こんちゃれっからっ!
私がその場所に引っ越すのが決まった時、小学校の三年生だった。
「ここに家を建てるんだよ」
父がそう言った場所には、セイタカアワダチソウが黄色く咲いていた。
開発中の典型的なベッドタウンで、東京生まれの私には、ひどく牧歌的な場所に見えた。
ああ、こんな田舎に引っ越してきてしまうのだ。
開発中だとは言え、父の通勤時間は大して変わらない場所だったらしい。
電車の本数が少し心許ないことと、駅前が寂しいことを除いて、都会生まれの母にも文句は無かった。
転校してすぐ、私と同じように何人もが転校生だと知った。
宅地開発がどんどん進み、小学校の人数が膨らみ続けた頃だ。
もちろん、元からそこに住んでいる人もいたけれど、父親は都内に仕事に行き、違和感のあった牧歌的な風景は、びっくりするほど早く変化し続けていた。
ただ、ひとりを除いては。
コウちゃんは、地元でももう珍しくなりつつある大きな物置小屋のある家に住み、土地成金の多い地域で、専業の農家の息子だ。
核家族化の進むベッドタウンでは、農家だとは言え、十人家族なんて家は、他には見当たらなかった。
まだ引っ越したばかりの頃、クラスの人気者のコウちゃんの家に、大勢で遊びに行ったことがある。
お父さんは首にタオルを巻いて、庭(驚くほど広い)に入ってきたし、お母さんは花柄の布の垂れた帽子を被っていた。
そして、家の中にお邪魔すると、曾お祖母ちゃんがにこにこしながら迎えてくれた……のだが。
「よぐ来たない。芋蒸かしたとごだから、みんなして食え」
うん、これはなんとなくわかる。
次にコウちゃんに言った言葉の意味は、地元の子供も首を捻っていた。
「残ったら、台所にまでどけや。いしらには多かっぺから」
多分、理解したのはコウちゃんだけだと思う。
私もお友達もわからない言葉を、この辺のお年寄りは使う!
あまりのカルチャーショックに、家に帰って母に興奮して報告した。
「そうねえ。時々、知らない言葉は聞くけど、意味が通じなかったことはないわ」
母が話すのは、私の保護者会なんかで、そんなに年配の相手はいなかったと筈だ。
コウちゃんとは翌年クラスが分かれ、私たちは揃って思春期に入って、話すこともなくなった。
縁があったのかどうか知らないけれど、高校の入学式で、コウちゃんに会った。
ベッドタウンにふさわしく、私立も公立も通える範囲内に高校はたくさんあったので、中学校の友達たちの進路はバラバラだ。
入学式で見知った顔があるのが嬉しくて、コウちゃんと私は何年かぶりに言葉を交わした。
コウちゃんは背が高く、真っ黒で硬い髪と、小学校の頃から変わらない童顔で、私たちはいつの間にか、一緒に帰る仲になった。
コウちゃんの家を訪れることは、なくなったけれども。
冬になったある日、三年生の先輩から呼び出された。
「俺とつきあわない?」
私にはもうコウちゃんがいたし、承諾する気はまったくない。
ただ、コウちゃんに報告するのは、止めておいた。
「やっこちゃん、三年に告られたんだって?」
どこから漏れたのか、コウちゃんの耳にはそれが入っていた。
「ちゃんと断ったよ。コウちゃんがいるもん」
「当たり前だ。もしOKしてたら、相手もろ共ぶっ殴らしてやる」
成長するにしたがって、地元の人たちはどんどん土地の言葉を忘れたのに、相変わらずコウちゃんの家は大所帯で、その言葉が生きているらしい。
コウちゃん自体は普段、そんな言葉を使ったりはしないんだけど、どうも私といる時だけ、出るらしい。
私もずいぶん、意味を覚えた。
事件が起こったのは、その後だった。
「やっこちゃん、知ってる?コウちゃん、バレンタインにB組の女子にチョコ貰ったんだよ」
クラスの女の子からそう言われて、つい先週の記憶を辿った。
バレンタインのチョコは私からだけだって、コウちゃんは言っていたのに。
これは、確認しなくてはならない。
昼休みに階段の踊り場で、コウちゃんを問い詰めたら、あっさりと認めた。
「どうしても貰ってくれって言うんだもん、しゃんめー」
「貰ってないって言ったくせにっ!」
「やっこちゃんにこんちゃれっちゃ、おっかねえかんな」
「……こんちゃれっちゃ」
はっきり言う。ずいぶん聞き慣れたと思ったけど、はじめて聞いた言葉だ。
なんだか怒りの勢いが削げてしまい、責めるのを終わりにして、自分の教室に戻った。
同じクラスの、古い地元の友達に聞いてみる。
「おばあちゃんが使ってたと思うんだけど・・・どういう意味だったかなあ」
つまり、もう使われていない言葉らしい。
帰りに聞いてみようと思う。
それにしても、私に黙ってチョコなんて貰っちゃって。
「……おもしくね」
コウちゃんの言葉は、私にしっかり伝染していた。
「私にも意味の通じる言葉で喋ってくれる?」
帰りの道で、コウちゃんに提案する。
「やっこちゃんには、ごちゃっぺに聞こえんのか。俺は年寄りと住んでるからな、家ではこっちが普通なんだよ」
私の前では、家にいる時と同じくらいリラックスしてるって言ってるんだろうか。
「俺は百姓の跡継ぎになるつもりだから、一生あの家で生活するんだ。だから、何の問題もない」
「でも、私に意味が通じないのっ」
「やっこちゃんが、こっちの言葉に慣れればいい。ウチに来れば、みんな同じ言葉喋るんだから、今から慣れとけばいいべ」
「今から?」
「結婚するまでに慣れとけば、ウチの中でわかんない、なんてことはねえべ。長期計画ってヤツだから」
長期計画で私に方言指導してるなんて、思いもしなかった。
「あんまり覚えろ覚えろって言って、うっさいとか思われてもしゃあねえし」
照れもせずに言うコウちゃんの、未来の家には私がいるらしい。
「先走り過ぎってこんちゃれっから、黙っとく。だから、慣れといて」
謎の言葉は謎の言葉のまま、私の未来は農家の嫁らしい。
体力、つけとこ。
コウちゃんと野良に出て、畑に草がほぎったら、一緒にかっちゃぐのか。
第二国語は、コウちゃんの家の言葉だ。
fin.
までどけ → 片付けておけ
いしら → あんたたち
しゃんめー → 仕方あるまい
こんちゃれる → 叱られる
おもしくね → 面白くない
ごちゃっぺ → わけのわからないこと
野良に出る → 野良仕事をする
ほぎる → 生い茂る
かっちゃぐ → かっ切る
意味わかった人、挙手!