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泰山庁幽鬼調査課  作者: 十弥彦
神隠し編
8/17

第八話 悠抄、神隠しにて難儀するの事 その七

「定期的に監査に立ち寄るよう、泰山庁の方に報告しておくから、あまり油断するなよ。約束を破るようなら担当を押し退けて悠抄が来るぞ」

 邸の裏庭に建てられた、霊道を固定してあると言う祠の前、見送りに来た集団の中央に立つ営業猫鬼その一に向けて、天猫がしかと念押しをする。

 猫面ながらも軽く真剣味漂わせる声音に、些か大げさに感じたのであろう、その一が袖で口元を覆い、ホホと軽やかな笑い声をあげた。

「もとより背くつもりもありませんが、如何に仮面様とてそこまでの暇はお持ちではないでしょうに」

「あんた、あの子に連絡用の鈴を渡してなかった?」

 余裕をみせるその一に、梅花が呆れたように事実を指摘してみせる。

 擬音を立てそうな見事な硬直をみせる妖鬼一同に、悠抄が袂から取り出した鈴で、かろりと肩の上で寛ぐ小鈴に遊ばせた。

「家に戻ったら、ぼくからの呼び出しだって分かるように加工するので、楽しみにしててくださいねー」

 ついでに、幽世からも届くようにしておくので、鳴ったら小鈴の邸に来るようにと地獄の宣言を轟かせた。

「それと、小鈴さんを現地監督官さんにしますかねー」

「にゃー」

 固まる空気に構わず楽しげな声が響く中、抗議するように腕の中の小鈴がひと鳴きする。

「分かってますよ。気が向いた時の対応で十分です」

 やや不自然に明るさを残した悠抄の言葉とは対象的に、妖鬼達がしんみりと耳を伏せて見せる。

 突然の変化に違和感を感じた梅花が、半歩下がって天猫の背をつついた。

「ちょっと、みんな急に静かになったけど、あの猫なんて言ったの?」

「どちらにするか決めていなから、何年できるか分からない、だとさ」

「そっか。……まぁ、そう言うこともあるわよね」

 あえて軽く流す天猫の言葉に、梅花がやや言葉を選んでから、柔らかく笑んで反対側の手で小鈴の額を軽く小突いた。

 幾分重くなってしまった場を仕切り直すように、悠抄がつま先で二度ほど地面を叩いた。

「小鈴さんがどちらを選ぶにせよ、納得できる答えなら、それが正解です。その為に、一度家族のところに連れて帰りますね」

 その一言を合図に、妖鬼達が霊道の入口を広げるための術起動の準備に取り掛かる。

 霊道が開き切る寸前、何事か思いついたらしい悠抄が営業猫鬼その一に歩みよると、その前足を取って一枚の霊符を手渡した。

「何かあったら、この符に話しかけてみてくださいね。贔屓はできないですけど、愚痴や相談くらいはいつでも聞きますよ」

 とん、と悠抄が営業猫鬼その一の肩を叩くと、黒と鈍色の毛皮を持つ猫と共に甲高い音を上げる空間の揺らぎへと歩み寄って行った。

 

〜〜


 物質にあらざる門を潜った三人が現れたのは、後にした筈の富家の庭であった。

「座標軸をずらして、小鈴さんのお家まで送ってくれましたか。親切なことですね」

 たしたしと足元の地面を確認してから周囲を見回す。

 簡易祭壇が設置されているのを見る限り、出発してから、実際に時間経過はさほどでもないと思われる。

「飼い主さんに心配を掛けないようにした上で、効率よく修行できる仕組みと言うのは本当みたいですね」

 悠抄がひとしきり感心した後に、丁度通り掛かった使用人に、主人一家を連れてくるよう指示を出す。

 若い使用人が一歩後退った上で、こけつまろびつ駆け出したのは、悠抄の見た目の故ではないと言いたいとこではある。

 そんな想定外を即興喜劇を眺めていた梅花が、何事かに気づいたように周囲を見回して首を捻る。

「そう言えばさ、最初に霊道とか言うのに入った時はしっかり歩いたのに、何で今回は途中省略なの?」

「行きしの霊道は、あくまでも急な開通だからな。正当な手段で開くと、修行をしていない現世の人間の記憶には残りづらいんだよ」

 気になるなら悠抄に説明してもらえ、と天猫が相方を指で示すと、梅花が小さく舌を出してそっぽを向いた。

 手近な四阿に座を移して家人を待つことしばし、響いてきた幾つもの足音に視線を移すと、先程の使用人に先導されて駆けて来る富家一家が視界に飛び込んで来る。

「小鈴……! よく、よく無事で……!」

 当初のたおやかさをかなぐり捨てて、悠抄より猫を受け取った奥方が、二度と離すまじとしかと小鈴を抱いてその場にしゃがみ込んだ。

 娘はそっと母親の肩を抱き、当主は三人に向かい深々と頭を下げる。

「皆様のおかげで、無事小鈴が帰って来れました。なんとお礼を言えば良いのか……」

「ぼく達はぼく達の都合で動いているので、お礼は要らないですよ。それよりも、小鈴さんがどちらを選んでも後悔しないようにしてあげてくださいね」

 自身も目の端に涙を滲ませ笑みを浮かべる主人に、悠抄がひらりと手を振り応える。

 不安を明確に浮かべた一家に対して、悠抄が先程まで目にしてきた事柄を語って聞かせる。

「なるほど、家族を見守る為に妖鬼になる犬猫ですか。承知しました、小鈴がどちらを選ぼうと、後悔をさせないよう肝に命じましょう」

 悠抄の説明に顔を上げた妻や娘と目を合わせた上で、当主が深く頷く。

 数瞬の後、ですが、と泣き笑い一歩手前とも取れる柔らかい微苦笑を刻んで、奥方の腕の中の愛猫に視線を落とした。

「もし願うことが許されるなら、小鈴には自然のままを願いたいですね。……私達には小鈴は掛け替えのない家族、この子にもそうであって貰えたら、と。もちろん、いざの時には情けなく狼狽えるのでしょうが……」

 情けないことですね、ゆるく頭を振る当主を、黒と鈍色の毛皮を持つ猫はじっと見つめていた。


 〜〜


 街の南北に置かれた大門は、常ならば行き交う人が途切れることなく足を進める光景をみることができるはずであるが、刻限の影響か、見える範囲の人影は三つのみであった。

「さて、と。騒ぎも一段落ついたことだし、あたしも次の稼ぎ口探さなきゃね」

 延々と続きそうな元雇い主の謝辞をどうにか振り切り、どうにか悠抄と天猫にくっついて街の南門までやって来た梅花が、背伸びをしつつぽつりと呟いた。

「何言っているんだ? 身の振り先なら、悠抄が紹介するって言っていただろう?」

 不思議そうに小首を傾げる天猫に、小さく笑った梅花が腰に提げた剣の柄頭を軽く叩いて見せた。

「気持ちはありがたいけど、こいつの修行も兼ねてるから、遠慮させてもらうわよ」

「そうか。でも、無理強いはしないけどな、向こうはすっかりその気みたいだぞ」

 天猫が顎で示した際には、いつの間に現れたのやら、老人が一人朗らかな表情で佇んでいた。

 指摘されるまで気配を微塵も感じさせていなかった存在に、梅花が盛大に仰け反ってみせる。

「この爺さん、いつ湧いてでたのよ。何、人間に見えるけど新手の化け物か何かなの?」

「お前な、仮にも師匠になろうかって人間に化け物はないだろ」

 顔を横に振って嗜める天猫であったが、ふと動きを止めて考えると、似たようなものか、と結論づけた。

「天猫、それは同じ穴の狢って言うんですよ」

 うんうんと一人納得する天猫と、指摘の振りをして相棒に輪を掛けて無礼な発言を繰り出す悠抄。

「……あんた、それもしかして庇っているつもりじゃないでしょうね」

「人の理では図れない方々に人外扱いされるとは、人生乙なものですなぁ」

 無自覚におよそ社交性と言う概念とは程遠い少年型人外二人組に、梅花と老人がそれぞれの反応を返した。

 ひとしきり笑い声を上げた老人が、さて、と咳払いをすると、土汚れを気にするでもなく両の膝を付いて両手を頭上に掲げる。

「ご挨拶が遅れました。悠抄様ならびに天猫様、ご無沙汰しておりました」

「お疲れ様です。それにしても、また道人が来たんですか。ほんとよく動きますねー」

 膝をつく身なりの良い老人に対し、悠抄がひらりと適当に手を振って応じた。

「いえ、お二方のお呼び出しともなれば門主自ら出向くのは当然のことにございます」

「面倒くさい奴だな。……まあ、あそこにいる奴を適当にしごいてやってくれ」

 適当に梅花を指し示した天猫に、指の先を確認した道人がホッホと顔を綻ばせた。

「これはまた、見所のある娘さんを見つけられたものにございますなぁ」

「悠抄が面白いと思ったらしいからな、そこそこ使えるくらいにはなるだろ。」

「なるほど、悠抄様の肝煎りにございますか。かしこまりました、天猫様。我らの全力で育成いたしますこと、お約束いたしましょう」

 見るからに楽しげな笑みを浮かべた道人が指を鳴らすと同時に、地より湧き出した人形の影が数体、未だ事情を掴めずにいる梅花を取り囲んで拘束する。

「こ、こら放せ! なんだ貴様らは!」

「良かったですね、梅花さん。ここの門派は親切なので、楽しく修行できますよー」

「ふっざけんな! 何の修行をさせるつもりよ! 私には剣があるって言ってんでしょ!」

「おお、活きが良いですなぁ。これならば、多少の荒業も苦ではないでしょう」

「元気ですよね。次に会う時が楽しみです」

 神輿の如く担ぎ上げられて暴れる梅花と、神輿を見上げ楽しげに笑いをあげる道人、それと担ぎ上げられた神輿に向かって能天気に手布をかざす悠抄。

 場に満ちる混沌に、天猫がやかましげに手を振って退場を促す。

 合図を受け道人が二人に頭を下げると、抵抗する梅花ごとそのまま溶け込むように消え去った。


 〜〜


「それで、満足はしていただけましたかね、課長」

 溜息混じりに言葉を落とした天猫が振り返って見やった先には、豪奢な衣装のまま無造作に門柱にもたれ掛かる麗人の姿。

「何を期待して俺達を送り込んだかは知らないけど、多分、見るべきものは見たと思いますよ」

「何のことかわからないけど、きれいに事を収めたのは、さすがと言うべきかしらね。心配して迎えに来たのに、損したわぁ」

 くなりとしなを作って見せる上司に、部下二人が冷たい空気を醸し出して応える。

 遠くから折良く鳥の鳴き声が響いてきたのは、おそらく他意はないのであろう。

「お忍びで足を運んできたくせに、白々しいですよねー」

「現世に面を付けずに来ている時点で、規則違反なのにな」

 なあ、と調査官二人が肩を組み聞こえよがしに上司を非難してみせる。

「あら、人聞きが悪いわね。アタシは事務官ちゃんが可哀想だから助け舟を出しただけよ。それにしても、役人のような目端の利かせ方をする行商人ね。随分と面白い影があるものねぇ」

 それで、悠抄の見解はどうかしら? と小首を傾げて部下の意見を求める上司に、悠抄がかつかつと自らの仮面の額を爪先で軽く叩く。

「事の動かし方に覚えがありますよ。時期的にも、彼らがそろそろ動き出す頃合いだと、ぼくは思います。なので、この先影を踏むことは増えるのではないですかね」

 仮面の少年の楽しげに弾む声色に、課長は白皙に浮かぶ笑みを深め、天猫は表面だけは面倒くさそうに肩を竦めて見せた。

 にこやかに不穏を漂わせる三人の足元を風に運ばれた木の葉が通り過ぎると、その影は徐々に地面へと溶け込んでいった。

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