かしてやることによって軽い頭痛ならば直ることを最近覚えた。
っと、頭痛が直ったところで次にしなければならないことがある。
「ここはどこだ?」
自分が寝かされていた場所はどうやらベッドであったが自分の家の物ではないようで、形、大きさ、布団の模様と、なにからなにまで異なり違和感がありすぎる。
次に周りを見渡すと大きなビルのワンフロアの壁を全て突き破ったような広さだった。
ただ広さはあてにならないかもしれない、なぜなら明かりが乏しい。
見た限り窓から降りしきる明かりは、この部屋の大きさからは考えられないほど少ない。
4~5個ほどの明かりを目で確認することはできたが、その小さな灯火でこのフロア全体を明るくするのは難しい。
窓枠付近の作りはコンクリートがむき出しで、塗装という言葉すら知らないかのように惚けていた。
よって、与えられた情報をまとめてみると。
・自分の家ではない
・多分ビルのどこかの一フロア
・明かりが入るほどの日中である
情報が少なすぎる!
与えられた情報に満足できるものでは無く、何故僕がここにいるのかが理解できない。
「ん?何故僕はここにいるんだ?」
大きなキーワードが一つ足りないことに、苛立ちを覚え頭の中の記憶の渦に巻き込まれる。
頭の中に録画された映像を巻き戻し、再生する。
ぎゅるぎゅると大きな音と立ててお目当てのフィルムを探し出す。
「あ、僕誘拐されたんだ」
非現実はこの時間をもって現実に改定された瞬間であった。
思考は遅れを満たし、言葉は情景反射のように放たれたのは現実味のない状況を把握しきれていないからであろう。
ゆっくりと頭の中の情報を整理整頓する、それに伴い『何故ここにいるのか?』という謎も現場解明する必要も全くなく、『誘拐された』からであり他に理由など必要ではなかった。
しかしながら謎は『何故ここにいるのか?』から『何故誘拐されたのだろう?』に変化しただけで、苦悩する僕を苦しめる原因要素であることには変わりないのは明らかである。
というか、誘拐されたのにも関わらず拘束もせずに本人のみを残すというのはいかほどであろうか?
手足の自由が聞く何一つとして不自由のない体で、ベッドから足を下ろし腰掛け床に足を落とす。
ひんやりと冷たいが少しほてった体には気持ちいくらいでありうれしい限りだ。