第二十三話 悠抄、仮面の秘密を明かすの事 その十五
白波立つ沖合に張り出した釣殿からは、はるか遠くの渦潮より起こる白波をかすかに臨む事が出来る。
太鼓か遠雷を思わせる低く尾を低く唸りは、その振動をもって来客の疲れを解すように響き渡る。
「なるほどのう。姫はそのような事を申しておりましたか」
淡い色の簡素な単衣に身を包んだ白髪の老婆が異界からの客人に三方に乗せた蒸菓子を振る舞いながら呟く。
「はい、元気に怨念を日々書に認めているそうですが、ご飯はちゃんと食べる良い子だそうですよ。へこたれていても食欲が別なのは、大宜都比売さんの教育の賜物ですね」
身も蓋もないことこの上ない報告であるが発言者の悠抄に他意はなく、受け取り手の媼は嬉しげに相槌をうつ。
「婆には判じませぬが、何やら難しき謀り事がうまくいかなんだと聞いておりましたゆえ心配しておりましたが、膳を平らげ恨めしく思えるならば大事ありますまい」
「まぁ、言っても育ての親が親だからな、黙って萎れ続けているほど可愛げがあるはずない」
相棒に付け加えての天猫の言葉も大概であるが、安堵に眦を袖で押さえる養い親が気にしたが否かは定かではない。
「だから言ったじゃない。あの子にそんな器用な真似はできないって。謀り事ができるくらいなら月の連中が引き籠っているはずないわよ」
「したがあね様、あの可愛い姫におのこを打ち倒せと言うには無理がありましょう」
「誰が物理的に倒せと言っているのよ」
弾むように繰り出される言葉に、穀物の女神が右頬に手を添えてはんなりと考え込む。
目を瞑りしばし間を取ると、ゆるりと口を開いた。
「あね様がおのこを黙らすには腕力に物を言わすが一番と」
「違うわよ。ものにはやりようがあるって話でしょ。あんたは極端で飯依は上から眺めすぎ、どうして穀霊って右端か左端しかないのよ」
気の置けないやり取りを繰り広げる女神二人から距離を取る彩藍が、こっそりと天猫に耳打ちする。
「あの、申し訳ありませんが、聞いている限りだと大宜都比売様の方が妹位置で間違いないですよね?」
どう見ても老婆にしか見えない大宜都比売と、襲を身に纏い緑なす黒髪を広げる妙齢の女性を等分に眺めて困惑する彩藍に、同じく視線を送った天猫が事もなく頷いてみせた。
「あいつらに長幼の概念が必要かはわからんが、本人達の中では成立しているらしいな」
「その、大宜都比売様の方はどう見てもお婆さんなんですが……」
「はい、おばあさんですねー。神様たちはぼく達と違う感覚で見た目を変えるので、本人がお婆さんになりたいからお婆さんなんですよ」
「大宜都は穀霊だからって落ち着かなきゃって思いすぎなのよ。飯依は飯依で意味不明だし」
非礼にならぬよう慎重に言葉を選ぶ彩藍の気遣いはどこへやら
立て続けの口早の説明に被弾した青年は、きりりと威儀を正して大きく息をつく。
「すみません、あの人達意味がわかりません」
わずか半瞬持つことなく天猫の袖を引いて泣きついた。
「俺や悠抄のような可変型長命種は外見が内面に引っ張られるのは理解しているよな?」
面倒くさそうに袖を振りほどきつつも仕方なしとばかりに肩を竦めた天猫が解説役を引き受ける。
「あいつらの場合は、それに付け加えて外圧によっても対外年齢が変化しやすいんだよ」
要するに、広義の期待を寄せられることで内面に変化が生じ外面に影響するということだ、と簡潔に纏める。
「つまりは、大宜都比売様は養うことを期待され続けて、飯依比古様は大きく物事を観ることを求められ続けた、ということですか?」
大まかに理解をした青年が同時に豪放磊落を体現したような人物を脳裏に思い浮かべるが、問いとして言葉に出す前にそれは違うと明確に否定された。
「言っておくが、健依別がああなのは本人の意思というよりああ言う生き物だから、あいつに熊以外を求めるのは技術的に無理と思え」
「結局は、神様と言えど人の想いに逆らって生きることは難しいと言うことですかね?」
青年の端的な言葉に、人外一同が揃って肯定の意を返す。
「彩藍くんの言う通り、人も神様も問わず他人の目から逃げられないですし、宝物も人によって宝か否か変わるのですよ。ましてや、不思議のものとなると尚の事ですね」
良い子良い子と少年が青年の纏めを褒める傍ら、多少行儀悪く姿勢を崩した愛比売が、それで、と幽世組に話の続きを促した。
「私は楽しいから姫があのままでも鼻を明かされても良いけど、あなた達は宝物を手に入れるための手立ての目星はついているの?」
一歩引いた位置に立つ身内ならではの愛比売の問いかけに、悠抄が腕を組んで小さく首を傾げる。
「それがですねー、一つ入手自体は簡単ですけど、意味がわからないのがあるのですよ」
「あら、愉快ね。泰山の小鬼にもわからないことがあるのね」
唸る悠抄に愛比売が口元に手をあて笑い声をあげ、天猫は軽く相棒の仮面を小突いた。
「悠抄は俺達の種族内でも興味の幅が大き過ぎたからな。こいつは興が乗らないと基本的に役立たずだぞ」
困る相棒の様子が面白いのか、猫面越しにもわかる珍しい天猫の上機嫌に、小型化した狻猊が悠抄の肩によじ登り尻尾で悠抄の仮面をペしりと叩いた。
「悠抄さんでも難問と思う宝物って、それだけすごい物ってことですかね?」
「はい、燕の子安貝ですね」
悠抄の即答に、問い掛けた彩藍が思わず我が耳を疑う。
言ってはなんだが、指定の宝物の中では意味不明でもっとも影の薄い物であるそれが、人型理不尽が頭を悩ます難物とは予想の外である。
「燕の子安貝ですか。それを手に入れるには危険な試練をくぐり抜けなければいけないとかですか?」
期待半分緊張半分でごくりと喉を鳴らす青年に、悠抄が小さく首を振って否定を返す。
「さっきも言いましたけど、手に入れる事自体は簡単です。ただ、この宝物はないからあるに変わったものなんですよ」
「は?」
困ったものだとばかりに息をつく悠抄であるが、本当に困ったものなのは言葉を付け加える気配のない仮面の少年の存在である。
「他の品物は俺達が姫に教えた物だけど、燕の子安貝だけはなよ竹の姫の思いつきなんだよ」
「では、燕の巣と言うのは?」
「それも屋敷の軒先にある燕の巣が目に入ったから、ついでに付け加えたらしい」
想定以上に酷い無理筋にさしもの悠抄も悩むより他ないかと彩藍が呻くのを気にも掛けずに老婆姿の女神がのほほんと口を挟む。
「子安貝は婆のくれた守り貝を見て思いついたから、絶対に入手できぬはずだ、と息巻いておりましたなぁ」
「入内の話のかけらも出ていない段階の姫に安産守てって、気が早すぎるのよ大宜都は」
積み重なる達成不可能条件に青年事務官が傍目にもわかるほど萎れて肩を落とす。
「随分としょんぼりしていますけど、大丈夫ですか?」
「いえ、どう考えても達成不可能なので、ここは僕がお詫びして丸く収めるしかないかなと」
極めて社会人らしい殊勝な言葉を口にする新人に、見た目も感性も社会人らしくない小柄な先輩が不思議そうに、ほへ?と奇妙な声を漏らした。
「彩藍くん、姫様は誰の子安貝が欲しいかは言っていないので条件を満たせる本物であれば問題はないのですよ」
自らの理論の正しさを欠片も疑わない異形仮面の少年の口調は、まさしく冥府からの囁きと言えよう。
「ですから、その物が手に入らないという話なんですが……」
「最初になよ竹の姫が騒ぎを起こしてから百年ほど経った話なんだがな」
難題のあまり悠抄が思考を放棄したのかとでも思ったのか、彩藍が改めて説明しようと試みるが、天猫に肩を掴まれ遮られた。
「蓬島を含む沖合の仙境で、八洲の天人が並み居る求婚者を知略の限りを尽くして退けた痛快話が噂に登ってだな」
淡々とした天猫の語りに引き込まれたか、彩藍が迂闊にも姿勢を正して耳を傾けてしまう。
「中でも、燕の精は自分達の名前のついた安産守を求めて高貴なものが挫折する、要するに子安貝を置いた燕の巣は安産ならぬ楽孵化の加護を得ると考えたわけだ」
話の落ちが読め始めた若者がくろさんに助けを求め手を伸ばすが、無情にも甘噛の撃退に遭い断念をした。
「それ以降、雛の無事の孵化を願って燕精の巣には親により子安貝が置かれるのが伝統だ」
「誰が使おうと本物は本物なのです」
現実は小説より奇なりて酷なりとでも言えば良いのか、限りなく黒に近い灰色に青年が先程までと違う意味でがくりと肩を落とした。
「それって詐欺じゃぁ……」
「まさしく子は宝じゃのう。ありがたやありがたや」
「ちょ、なんで僕を拝むんですか!」
なむなむと老婆姿の地母神に拝まれて声を裏返らせる青年であるが、一歩尻ずさりしかけたところを愛比売にがっつりと肩を掴まれた。
「良いこと、あの連中は心底からああなのよ。だから、あなたも早々に諦めなさいな」
愛嬌を象徴する女神が示すところのああな連中は、神獣に甘えられながらも蒸菓子を堪能し晩茶で喉を潤し波打つ音に耳を傾ける。
程よく穏やかで程よく歪んでいる世界に、彩藍は抵抗を諦め面を手で覆った。
「じゃぁ、悠抄さんが悩んでいたのはなんなんですかっ」
全く見当違いの杞憂に馬鹿らしくなったのだろう彩藍が不貞腐れて詰め寄るが、問われた側はさも不思議そうに面の顎部分に手をあて俯いた。
「だって、お守りがあってもなくても雛さんは自分で孵化しますよ?」
それなのに求める方も有難がる方も意味不明である、と情緒もなにもない疑問を述べる。
相棒が彩藍に気を使って口を塞ぐ暇もあらばこその発言に、青年と若さを象徴する女神は顔を見合わせて嘆息した。




