第二十話 悠抄、仮面の秘密を明かすの事 その十二
都から少し離れた山中に位置する、やや小ぶりながらも由緒ある古刹の一つと評される尼寺の本堂からやや奥まった境内の一角。
福々とした老尼に招かれた茶室からは、山河を模した枯山水が来客の目を楽しませ、鹿威しの竹が岩を打つ音が静けさに彩りを添える。
漂う濃茶の香りに一息ついた悠抄が、庭を眺めてゆったりと頷いた。
「きれいなお庭ですね。小石を沢山使って水の流れを表している訳ですか、面白い発想です」
ゆったりと呟いた悠抄が、袖を払い指を折って庭の相に卦を立てる。
「土の気を持つ砂利を水に見立てることで都の過剰な水気を逃しているのですね。なるほど、理にかなっています」
華原の庭園では見られない造園技法に悠抄が素直に関心を示し、風炉の傍らで茶席の亭主を務めた庵主が口元を袖で隠しころりと笑い声を上げる。
「えらいおおきに。そないに褒めてくらはると、ばばが集まって難儀した甲斐がありますなぁ」
老人特有の年齢を肴に転嫁した笑いの話法だが、悲しいかな人生の経験値が足らない彩藍では如何とも返答のしようもない。
どう反応したものかと居心地が悪そうに身動ぎする青年を傍目に、さて、と老尼が釜の蓋を閉めて客人たちへと向き直った。
「お務めの最中とお見受けしますよって、ご用をお伺いしまひょか」
改めての仕切り直しに、流れるように茶のもてなしを受けたこととここ最近の同行者の影響から感覚が麻痺していた彩藍がようやっと常識に立ち返り頭を左右に振った。
「いや、ごく自然にご馳走になってしまってましたが、庵主様は僕達が不審者だとは思われなかったんですか?」
「それは思いませなんだなぁ。人さんよりはちぃとばかり世を長ぉ見てますよって、なんとのぉお人柄はわかるもんどすわ」
改めて不用心をたしなめる若者に目尻のしわを深めると、一度言葉を切ったあとに、まぁ流石にと続けた。
「まさか、幽世の方にお目に掛かれようとは思いませなんだが、まさしく世はわからぬもの、長生きはしてみるものどすなぁ」
「八洲の人達で、ぼく達のことを知っているのは珍しいですねー」
「へぇ、ご覧の通りこの尼寺は古いだけが取り柄やよって、昔々の言い伝えはようさん残っとるんですわ」
歴代庵主の手跡による彼方よりの来訪者の記録が残っているのだ、とおっとりと告げる庵主に、悠抄が得心したと肩を竦めた。
「ぼく達は結構自己主張が強いですから、気に入った人の所にはお仕事の道すがら顔を見に行ったりしますしね」
にこやかな声音の悠抄の言に、別の調査官の話とは言え彩藍が仕事中の寄り道を指摘すべきか、年齢可変型長命種に昔馴染みを尋ねて旧交を温めると言う情緒があったことを驚くべきか、如何とも判断のしづらい難問に小さく身動ぎをする。
苦悩する青年を気にするでもなく、天猫が悠抄にもたれて休息する狻猊を崩した足の上に乗せて話題を切り替える。
「庵主、俺達は飯依比古からこの寺を訪ねるように言われたが、何か聞いているか?」
「へぇ、わての二親は海女さんに由来の補陀洛山の寺近くの出でっさかい、飯野山の神さんには目ぇ掛けてもろてましてなぁ、此度も久方ぶりに夢枕に立ってもらいましたわ」
懐かしそうに目を細めて両手を合わす姿は尼僧の鏡と言えようが、告げられた言葉の意味深長さに引っかかりを覚えた事務官が今しがたの言葉を脳裏で反芻させる。
庵主の言葉の断片を深掘りし、導かれた事実に思わず身を仰け反らせた。
「彩藍くん、どうしたんですか?」
「いや、庵主様って普通のおばあさんですよね?」
こっそりと疑念を口にする青年の言葉に、調査官二人組が老尼を眺めた後、天井を経由して視線を彩藍に戻した。
「女人に年齢話は厳禁ということにしておけ」
「八洲の人は歳を取ることを忘れる人が結構いるので、気にしたら負けですよー」
人型人外二人組に暗に規格外認定を受けた尼僧を青年がこっそりと盗み見てみるも、どう見ても人の良さそうな老婆にしか見えない始末である。
「もう、やだ。なんでこう行く先行く先人外魔境なんですか。僕はただの事務官なんですよ」
あまりの不自然な自然さに、彩藍が右手で自らの面を押さえてうめき声をあげる。
青年の失礼極まりない嘆きの声に気にした風も見せず軽やかな笑い声を立てる尼僧は、懐より一枚抜き取った懐紙に菓子盆の霰三盆糖をひと粒乗せると、天猫の膝の上で寛ぐ狻猊を手招きする。
「飯野山の神さんの言わはるには、うっとこの寺に身を寄せてはるおひいさんにご用がおありにならはるとか」
「あぁ、俺達と言うか悠抄の必要な千年竹妖怪の筍の皮を寄越せと言ったら、代わりに姫の騒動を丸く収めろと要求されたわけだ」
やや簡潔に過ぎるほどの天猫の説明に老尼が納得の頷きを返すと、姫がこの寺に滞在しているに相違なく、離れにて日々を過ごしていると告げる。
想定外に友好的とでも思ったのか、彩藍がそろりと挙手をして疑問を表明した。
「そもそもですが、なんでお姫様はこちらのお寺に居候してるんですか?」
青年の素朴な疑問は、調査官二人をして当然すぎて盲点だったらしい。
一度顔を見合わせて首を捻ると、揃って天井仰ぎ見た。
「彩藍くん、さっきこちらのお寺の本堂で御本尊にご挨拶しましたよね?」
「はぁ、優しい面立ちの御本尊でしたね」
「はい、優しいの種類はありますが実際優しいのです。あの御本尊がこちらの御本尊なのでお姫様は身を寄せられているのですよ」
これは世の常識であるとばかりにふんわりと説明をする悠抄であるが、残念ながらそのような常識が常識である世など後にも先にも存在しようはずがない。
「いいか? この寺の本尊は観自在の基本形だ」
「御本尊に基本形の有無がある、と言うのは無視ですか?」
相棒の要点だけの説明を流石に不足かと思ったか、天猫が語り手を交代するが、彩藍の地に足のついた質問は残念ながら耳には届かなかったか、あるいは面倒くさかったらしい。
咳払いを一つ、説明を続けるために僅かに背筋を伸ばす猫面少年に、つられたように青年が姿勢を正し、異形面と神獣はあくびを漏らした。
「まず前提として姫は二名島に縁を持つ身だ。その上で、八洲の信仰に札所巡りと言うのがあるんだがな、二名島札所巡りの八十六番札の補陀洛山の山号をもつ寺とこの尼寺は観自在由来の寺なんだよ」
「すみません、いつものことですが、専門用語で説明されてもわかりません」
「あゔぁろーきてーしゅゔぁらさんですよ。女性真理を内包されているので、お月様ともゆかり深いのです」
「あば……?」
天猫越しに割り込んできた悠抄が口にした謎言語に繰り返そうとした青年が舌を噛みかけて挫折する。
苦戦する青年を見かねたのか、相棒にひとまずは任せろと手で制して、彩藍に少し膝を向けた天猫が物事は簡単な方に思考を切り替えることが肝要だと諭す。
ついでに菓子をもらい満足そうに微睡むくろさんを膝上に回収し、その前足を掲げて見せた。
「まず、婚姻とは陰と陽の縁結びだ。陽は天で地は陰だから、陰には重さがある。命を送り出す役割を持つ女性は陰の象徴そのものだ。その役割の重さから女性は地に引かれ成仏は難しいと言われるわけだな。その上で姫は天の住人でありながらも陰に属する月の姫だから、そのままでは陽神の系譜が収める八洲に留まるのが難しい。だから、女人成仏を掲げる観自在の系譜の寺と相性が良いんだよ」
早口言葉もかくや、猫面の少年が一息で言ってのけた理論は、惜しむらくは完全無欠に簡単ではない。
まったくもって親切ではない解説に撃沈する彩藍がくろさんの尻尾を掴み、尻尾を掴まれた狻猊が後ろ足で容赦なく青年の手に蹴りを入れた。
一人と一匹による容赦なき争いに、悠抄が仕方がないとでも言いたげに頭を振ると僅かに向きを変えた。
「あゔぁろーきてーしゅゔぁらさんは三十三の応身を持っていて苦しむ人に対応する姿で現れてその足元を照らしてくれるため、結論として女人成仏を約束してくれるのですよ」
理解に苦戦する青年のために悠抄が助け舟の出航を試みるが、彼の助け舟が対岸に届いた試しはなく、この度も見事に航路を大きく逸れて進行する。
「くしてぃがるばさんは六道を一緒に歩いて挫けないように励ましてくれますが、あゔぁろーきてーしゅゔぁらさんは様々に姿を変えて先々で励ましてくれるのです」
「ただでさえ訳がわからないのに、さらに意味不明な語を出さないでください!」
これで完璧とばかりに満足そうな雰囲気を小柄な全身から醸し出す異形の仮面少年であるが、さらなる講釈を浴びせかけられた一人と一匹は総毛を立てて抵抗を示した。
ちょっと待て、手を翳すと小さく息を整え説明魔から心理的距離を保つ。
「ますますわからないのですが、観自在様は多種多様な姿を持つと言う意味ですか?」
「うーん、ちょっとややこしいのですが、あゔぁろーきてーしゅゔぁらさんは多面性を表すというより、多面性の象徴としてあゔぁろーきてーしゅゔぁらさんになるのですよ」
言葉以上のややこしさに、思考整理のために彩藍が再度右手を掲げて悠抄のさらに続いたであろう言葉を押しとどめる。
残る左手を拳に変えて顎の下に宛てがい数拍黙考する。
「えーと、この際細かい理屈は省きますが、要するにここにお姫様がいても問題ない、と?」
「若さん若さん、よう気張らはりやしたなぁ。ようさん悩んででも少しずつ歩みを進める。それが多面観自さんの御教えどすわ」
これ以上は勘弁してくれと諸手を挙げる青年を老尼が柔らかな笑みでに褒めて場をまとめ、そもそもの元凶二人は片や満足気に額の汗をぬぐう素振りを見せ、片や一仕事終えたかのように腕を軽く回した。
「そういう訳で、無事に彩藍くんの納得を得られたので、次のお話に進みますが、当のなよ竹のお姫様は今どんな感じですか?」
「さいですなぁ、日日鬼気迫ったお顔でお経を写したはりますえ」
姫という語の持つ儚さと庵主の語る実像の落差に彩藍の常識の虫が疼くが、ここで口を出しては先の二の舞と面の口元を押さえてそっぽを向いた。
「写経ですか。楽しそうですねー」
「へぇ、月の君にため息を吐かれたの、お側さんに笑われたのと、何やらややこしい念が筆から立ち昇ってはりますけど、まぁ、お焚きあげすれば障りは起きまへんやろ」
気の若い方は難しおすなぁ、とまるで孫の成長を娯楽にする祖母のような語りに古の姫の儚さが欠片も見当たらないのは、姫が成長したが故か、浄界にあって俗世に馴染んだか、いずれにせよ滲む気難しさは並ではない。
「まぁ、元々が失敗上等を姫に隠しての婚姻話だからな、姫が意固地になるのも仕方がない」
数百年の針の筵に座らされたと考えればよく耐えた方かと天猫が感心する傍らで、何事か引っかかるのか彩藍が首を傾げた。
「ですが、竹妖怪さん曰くの事を収めるには、姫の協力必須ですよね。その状態で協力してくれますかね?」
「大丈夫ですよ。お姫様は彩藍くんと同じく素直な良い子なので、ちゃんとお話を聞いてくれますよ」
明るく元気に請け負う悠抄であるが、問答無用で聞かせると言う発言者の意図を超えた幻聴が聞こえてくるのは、果たして彩藍の性格のせいであろうか。
いずれにせよ、一筋縄で行くはずがなかろうことは想像に難くない。
「なんにせよ、まずは姫の顔を見てからの話だな」
「そうですねー。庵主さん、そういう訳でお姫様のお部屋にお邪魔しても良いですか?」
「へぇ、ご随意に。おひいさんのこと何卒よろしゅうおたのもうします」
姫との対面を求める悠抄に、庵主が深々と頭を下げて同意を返す。
許可を得た三人組が座を立ち茶室の奥の廊下へと向かうが、何を思ったか悠抄が一人踵を返した。
「ちょっと聞きますけど、庵主さんは先代さん達が羨ましかったですか?」
「そうどすなぁ。ひょっこりと変わらぬお友達が来てくらはるのは、正直羨ましおしたなぁ」
「じゃぁ、ぼく達がたまに遊びに来るので、この先もいっぱい長生きしてくださいね」
庵主の返答を受けた悠抄がひらりと手を振ると、二の句を待たず障子の向こうへと消えていった。




