第十八話 悠抄、仮面の秘密を明かすの事 その十
渡殿の庇より朱塗りの階を伝い庭に降りて歩くことしばし。
しゃくりと言う玉砂利を踏みしだく音と共に母屋から裏庭に回り込んで広がるのは、さらさらと葉擦れを響かせる竹の木立。
幻想と静寂を両立させる、神域に相応しい風情を目にする者に与える光景である。が、
「いつ見ても勝手気ままに見事ですねー」
「ああ、遠慮する気がまったくないあたりがまさしく竹だな」
万人が感動するかどうかは別の問題である。
竹林ならではの整然とした美しさに感銘を受けた様子もなく、悠抄は仮面の額部分に手を翳し、天猫は腕を組み軽く頷く。
関心はするが褒めてはいないと言う典型二人の言動に居心地の悪さををみせる彩藍だが、青年の様子に構わず悠抄がふらりと軽い足取りで竹林に近づいた。
「竹さん竹さん、許可を貰ったので伐採して良いですか?」
「いや、竹林に向かって話しかけても、返事があるはずないじゃないですか」
傍らに狻猊を伴った悠抄が手を腰の後ろに組み上体を傾げて虚空に声を放つ姿に、背後から彩藍が呆れを滲ませて窘める。
常識を語る青年の言葉に賛同するかの如く、無風の竹林がざわりと大きく音を立てた。
「何がどう思考してその結論に至ったか全くもって理解不能だが、世迷言を口にする前に顔を洗って出直して来い」
葉を擦り合わせて模倣した声に、肝を抜かした彩藍が慌てて安全圏を確保する。
代わりとばかりに進み出た飯依比古が、一つ咳払いをしてから口を開いた。
「これ竹や、悠抄殿はそなたにとっても友であろう。その友が所望しておるのじゃ、身を呈さんでどうする」
「主様、何度も言うが、移動式災厄に友と言う分類は当てはまらない。誤った認識は早々に改めることをお勧めする」
さわりさわりと遠く近く寄せては返す謎の声に、飯依比古が億劫そうに紙扇を開いて口元を隠した。
「和やかな御仁であろうに、何が不満じゃ?」
「主様は小型災難と同類だ。同類は反発するか並走する。並走すると自覚しない。だから主様と厄災は友として成立する」
無理や不可と言う竹林全体の密やかな囁きを主張として統合し、やや遠回しではあるもののもろともに存在が迷惑だ、とはっきり宣言する植物であるが、宣言された側は片や神獣の毛並みを堪能し片や扇の影であくびを漏らすと言う具合に聞く耳を持つ気配はない。
「相も変わらず小うるさい竹じゃの。のう付人殿、一度絶やすと角も取れようと思わぬか?」
理不尽の権化の片割れの言葉に、つい竹に同情しそうになる彩藍だが、場の異常生に我に返って手を大きく振り回した。
「そんな問題じゃないでしょう。皆さん、何をのんきにしているんですか! 竹が喋ったんですよ!?」
不可解な現象に一人騒ぎ立てる青年に、人型理不尽三人が揃って首を捻る。
併せて神獣や背後の竹林までも疑念を表現している気がするのは、飽くまでも気の所為であろうか。
「彩藍くん、熊さんも喋るので竹さんが喋っても不思議ではないですよ?」
ましてや目前にあるのは神域の竹妖怪だから当然のことだ、と仮面ながらにごく真面目に諭してくる悠抄に、一瞬同意をしてしまいそうになる彩藍だが、既の所で堪えて頭を強く打ち振った。
「もしかして、熊って建依別様ではないですよね? 神様だっていってたじゃないですか」
流石に失礼ですよね? と当該熊の親族を振り仰ぐが返って来たのはなんとも頼りにならない淡い反応のみであった。
「あの飯依比古様、聞いていますか?」
「うむ、建依が熊か否かの問答であったな」
恐る恐る再度確認してみるがやはり見当外れの回答に違いはなし。
腕を組み極めて真剣な表情で首を傾げる穀物神に、彩藍が異界の生物を見るかのような視線を注ぐ。
「先より考えてはおるが、熊は美味と聞く故熊に勝るとするは難しいと思うての」
熊鍋と比較とはなんとも難問じゃと思考の海に沈む友に歩み寄った悠抄が、ぽんとその肩に手を置いた。
「悠抄さん、ちょっとまって……」
「天猫の煮込む熊掌は、ぷるぷにさっぱりなので、八洲の人にもお勧めですよー」
この流れで悠抄がまともな事を言うはずもなしと、手を伸ばし引き止めようする彩藍であるが、混沌を回避するには一歩及ばない。
「ほう、しょんじゃんとな。異国にも熊を食す習慣ありとはまさしくいとをかしだの。天猫殿、一頭二頭を献ずる故、馳走してたもれ」
思考に滑り込んだ想定外の一言はただでさえ抗い難いものであるが、囁かれた側が抵抗する気もなくむしろ悪乗りする人物であった場合はこの限りではない。
未知の味に職能的好奇心を疼かせる穀物神に、要望を受けた天猫が猫面の顎に手を掛けて僅かに天を仰いだ。
「紅焼熊掌か? 別に良いけど、ただでさえ日数がかかる上に八洲の熊の肉質は分からないからな、上手く味が乗るかは不明だぞ?」
いっそ、熊の掌を干して旅が終わったらこの前の海珍醬で煮含ませるかと、今から食材を狩りに行くが如く腕まくりをする天猫の裾を、彩藍が慌てて現実に縫い留めた。
「すみません、ちょっと意味不明なんですけど、皆さん何を話題に挙げているんですか?」
「ん? 獣が普段食べている食材は肉の個性に現れるのは常識だぞ? 例えば果子狸と言う獣肉は名前の通り果物の香りと甘みを持つ肉だ」
あとは、熊肉の調達方法と保存方法だと纏める猫面の言葉に対し、忍び寄る混沌ニ名が数度頷いて相槌を打つのに、青年が方相氏面の奥から鋭い視線を投げかける。
「違うでしょう。天猫さん、気をしっかり持ってください。当初の予定は竹妖怪さんへの用事で、食べ物の話題は関係ありません」
「そうでした。竹さんに竹炊飯用の筒の伐採承諾してもらうのが目的でした」
「良い加減食べ物から離れろって言ってんですよ。わけが分からなくなるので、悠抄さんは少し黙っていてください」
懸命に常識の世界に立ち返ろうとする青年の側に、混沌の使いが忍び寄り左斜後ろから囁いた。
「でも、彩藍くんも食べたくないですか? 熊さん、美味しいですよ?」
「竹筒で炊いた加薬飯は、かしわの滋味に竹の清涼さが加わる故、そなたも食してみぬか?」
次いで右斜め後ろから異郷の味覚が地霊の形をとり、意識の隙間に言葉を滑り込ませる。
揃って指し示した先には、器に相応しい節を持つ青竹の群生。
「……竹筒蒸しの熊肉って、美味しいんですか?」
ごくりと喉をならして墜ちかける青年を叱咤するかのように、風がないにも関わらず竹林が一斉に大きくそよいだ。
役立たずの裏切り者のと笹鳴りでもって非難される彩藍の肩に、狻猊が前足の肉球を置く。
「くろさん、その顔は慰めてないですよね?」
一瞬感動しかける事務官であるが、にやりととした神獣の表情に即座に感動を霧散させる。
背を向けていじける青年に竹の一本が大きく揺らいで見せたのは、おそらくは人間で言うところのため息であろう。
「私は厄難に付き合うほど暇ではない。手短に要件を話さないならばさっさと退去しろ」
動かない植物に暇がないと言うのも中々に皮肉が効いているが、残念ながら額に人差し指をあてて苦悩する彩藍意外に気にする様子は見受けられない。
「仮面の修繕に竹さんの筍の皮が数枚いるので、根こそぎ伐採されてください」
要求の通り、手短かつ朗らかに譲らない物騒さでもって要件を伝える悠抄である。
「お前な、相手の都合も考えろよ。丸ごとは邪魔なだけだろ。皮と竹数本と笹で我慢しろ」
相方は相方で、妥協するに見せかけて遠慮をする気配はない。
「二人揃って、なぜそれで妥協した気になれるのかは相も変わらず不明だが、天猫の要求の程度ならいいだろう」
そっちがその気ならばこちらも相応の見返りを要求するだけだ、と代表の竹を一本、飯依比古に向かって大きくしならせてみせる。
「主様、都での姫の振る舞いに頭を痛めていただろう」
「はて? そのような事があったかの?」
ざわりと竹が話題を飯依比古に振ってみるが、地霊から返って来たのはなんとも頼りない返事ばかりと言う結果である。
「いつかの婚礼騒動のように無理難題を吹っ掛けて回っていた件だ」
「おお、言われてみれば、姫も相変わらず気難しい子じゃと感心しておったの」
今思い出したというかのように扇を扇ぐ仕草からは竹の言う頭を悩ませていた様子は見受けられないが、現時点では瑣末事であろう。
「なよたけの姫か。懐かしい話だが、まだ同じような事をしているのか?」
「前回の哲は踏まないと意固地になっているらしい。よって、姫の様子を確認して過不足なく事を収めれば希望の品を融通しよう」
わかったらさっさと去れと、盛大に笹鳴りを響かせて迷惑集団の退去を言い渡した。




