第十九話 悠抄、仮面の秘密を明かすの事 その十一
黒瓦の家屋の立ち並ぶ壮麗な街並みは道を持って区画に分けられ、訪れるものの心に形をなした秩序を焼き付ける八洲の都。
都大路より少し離れた路地で、涼やかな影を供する茶屋の縁台では異国の衣装を纏った三人が、行き交う人と物を眺めつつ旅の疲れを癒していた。
未だ慣れないのか、方相氏の面のずれを直していた彩藍が何事かを思いついたのか、そう言えばと、呟き天を仰いだ。
「なよ竹の姫が癇癪を起こしているって話をしていましたけど、どう言う状況ですか?」
「なよ竹の姫はですねー、この国の帝位継承者との神婚を成立させる目的で派遣された月神族の姫君ですよー」
現状を把握するための素朴な疑問を呈する彩藍に、悠抄が僅かにずれた角度の回答を返す。
やや想定外の反応に一瞬身を反らす若者に、小型化して少年の膝の上で寛いでいた神獣が冷たい目線を送った。
「すみません、姫君の現状について質問したので、背景に関しては聞いていないのですが」
「そうですか? でも、姫の婚姻はこの国の昔話として広く伝わっているので、彩藍くんも知っていおいた方が良いですね」
恐る恐る反論をする青年に、仮面の少年が一度首を傾げてみせるがすぐさま自らに結論づけて胸を大きく張った。
傍らでは長丁場になると踏んだ天猫が店の人間を呼び寄せて茶と団子を手早く注文するが、悠抄の勢いにのまれる彩藍はこれより始まる長話の兆候を残念ながら見逃してしまった。
すぅ、と小さく息を吸い込む悠抄に、膝の上の神獣がさりげなく顔を前脚の間に埋める。
「八洲に広く伝わる、二名の島の竹林より訪れた姫の悲恋はですね、なよ竹の姫の婚姻失敗を元に作られたお話ですよ」
伝えられるお伽噺は、難題を振り撒き求婚者を退ける姫が真実の誠意を見つけるも天に帰る話となっているものの、本来の筋はこうです、と人差し指を立てる悠抄に講義を始める際の癖をみて遅まきながら身を竦ませる彩藍であるが、もちろん解説魔が容赦をしようはずもない。
悠抄の解説に曰く、この国の神系統は大別して天と地の二系統からなり、国の開きの後世、地の神族が国土を均した後に、秩序に属する天の系譜が統治の為に高みより降りてきて地神の系譜と婚姻を結んだ事から物語の端を発すると言う。
「すみせん、意味がわかりません。何故天の神は地に降りてくるんですか?」
「国譲りだよ。この国の神族はもとより親神が一緒で、天の一族は地の一族より祖に近いとされている。だから、統治の優先権は自分達にある、と言うのが天の連中の主張だ」
最上に位置する三柱の神の内、天の二神が長子と次子であり、第三子が海を治めて地の系譜の父祖となったため、天は地より格が高いとされている、と猫面の少年が続ける。
「だから、天が地を治めるために血を繋げろと言うのが話の筋だ」
「序列争いであることはわかりましたが、天の系譜と地の系譜が婚姻することがそんなに大事なんですかね?」
「とっても大事ですよ。この八洲の皇統は天の系譜に連なる血族で神籍を持つ者となっています。少なくとも、神界の公式ではあるのです」
つまり、この八洲は神の系譜が国を治める神治国家ですね、と極めて重い情報を仮面の少年がさらりと流す。
昼日中の茶店の縁台と言う軽いにも程のある場面での話題としてはそぐわないことこの上ないが、さりとて密談が相応しいかと聞かれると、それはそれでばちが当たりそうな話題ではある。
「ここからがさらに大切な点ですが、さっき挙げた姉弟神さん達は八洲の象徴神で三貴神と呼ばれています。現在の皇統はこの内の三番目の弟神である海神を兼ねる地神と姉神である陽神の血筋を継いでいるわけですね」
残る要素は何でしょうか? と見るからに楽しげに両腕を広げて聞き手たる彩藍へと問いを投げかける。
この段階までご丁寧に思考の手掛かりを配置されて青年がわからないはずもないが、さりとて素直に正答を提示するのも癪にさわる。
さてどうしたものかと悩む彩藍であるが、うきうきとした雰囲気を隠しもない小柄な少年と、主の期待を裏切るなとばかりに片目を開けて見上げてくる狻猊に、他に取れる選択肢も見当たらず事務官が敗北を悟る。
「月、ですよね」
視線を反らし精一杯の反抗心とともに回答をするが、出題者は気にした様子もなく良い子良い子と背伸びして青年の頭を撫でる。
「あの、僕もう加冠が済んでいるんですが」
「あれ、そうでしたか。定命種さんの見た目は分かりませんねー。でもまぁ、大丈夫です。そのくらいは誤差です」
今更ながら外見年齢がずっと年下の少年に子供扱いをされる違和感に抗議の声を上げる彩藍であるが、気にかけるほどでの差ではないと外見年齢詐欺は取り合わない。
ですよね? と悠抄が相方を振り返ると、猫面の少年も深々と同意を返した。
「加冠が済んだくらいなら、まだひよこにもなっていないな」
ふふん、とばかりに鼻で笑われた彩藍が、流石に面白くない様子で懐から帳面を取り出すと何やら書き付ける。
「帰庁後の有給取得追加一日ですね。年上なら年上らしく、休暇調整に協力できますよね」
即座に調査官組から抗議の声が上がるが、事務官はそっぽを向き聞き流すばかり。
ひとしきり外見詐欺を騒がせている間に、事務官が額に人差し指をあてて怒涛の勢いでもたらされた情報の整理を試みる。
「なんとなく掴めてきましたが、なんでそんなに面倒くさい状況になっているんですかね?」
「ぼく達が管轄する華原の国はですね、比較的明確に区別された層状世界で、基本は人界を中心に上は天と仙、下は地と冥と言う立体状に構築されていますよ」
もちろんそれだけではないですけどわかり易くはありますね、と朗らかに説明を再開させる秩序だった混沌の使いに、聴講生たる彩藍が懸命に逃げを試みるが、どういった術を使ったものやら身じろぎ一つ許されはしない。
「対して、この国はもう少し入り組んだ構造になっています。神は人であり、土地は神であると言うのが好例ですね」
月は陽光を返すが表に立たず、陽は高みより権威をもって地を統べるが気ままに隠れ、海は穢れを飲み込むが良きことを陸より攫う。
神は流れた先に集落を造るが留まることはせず、穢れれば変質するも神であることには変わりがない。
生生流転、入れ代わり立ち代わり在るがために在り続けるさまは、因果をもって応報とする華原の理と似て非なるものと続ける。
「非常に面倒くさい構造をしているので、八洲の人でも詳細を把握している人はほとんどいません。なので、忘れても大丈夫です」
ひたすらに面倒くさいを強調する相棒の台詞に、店の奥に視線を送り茶菓の到着を待ちわびる猫面少年が指先で縁台を軽く叩いた。
「この八洲の人間は、自分が自分であることを第一とするからな。そのせいか、恐ろしく血統主義的な面がなくもない」
濃淡はともあれ、全員が神性を持つ国民であるとするならば、あとは格付けを持って序列とするのが内部としては何よりわかり易い手段であると続ける。
「国の住人全員が神性を持つって、そんな無茶苦茶あるはずないでしょう」
「そう思いますよね。でも、そこが八洲の面白いところですよ」
よくある創造神話では万物は神より作り出されるが、八洲では神から生まれるのは飽くまでも概念である、と悠抄がくるりと人差し指で円を描いた。
「二名島や筑紫島もそうですが、細かく言うと親神より現れるきっかけを与えられたと言うのが正確です。そして、人間さん達も気がついたらなんかいた、と言う流れなのですよ」
気がついたらいた、振り返ったら満ちていたなど、常識人を自認する彩藍の基準で言えば、ほぼ魔境と言うに久しい。
人型の神が熊であっても仕方がないかもしれない、と思考が逃避しかけるほどには疲労が蓄積する環境とも言えるだろう
「起源が特別かもしれないのは皆同じだから、特別を外から付けるしかない、ですか」
「ご名答。皇統の象徴は現人神だと権威付けをしていて、神界側も容認しているわけだ」
「忘れていいと言った側から情報を押し込むのは、さっきの有給の仕返しですか?」
「何を言っているか分からんが、追加で問題を出そうか。子孫に箔を付けたい、でも完全になられても困る。じゃぁ、どうする?」
幾分皮肉の要素を含んだ天猫からの謎かけに、彩藍が再度今までの情報を脳裏で並べ替え、導かれた結論に思わず息を飲んだ。
「失敗で上々、よしんば成功しても致し方なし、ですか」
要するに皇統は月の一族に釣り合うほど格式があるが、姫が資格を喪失して帰還をしたがために神婚は成立せず、故に象徴帝位が不完全であることは仕方のないことであると言う言い訳が立つのか、と青年が頭を抱える。
「姫がこのからくりに気がついたら拗ねるのは当たり前ですけど、これを考えたのはどこの悠抄さんですか」
青年のぼやきは真っ当な八つ当たりであるが、のほほんと通りを眺める少年型理不尽を見るにつけ、疫病神の評価を下すのもむべなるかなと言えよう。
「今回竹妖怪さんが姫の状況収拾を条件にしたと言うことは、竹妖怪さんや飯依比古様も関わっているということですよね」
「あぁ、竹妖怪の節に姫が宿り、飯依比古は物語で言うところの翁、つまりは保護者兼身元引受人だな」
媼の役回りは大宜都比売命であったが、それはそれでおっとりとしすぎて壁役としては役に立たん、と天猫が肩を竦める。
「飯依比古様は我道を邁進し、大宜都比売命様は穏やかに過ぎる、ですか」
「建依別が例外で活発なだけで、基本的に豊かな土地の化身だからな、他三人は元々慌てると言う発想がない。特に、飯依比古と大宜都比売命は食物神でもあるから、尚の事だな」
「なんでそんな人達にそんな大事を頼んだんですか。どう考えても人選が間違えてますよね」
「あいつらは国の始まりに親神から生み出されたから、三貴神よりずっと古くて存在が圧倒的なんだよ」
その古さの故に神婚と言う周囲にとっては一大事に声をかけないわけにもいかないが、万事の例に漏れず物事には向き不向きがあると猫面少年が続ける。
「そうなると、飯依比古様方はお偉方の神様がよりさらに古参として頼られたということですよね。なら姫君を庇う役割があったのでは?」
飽くまでも常識の範囲内で物事を把握しようと努める青年に、気持ちは分かるがと同情の言葉を向ける。
「あれは悠抄の同類だぞ。この手の性格が、姫の婚姻なんて自分にとっての瑣末事に興味を持つと思うか?」
指さされてそっと伺った先には、小型狻猊を撫でて恐らくは機嫌が良いと思われる謎生物の姿。
一瞬にして悟りの境地に至ったような錯覚を起こす青年であるが、残念なことにすべては錯覚である。
「謎生物はいつの時代も悪意がなく微妙に迷惑、と言うことですか」
青年らしからぬようでらしい多少乱雑なまとめに、天猫が楽しげに短く声を上げて笑った。
「言うようになったな、彩藍。飯依比古や大宜都比売命の性格は流石に想定外だが、結果的に周りの予想以上に場が荒れに荒れたな」
それぞれが各々の思惑で蠢く中、微妙に中心からずれた位置に座し当人達は頑張って対応しているつもりでのんびりと混沌を作り出す地霊二人の姿がありありと脳裏に浮かび、あまりにも収拾不可能な過ぎ去ったに喜悲劇に彩藍が頭を抱えた。
彩藍が痛む気のする頭を右手で押さえて残る左手を掲げると、つまりはと要約を試みる。
「騒がせすぎた姫は任務失敗の責任をとる形で帰任、本人は知らず任務成功ですか」
「はい、そうです。世俗に関わりすぎたことで身辺的清浄性を失った姫は皇統に釣り合わず、皇統は不完全でも仕方なしと言うことでお話は幕引きです」
良くできた悲劇ですね、と悠抄が拍手で締めるのと同じくして店の奥より店主が積み上げた団子と番茶を携え現れた。
「はい、お待っとうさん。なんやえらい盛り上がってはりましたなぁ」
傍目には和やかな談笑にでも見えたか、話題を尋ねる店主に、彩藍が手短に掻い摘んで説明する。
「ほぅほぅ、青竹のおひいさんの真実なぁ。ぼんさん、おもろいお話をしたはりまんなぁ、戯作者せんせのお弟子はんでっか?」
「はい、面白いですよ。おじさんも一緒に聞きますか?」
渡される前の皿より串団子を一本抜き取った悠抄が、空いた手で縁台を叩き誘うも、店主は笑い声を立てて首を振った。
「いや、よろしいわ。おっちゃんは黄表紙が出るのを楽しみにしてるさかい、頑張ってな」
悠抄の講義を断ると言う偉業を知らず成し遂げた店主は、ごゆっくりと決まり文句を残すと彩藍の尊敬の視線を背に店の奥へと戻って行った。




