第六話 悠抄、神隠しにて難儀するの事 その五
留まることなく揺らぐ空間より出でてまず目にしたのは、人手の入らぬ濃緑の地であった。
左右のみならず上下にすら視界を侵略してくる植物の影には、潜み周囲を伺うも隠れる気配のない生き物の息遣いが伝わって来る。
いかにもと言わんばかりの原生林に、来訪者三人は示し合わせたわけでもなく顔を見合わせた。
「……彼らは悪しき妖鬼です。殲滅しましょう」
鬱蒼と茂る木々を縫うように走る獣道を目にした悠抄が、至極真面目ぶった調子で大きく頷いてから言葉を口にする。
今にも符を取り出しそうな相棒に、天猫が諦めをにじませた様子で悠抄の仮面を小突いた。
「お前な、自分の体力のなさを人のせいにするなよ」
「そうよ。力のある奴のそう言う冗談は冗談にならないのよ」
「だって、見てくださいよ、これ。二本足が踏み込むには難易度が高すぎます。せめて、啓発会の会場の方を連れて来てください」
音が鳴らんばかりに腕を振り回して抗議する悠抄に、案内人である妖の一団が申し訳なさそうに首を身を縮こませる。
「……まあ、殲滅自体は別に構わないけどな」
ぽつりと落とされた一言に、神隠し下手人集団が揃って発言者たる天猫へと向き直った。
「そうね。小鈴を探す手段はあとで講じればいいだけだわね」
引き続いての女剣士の発言に、慌てて円陣を組んで対策を練り始める妖達である。
「じゃぁ、そういう……」
「お、お待ちくださいませ! 微力ではございますが道を繋げますゆえ、何卒ご容赦を!」
「我々からもお頼み申しますので、その一様の提案をどうかお汲みいただけますよう……!」
意見の一致をみて、上機嫌で懐に手を突っ込む悠抄に、現場責任者たる営業猫鬼その一が実に見事な土下座を披露すると、他の妖鬼面子も口々に懇願して後に続いた。
「それにしても、さっきよくも都合よく現れたものね。さすがに、偶然じゃないんでしょ」
時折不自然に切り取られる光景を横目に歩を進める梅花が、問うでもなく疑念を投げかけてみせる。
独り言に近く見せかけたその呟きに、もちろん、と応えが返ってきた。
「剣士様が追われた者の開いた霊道が、再び使われたのを感知したため、これはと思い駆けつけた次第でございます」
「つまりは、あたしがそこの猫もどきを追いかけたおかげで、あんたらはこいつらを釣り上げられたということね!」
手柄だ、と胸を張る梅花の主張を受け、葉陰より現れた小鳥が虚空を目掛けて一目散に飛び立った。
澄まし返る梅花に、幽世組は特に反応を示さないが、現世妖組が信じ難いものを見たと言わんばかりに凝視する。
中には歩を進めていることを忘れて、目線を固定したまま転倒するものまで出る始末である。
意図しない妨害に悠抄の出方が怖いとでも思ったのか、袖で口を覆ったその一の芝居がかった咳払いを合図に、その他の妖鬼達が何とか顔を逸らすことに成功する。
「こいつらとは畏れ多い…………、ですが、現世で障りを繰り返せば幽世の方々が動くのは必定、なれば此度の騒動は好都合と言えますな」
先のお言葉には肝を冷やしましたが、と続けながら、先導するその一が気負うことのない調子で告げる。
無邪気さすら感じさせる様子に、天猫がつまらなそうに鼻を鳴らした。
「好都合、ね。悠抄、お前はどう思う?」
「……慣れていないくせに手際が良いのが気に食わないです。こっちはこっちで、誰に吹き込まれてるんでしょうねー……」
「仕方ないわよ。操られてる時ってのは、自分の意思で動いてるって思い込んでるもんなんだからさー」
天猫より借り受けた昆を杖代わりに息も絶え絶え足を動かす悠抄の呟きは、相棒以外に拾われる事で思わぬ真実が目に見える形で示された。
剣士の想定外の感の良さを評価したのか、軽く拳を掲げる天猫の仕草に、さらに気を良くした梅花が器用にもふんぞり返った姿勢獣道を踏み進める。
「大体ね、話を聞いたときから疑問なんだけど、犬猫が頭数を揃えて何しようってのよ」
「おい、こいつ意外と頭が回るぞ」
「天猫の淹れたお茶が効いたんですかね。まぁ、まだ油断はできません」
中身が入れ替わったのか、と僅かに距離を取りつつ悪口と紙一重の褒め言葉を口にする天猫に、悠抄がさり気なく上方修正をした評価を下した。
足を止めた悠抄が大きく息をして呼吸を整えると、営業猫鬼その一に釈明をするように促す。
「さようでございますな。休憩がてらご説明をさせていただきましょう」
言うが早いか、その一が仲間に合図をする。
妖より手渡された布張りの座布団に、各々気ままに腰を掛ける。
「妖鬼のわりに小洒落た物を使ってるわね」
「見慣れぬ行商より先ごろ買い求めた物でしてな、ようやっと役立つことが出来ました。さて、剣士様のご質問でございますが、まずは我々妖は元来群れることを好まないものとご承知おきをお願いいたします」
開幕を告げる役者のように、芝居がかった動作で頭を下げるその一に、周囲に座す妖鬼達からぽふぽふとくぐもった拍手があがった。
「我々妖と言う存在は程度や方向性の差こそあれ、人に関わることを本質と致しております」
「そこが分からないのよね。あんたら、人間嫌いが多いでしょ。なんで関わりたがるのよ」
切り出したその一の解説に対し、梅花が早速疑問を差し挟む。
人間側からするともっともな問いではあるが、問われた側は分かっていないと言わんばかりに一斉に溜息をついた。
中には、呆れたと言わんばかりに首を横に振る個体も出るほどである。
そこはかとない上から目線に、当然梅花が黙っているはずもなく盛大に眉を吊り上げると、手頃な岩に背を預けて疲れを取る悠抄に顔を向けた。
「ちょっと、こいつら性格悪いわよ。少しくらい消しちゃった方が世のため人の為なんじゃない?」
けしかける梅花であるが、けしかけられた側は面倒くさそうに仮面を背けて相手にしようともしない。
にわかに騒がしくなった場に、その一がまぁまぁ、と肉球のついた手で宥める。
「妖は、人間の意識と無意識の狭間から発生するから、梅花が分からないのも、妖が分からないことが理解できないのも、どちらも仕方ないことだ」
袖口から取り出した炉と組になった茶具を取り出すと、同じく取り出した黒色と淡黄色の塊をそれぞれ削り入れる。
「見たことない茶具ですね。天猫、そんなの持ってました?」
「蔵山から来た奴に貰った。茶葉と酪を煮込むらしい」
鼻歌混じりに準備を進める天猫に、なるほどと、どちらでも良さそうに頷いて見せる悠抄である。
「面白い香りね。あたしにもちょっとちょうだい」
「失礼ですが、剣士様には我らと同じ物が宜しいかと」
周囲に漂う土を思わせる香りと畜獣の乳の香りに身を乗り出す梅花を、その一がやんわりと押し留めた。
「なんであっちのは駄目なのよ」
「いや、良いものばかり口にされては、お二方がお帰りになられたあとの食に難儀されますよ」
口を尖らせての梅花の不満を、その一がにこやかに流すと、湯気の立つ雑穀茶で満たされた茶杯と胡麻団子を両の手に乗せた。
「妙ちきりんなところから取り出すのは、あんたも同じじゃないの?」
「これは人の作った物を妖術で押し留めているだけですので、お二方のものとは格が違いますよ」
不貞腐れ顔を披露していても両の手の平に伝わる温もりには抗しがたかったのか、軽く肩を竦めると、一息に茶杯を干す。
沸き起こるやんやの喝采に、どこの宴席だと悠抄に酪茶を手渡すとともに零した一言はかき消されてしまった。
「大げさですねー。先も食べてましたし、少し増えたくらいは問題ないですよ」
「差出口ご容赦を。我ら現世のものは染まり易いのですよ」
酪茶に吹きかける息に紛れ込ませた悠抄の一言に、営業猫鬼その一が悪びれる様子もなく平伏してみせた。
遠くに雉の尾を引く鳴き声に耳を傾け一同が各々茶を楽しむ。
皆が一息ついたのを確認したその一が、さてと背を伸ばし威儀を正す。
「お話の続きでこざいますが、猫面様の言われる通り、我らは人により世に現れるため、人の目に止まろうと手を出しては討たれると言う流れが常でございました」
なんとも哀しき流れにございます、と首を横に振り俯くその一の台詞と追随する手の者たちの様子に、三人が揃って白けた視線を返す。
無意味な悪戯へのしっぺ返しも討伐の一因に含まれるなどの、ごく真っ当な理由は彼らの中には存在しないものとされているらしい。
まさに、雉も鳴かずば討たれまじの格言の通りであるが、当人達に自覚がなくば説いても虚しいことこの上ない。
「要するに、仲間が減ってきたから徒党を組んで数を確保しよう、自然発生より妖になりやすい動物に声をかけようってことだろ」
「ぼく達が現れたのが好都合というのも、害と言えるほどの害もなく、事情を明かせば無碍にも扱われることもなしと言う入れ知恵があってのことですね」
淡々とした調査官二人の要約に、悲哀を表していた妖鬼がゆるりと面を上げて対する者たちを見据える。
獣ながらに強かさを湛えた満面の笑みに、直視をしてしまった梅花が気圧されてわずかに半身を反らした。
「まさしく。あの行商人も、人ながらに良きことを伝えてくれたものでございます。さあさ、残りの道もあと僅か。皆様には我らの為す事をしかとご覧頂きましょう」
先程まで纏っていたはずの人の良さや情けなさを打ち捨てた妖鬼の一団に急かされ、しょうもなさそうに腰を上げる悠抄と天猫であった。




