第二話:貴様を殺した罪は、生涯をかけて償う。二度と離すな
1. 硝子の監獄
アメリアが目覚めたのは、硬いシーツの上だった。体中が痛む。昨夜の衝撃的な出来事が、まるで悪夢のように思えた。
しかし、鼻をくすぐる魔導蒸気の微かな臭い、そして部屋の四方すべてが厚い強化硝子で囲まれているという異常な現実が、それが紛れもない事実だと物語っていた。
ここは、アイゼン・シュロス宮殿の奥の棟。 王太子エドワードの私室へと繋がる、「硝子の監獄」だった。
硝子の向こう側、豪華なデスクに座っているのは、エドワード・フォン・クロノスその人だ。彼はすでに軍服に着替え、プラチナブロンドの髪を整えているが、そのアイスブルーの瞳は、一瞬たりともアメリアの部屋から逸らされることはなかった。
デスクの上には、無数の古書と、真鍮と歯車で構成された巨大な魔導計算機が置かれている。彼は、アメリアが起きるまで、夜通し執務に励んでいたのだろう。
「目が覚めたか、アメリア」
硝子越しに、エドワードの声が届く。その声には、冷酷さではなく、病的なほどの安堵が滲んでいた。
「ここは、どこですか」アメリアは喉の渇きを覚えながら尋ねた。
「私の私室に繋がる、君の部屋だ。昨夜、君をこれ以上危険な目に遭わせるわけにはいかないと決断した」
エドワードは、そう言ってから、左手首の内側に埋め込まれた「未来の欠片」の懐中時計を一瞬、強く握りしめる。
「君を殺す可能性のある、あらゆる要素から隔離した。ここが、君にとって世界で一番安全な場所だ。安心してくれ」
その時、カチャカチャという、ゼンマイが巻かれるような軽快な音と共に、小型の給仕自動人形が、硝子の壁沿いの開閉口から朝食を運んできた。トースト、オムレツ、そして熱い紅茶。
アメリアは警戒しながらも、紅茶に口をつけた。目の前の男の、執着と監視は、彼女が知るどの悪役令嬢物語よりも異常だった。
2. 王子の狂気と懺悔
「あの、時空拘束兵というのは……何なのですか? 私の知る世界には、あんな兵器はありませんでした」アメリアは問いかけた。
エドワードは、自室のデスクに戻り、巨大な魔導計算機に、複雑な数字と記号を打ち込み始める。その動作は正確で淀みがない。
「あれは……未来を修正するための鍵だ。君を逃がさないため、そして、君が時間法則の修正力に巻き込まれないように、私が現在の技術で無理やり再現させた私の、君への愛の産物だ」
彼はそう言いながらも、左手を胸元に強く当て、懐中時計を握りしめている。そして、アメリアには見えない角度で、時折、顔を歪ませる。まるで、胸の奥を鋭い刃物で削られているかのように。
(この人は、私が知らない間に、一人で何を背負っているの……?)
「……私の知るエドワード殿下は、もっと合理的で、感情的ではない方でした。あなたは、誰なのですか」アメリアの問いかけは、彼の心臓を抉った。
エドワードはゆっくりと顔を上げ、硝子越しに強く、深く頷いた。
「私は、未来で君を殺したエドワードであり、同時に、君を失って狂い、世界を裏切ったエドワードだ。君が知る王子ではない。君の言葉通り、狂人だ」
彼のアイスブルーの瞳が、熱に浮かされているように見えた。
「君を処刑した数年後、私は気が付いた。君を陥れた貴族たちの陰謀、そして、君がいなければこの国が未来で崩壊するという法則を。……だが、時すでに遅かった」
エドワードは席を立ち、硝子の壁に歩み寄った。
「私は、崩壊した世界で、君の処刑台で砕け散った懐中時計の『欠片』を見つけ出した。それは、この世界に許されない『時間魔法の残滓』を含んでいた。私は、その欠片を体内に埋め込み、私の命と引き換えに、時間法則を強引に逆行させたのだ」
3. 命を懸けた贖罪
彼の言葉は、アメリアの「死に戻り」の記憶と完全に合致した。彼は、アメリア以上に、「時間法則」という巨大な敵と戦っているのだ。
「私は、君が死に戻る直前の過去の私に代わって、君が処刑される数年前からこの世界に戻ってきた。君が再び処刑される運命を辿らないよう、過去の陰謀の根を全て、秘密裏に粛清してきた」
エドワードの言葉は、彼のこの数年の「冷酷な暴君予備軍」としての評判、そして「猜疑心の王太子」という貴族たちの評価の全てが、アメリアを救うための行動だったことを示していた。
「そして、君が『死に戻りました』と叫び、私の目の前に生きて現れた瞬間、私は確信した。私の命を懸けた修正は、成功したと」
彼は、硝子の壁越しに手を伸ばし、アメリアの顔に触れようとする。彼の指先と、アメリアの頬の間には、冷たい硝子の隔たりがある。
「私のことを信じなくても構わない。だが、もう二度と私から離れるな。君を抱きしめることが、私に残された唯一の、贖罪の時間なんだ」
エドワードは、壁越しにアメリアの手と自分の手を重ねた。
「君を処刑した過去の罪は、私が君の生涯をかけて償う。私が君を愛する。君が私を憎んでも、君の命は私が絶対に守る。これは、君と私の、命を懸けた契約だ」
アメリアは、その手の冷たさと、瞳の奥に宿る熱い執着に、息を呑んだ。
(この人は、私以上に狂っている……。そして、その狂気の全てが、私に向けられている)
彼女は、憎むべき相手だったエドワードの孤独と絶望を知り、恐怖の淵で、彼に対する奇妙な感情を抱き始めていた。この監禁は、彼にとっては愛の檻であり、彼女にとっては生きるための檻なのだ。
11/9次回予告:
『第三話:王子の部屋の扉は開かない。だが、私はハッチから逃げる』
エドワードの異常な愛の支配下から、アメリアは「未来の知識」と「知性」を使って脱出を試みる。目指すは、王子の秘密を探る鍵、宮殿の魔導工房。しかし、そこに、冷静沈着な側近レオンハルトの追跡が迫る。




