第二話 悠抄、神隠しにて難儀するの事 その一
「こんにちー。泰山庁の方から来ましたー」
夕暮れの近づく街路の一角、旅人を目当てとする商店の連なる通りに、路地を覗き込む悠抄の緊張感に欠ける声が響き渡たる。
次の瞬間、背後の旅籠よりガタリと言う物音とともに指向性を伴った殺気が膨れ上がった。
「この、化け物! 性懲りもなくまたやって来たかっ」
振り返るが速いか、鋭い非難の声とともに、二階の窓より投擲された刃物の切っ先が、銀の線を引きながらのんびりと佇む悠抄の仮面目掛けて迫りくる。
到達寸前、相棒の襟首を掴んで引き寄せた天猫が縄鏢を操り飛来物を叩き落とした。
「大げさですよー。仮面があるので、当たってもケガはしません」
「仮面以外は刺さるだろうが。それよりそこのお前、何のつもりでこいつを狙った?」
危機感に欠ける悠抄の言に短く返した天猫が、鞘に収まったままの剣を窓の縁より見える人影に突きつけ威嚇する。
「俺達の姿が見えるってことは、今回の件の関係者だろうが、俺達に一体何の恨みがある?」
ばたばたと手足を動かす悠抄を無視して、猫面越しにもわかる殺気を窓際に隠れる人物に差し向ける。
数拍の間をおいて、二十代始めらしき女性が、いかにも仕様なしと言った風情で姿を現した。
改めて悠抄が挨拶と名乗りをするも、険しい表情を解こうとする気配は感じられない。
「泰山庁から神隠し調査の指示を受けて来たので、安心して大丈夫ですよ」
「見るからに怪しいなりしておいて、どこが安心なのよ! あんたらのお陰であたしは職なしよ!」
上下で言葉を交わすも、互いに聞く耳を持たないせいか会話は平行線を辿るのみである。
際限のない押し問答に、天猫が鞘尻で石畳を打ち鳴らして流れを断ち切った。
「互いに状況整理が必要だな。まずは俺達側の事情を説明するから、部屋に入れるか、嫌なら他の落ち着ける場所に案内しろ」
不機嫌もあらわに軽く圧を放つ天猫に、実力の差を嗅ぎ取ったのか刃物投擲女性が顎を引き押し黙ると、幾分躊躇った後、渋々宿の入り口を指差した。
〜〜
現世往来での刃傷沙汰未遂より遡ること二刻前、雑談に満ちた泰山庁の大食堂で、持ち込んだ書類の整理を進める悠抄が、あり? と軽い疑問の声を立てたのが騒動の始まりであった。
「有給申請書? ぼくと天猫の名前が書いてありますけど、こんなの出しました?」
部署付きの事務官より渡された紙の束から覚えのない書類を目に止めた悠抄が、該当の用紙を親指と人差指でつまみ上げると、茶菓を盛り合わせた盆を手に合流した天猫に向かって問いかけた。
「俺がそんな物を出すはずないだろ。第一、筆跡が違うし……妙な気配がするぞ、それ」
「多分、この紙呪われてますよ」
天猫からの胡乱な目線を受けた悠抄が書類をひと撫ですると、手の動きに合わせてじわりと炎が広がる。
熱を伴わない炎が通り過ぎた後には、紙面の中央に複雑な模様の組合せと二人の名前後ろに押印欄が浮かび上がっていた。
総務部の呪紋ですね、とひと目で特徴を読み取った少年が傍らで茶の準備を始めた相棒に手渡す。
「危険物だな、処分する」
「ちゃんとお休みは貰ってるのに、なんでさらに休ませようとするんですかねー」
巧妙に紛れ込んだ申請書を発見する度、念入りに自分達の名前を塗りつぶしてから焼却処分する天猫を眺め、不思議そうに首を捻る悠抄。
遠くより足早に近づく沓音に、気づいてはいても注意を払う様子はない。
「なんではこっちの台詞ですよっ。なんで調査官の人達は休まないんですか!」
音高く扉を開け放ち、事務官の装束を纏った青年が飛び込んで来ると、二人の座る卓に縋り付いて泣き出した。
「二等事務官か……誰だ?」
「紋と同じ気配がするので、多分申請書に呪いを掛けた人ですよ。術を破られた気配を感じて来たでしょうね」
どこの部署か知らないですけど、と続ける悠抄に、悲劇の事務官が泣き声の音量を大にして抗議する。
見兼ねた周囲が幽鬼調査課付きだと説明するも、揃って疑問符を浮かべるばかり。
「何よ、やかましいわね。お昼寝の邪魔じゃない」
圧と艶を含んだ低音の台詞が、混乱極まる場にさらに混沌の薪を焚べるべく周囲を押し包んだ。
「要するに事務官ちゃんの主張は、この子たちに休んでくれと言うことなのね」
「痛いですよー、暴力反対です」
頬に突き立てられた紫の爪に、悠抄がどうでもよさそうな調子でのたまう。
ちなみに、この瞬間にも止まり続けることなく動いている筆が送り出した書類は、天猫の加筆と署名を経て処理済みの塔へと積み重ねられていた。
「少しはっ! 総務本体から嫌味を言われる側の身にもなってくださいよ! 給料もらいながら休むことのどこに不満があるんですかっ」
勢いに任せて振り下ろされた手は、卓に届くことなく空気を叩いたのみで終わった。
「暴れるな。お茶がこぼれるだろ」
指先ひとつで術を発動させた天猫の言葉に、事務官が限界まで頬を膨らまさてむくれた。
「暴れるのが駄目ならさっさと有給取ってください!」
「大丈夫だ。俺に問題はない」
「お給金は変わらないんだから、休んだことにしちゃえばいいですよ」
言うが早いか何事かを走り書きした悠抄に手渡された紙片には、有給変換申請と記載されていた。
「まぁ、この子たちに限らず、現場の有給消化はいずれ考えるわよ。それよりも、少し気になる話があるんだけどね」
盛大に紙吹雪を散らして発狂する事務官を適当になだめた課長が、何処からか取り出した板に貼り付けた紙を確認する
「最近、現世で小さい異形が愛玩動物の神隠しを繰り返しているって事件があるみたいだけど、……悠抄、犯人はあんたなの?」
「ぼくはまだ現世に行ってないですよ?」
示し合わせたかのように互いに逆方向に首を倒し沈黙する課長と悠抄の姿に、周囲は吹き出し、天猫は片手で目元を覆い天を仰いだ。
「課長、なんでまず身内から疑うんですか」
「あら、天猫。だって悠抄なら不思議じゃないじゃない? 被害者も出てるみたいだし、自首するなら今のうちよ?」
いかにも理解に苦しむと言った様子で呻く天猫に対し、頬に人差し指を添えた課長が「ねぇ?」と周囲に同意を求める。
つられるように悠抄が周囲を見渡すと、一同が慌てて顔を背けた。
中には書類を逆さまに読む人物や下手な鼻歌を歌いだす人物がいる中、腕を組んだ悠抄が数秒沈思黙考する。
「つまりは、ぼく何か期待されてます?」
「余計なことは言うな」
ふむ、と頷いて発言する相棒の口に、天猫がすかさず月餅をねじ込んだ。
「それで? 課長の言いたいことは?」
「そうねぇ。あんた達の有給嫌いは筋金入りだし事務の子達の苦労もわかるから、この案件あげるから遊びがてら調査に行ってらっしゃいな」
有給にしてあげるから日当も出るわよ、と落とし所のつもりらしい課長の発言に、天猫は頬杖姿で「なるほど」とつぶやき、悠抄は2個目の月餅に手を伸ばしつつ書類の出来を確認し満足気に頷く。
「すみません、解決してません。むしろ悪化してます」
これにて落着と言わんばかりの雰囲気を醸し出す実動組に対し、絶望に打ちひしがれる二等事務官を慮って仲間の一人が口を挟んだ。
「遊びだから問題ないだろ?」
「そうよ。なんだったら自己都合欠勤もつけちゃえば良いのよ」
二つに割った饅頭の片方を悠抄の前においてシレっと答える天猫と、それに乗っかり管理職失格の発言を残した課長が、じゃぁねとご機嫌で場を後にする。
そして、悠抄は筆を片手に黙々とおやつを平らげる。
「せめて……くれぐれも怪我して帰らないように気を付けてくださいよ」
敗北を悟った嘆息混じりの発言は、悠抄が走らせる筆の音にすらかき消されてしまった。
成果を得ることなく項垂れて踵を返す事務官の哀愁漂う姿に、同胞からは哀れみの視線が向けられるが、元凶二人は気にかけた様子もない。
「あぁ、そうだ。せっかくなので、新しい仮面でもおろしますかねー」
肩を落とし去っていく事務方の背中に、何気なく落とした悠抄の、緊張感に欠ける一言が追い打ちをかけた。