表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
泰山庁幽鬼調査課  作者: 十弥彦
仮面編
26/26

第二十六話 悠抄、仮面の秘密を明かすの事 その十八

 しゃらりしゃらりと筆の走る音と紙の繰られる音の合間に青年の奇妙な声が響く庁舎大食堂の昼時。

 相も変わらず書類の塔をなす悠抄と天猫に加え、潰れた蛙のように机にへばりつく彩藍が場の異様さに華を添え周囲を遠ざける。

 あまりの自然な異様さに周囲はひそひそと言葉と交わすが、馴染み具合に耐えかねたのか、一人の女性職員が勇気を振るって一歩進み出た。

「あの、差し出がましいですが、二等事務官が何か悩んでいるようなのですが」

 額を机に押し付け唸り声を上げ続けると言う青年の奇行に対して、気遣わしげと言う名の苦情を告げる女性職員に、観客一同が音のない拍手喝采を浴びせる。

 常識人による偉業をよそに、女性職員に話しかけられた悠抄は絶え間なく動かしていた筆を止めて文箱に置くと、傍らで変わらず頭を抱える彩藍に意識を向ける。

 しばらくそのように青年を眺めていたが、やがて何か間違えたことを思いついたのか両手を打ち鳴らした。

「天猫天猫、彩藍くんが疲れたので甘い物が食べたいらしいのです」 

「いえ、抄調査官、私はそんなことはひと言も言っていません」

 軽く書面を読む相棒の袖を引く悠抄に勇気ある職員が即座に否定するが、調査官二人組がそもそも人の話を聞くような性格なら、誰も苦労しない。

「なんだ、疲労か? 蓮子百合銀耳湯ならあるけど、食べられるか?」

「お腹が足らなければ、僕の三不粘も一皿あげますよー。あと、十薬のお茶も美味しいです」

 言うが早いか袖口より玲瓏磁器を取り出した天猫が彩藍の前に器を置くと、軽やかな音を立てて蓋を受け皿に掛ける。

 ほっくりとした穏やかな甘さを含む香りに、青年が顔を上げて顎を机に預ける。

 そして、悠抄により引き続いて並べられたとろりとした艶の青磁皿に乗せられた黄金色の粘体の重甘い香りと、白磁に映える濃い琥珀色の液体の生臭いえぐみのある香りに顔を背けた。

 五感のみならず財布の紐にも地味に優しくない光景に、我知らず口元や胃の辺りを押さえる者も出る始末であるが、元凶二人組は良いことをしたとばかりに満足げに息をつく。

 善意と憐れみの眼差し、そして層なす香りの圧からいかにしたものかと彩藍が視線を逸らすことで現実逃避をする中、勢いよく扉を押し開いて総務部職員が飛び込んできた。

「すみません! ここに彩藍がいるって聞いたんですが!」

 おそらくは彩藍と同年代と思しき青年が声を張り上げる状況に、悠抄がのんびりと手を挙げる。

「事務員二号くん、彩藍くんならここでおやつの時間にしていますよー」

 よほど急いでいるのか、自分を呼ばわるのが人型常識外であると言う事実を気に止めることなく闖入者が進行方向を定める。

 足早に駆け寄った総務部員は、軽く息を整えたあと一度悠抄と天猫に会釈をして彩藍へと向き直した。

「なぁ、彩藍。お前大丈夫か? 受付の鬼が切れていたぞ?」

「受付の鬼と言うことは、中央の受付口担当の奴か?」

 突如横から割り込んできた天猫の問いに、伝言青年が一瞬身を仰け反らせたのち、大きく頷いた。

「あいつなら、あれで常態だ。気にするな」

「受付嬢さんはですね、怒るのが業務内容なのですよ」

 あり得るはずのない常識を滔々と説く枠外組に呼び出し青年は目を白黒させ、彩藍は先の展開に覚悟の溜め息をついた。

「わかった。この人達と一緒に顔を出すよ」

「大丈夫か? なんかへまをしたのか?」

「心当たりは、ある。気は重いが、まぁ、想定範囲の呼び出しではあるんだ」

 自らを奮い立たせるように一度頭を打ち振ると、かたりと音を立てて椅子から立ち上がった。

 元凶たる二人組に離席を促そうとして、善意と言う名目の物体に気が付き、瞬きの間ほどの時間で思考を回す。

「悪いけどさ、折角だから、この甜点心は僕のかわりに食べておいてくれ。あぁ、器の扱いは気をつけたほうが良い。壊したら、僕らの月給じゃ弁償できないぞ」

 一息に言い切ると、期待に満ちた少年もどきの前に友人を座らせ、鼈甲の箸を握らせる彩藍であった。



 〜〜



「呂彩藍二等事務官、私は以前に調査課員に不要な餌を与えるのでありませんと忠告したはずですが?」

 聞いていましたか? と感情を抑えた受付嬢の問いは、湖面に凝る冷気のように受付の床に広がり彩藍の足より胸へと伝い登る。

「あなたが付いていながら庁内勤務者に長期出張申請の必要性を許すとは、何たる体たらくですか」

 淡々と事実を指摘する声は、荒くもないが救いも同じく存在しない。

「なぁ、受付。少し言葉がきつすぎないか?」

「宋調査官、これは総務部内の問題です。失礼ではありますが、口出しは御無用に願います」

 しょげる彩藍を見兼ねた天猫が出した助け舟は到達前に阻まれ、舟を出した救助者も正論を前に肩を竦める。

「彩藍くんの優秀さはぼくと天猫が保証するので、心配は要らないですよー」

「呂二等事務官の優秀さは調査官付きと言う事実で元より評価されております。抄調査官、私達総務が心配するのは、だからなのです」

 常識外の調査課にあって尚人外と評される二人組に取りなされるも、受付嬢の鋭さは抑えられることなく受付机の向こう側の空気が緩むことはない。

「聞きなさい、呂二等事務官。あなたも承知の通り抄調査官と宋調査官は非常に有能です。そして、あなたも優秀です。ですが総務の必要とするのは、優秀の平均です」

 その上でどうするのだと問われた彩藍が一度視線を落とした後、大きく息を吸い込み姿勢を正す。

「先輩のお叱りはごもっともだとは思います。ですが、僕、いえ私は調査官付き総務部事務官として、今回の両調査官の長期出張申請は妥当と判断します」

 震える手を拳にして抑え込み、怯みを隠さずも引かない青年に、悠抄と天猫が視線を交わして半歩下がる。

「よろしい、では根拠を述べなさい」

「はい、今回抄および宋両調査官は庁内業務の一環として抄悠抄調査官の仮面修繕と、業務中対応可能な案件として落魂による昏睡の漁師救済の任務を引き受けました」

 まず前提を提示する彩藍に、受付嬢が目線ひとつで先を続けるよう促す。

「なよ竹の姫君の要望に従って宝物を集めるというのは、確かに一見関わりないことと思われますが、姫は人の望みの結晶であるとも聞きます。ならば、姫の乱調は現世の魂に影響を与え、漁師の魂の肉体帰還にも支障が出ると想定されます。よって、総務部事務官として宝集めは泰山庁の業務範囲内であると認識します」

 口を挟むでもなく彩藍の言葉に耳を傾けていた受付嬢は、幾ばく化の間をおいて長い息をつくと真っ直ぐに青年の目を見返した。

「主張は理解しました。では、呂二等事務官には長期出張申請の条件として反省文二百枚を五日で提出を命じます。なお、今回の条件に関しましては総務部長には私から承諾を得ます」

 申請承諾は反省文提出後に審査だ、と満面の業務笑顔で告げる鬼に、勇気を振り絞った青年が一瞬稼働を止める。

「……え? 無理をしたのは悠抄さん達……」

「残念ですが調査官の言動を根拠に申請書類を整えたのは、紛れもなくあなたです。だから、忠告をしたのです、餌を与えるな、と。駄々をこねるなら反省文を三日三百枚にしますよ」

 調査官組とは種類の違う理不尽の顕現に、振り絞った勇気を後悔しつつ落ちる青年の肩を、元凶二人組が両側から軽く叩いた。

「お話は終わったかしらー?」

 なんとも表現しがたい疲労感の漂う空間に、機を図ったかのように響く重厚かつ軽薄な声が響き渡る。

 一同がそちらに意識を向けると、いつの間にか出現したものか、鮮やかな衣装を纏った熟年の麗人の姿。

 脈絡と遠慮というものが微塵も感じられない存在に、悠抄が沓のつま先で軽く床を叩いた。

「課長、いきなり湧いてくると、みんなびっくりしますよ?」

 ほら、と小柄な少年が指さした先に広がるのは、驚くと言うよりも引くと言う表情を見せる総務課の面々と、任務受領待ちの実働部員の面々である。

「なによ、人を紙魚みたいにぃ」

 くねりとしなを作る目に優しくない存在に周囲は一斉に業務を再開し、逃げられない受付嬢は押し寄せる情報量に目を眇めて対抗する。

「いや、紙魚というか、やたらとてかてかしているし、最早厨の片隅にいる油虫だろ」

「いやぁよ、あれ可愛くないもの」

「調査課長、無礼を承知で申上げますが、お暇ならそちらの理外お二人とお茶の時間にされてはいかがでしょう。端的に言えば、邪魔です」

 何事か呟いて俯く彩藍には手で逃げるなと牽制し、自らの上司から面倒くさそうに地味に距離を取る悠抄と天猫を示した流れで入り口に意識を誘導し、提案という名の退去を命じる受付嬢である。

「そうねぇ、お言葉に甘えさせてもらおうかしら。そうそう、騒がせた詫びとして、この子たちには有給五日を申し付けるから、受け取りなさいな」

 人外の巣窟を束ねる麗人は、言うなり小型論外を両の小脇に抱え踵を返す。

 間を置かず左右の小柄な少年が不平の声を上げて藻掻くも、いかな力が込められたものか、軽く置かれた腕が外れる様子はない。

「課長、横暴と言う言葉を知っていますか? そこの受付が言うには、職能的圧迫と言うらしいです。あと、今日に限らず課長の衣装は目に痛いです。歳相応を進言します」

「そうですよー。あと、焚きしめの香の配分変えました? いい香りですけど臭いです。なので有給はいらないです。だから課長なのです」

 左から天猫が非難込みの悪口を、右から悠抄が率直に単なる悪口を好き放題放言し、だから思い直しましょうよ、と両側から訴えるが聞く耳の持たれるはずがなく、込められた力は強まるばかり。

「あんた達、それでよく許してもらえると思うわね。彩藍ちゃんの反省文は半分あんた達のせいなんだから、せめて書き上がるまでは大人しくなさいな」

「いえ、すみません。あとが怖いので、そこで僕に振らないでください」

 謙虚に全力で上位者の好意を無碍にする青年を課長が面白そうに眺めると、何とか逃げ出そうとする迷惑の塊二人を引きずり始める。

 ずるりずるりと怪談のような音を立てて少しづつ入り口に歩み寄る一行に対し、皆が関係者にならないよう必死に意識から締め出す中、受付嬢の溜め息が三人の背中を追いかける。

「今がどのような時期か、あなた方がお分かりにならないはずがないでしょう。一体何をお考えですか」

 声量は落とさぬも周囲の同僚に伝わらぬよう調整をした受付嬢の言葉に、調査課の三人組がそれぞれの肩越しに視線を受付に投げ込み、何事もなかったかのように向きを直した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ